ヒミツの空寝



 お風呂に入って、歯磨きもして、それから二人でベッドに潜り込む。
 掛け布団の下で一織を迎えた陸は、照れくささと嬉しさからついついくしゃっと笑みを浮かべてしまう。それを見て一織があからさまに眉を寄せた。

「何笑ってるんですか……」
「だって、一織とくっつけるのが嬉しくて」
「はいはい」
 せっかく言ってみても、陸の素直な気持ちは軽く流されてしまう。こういう時一織は絶対に頷いてくれない。
 けれど、陸の肩までしっかり布団をかけてくれる一織の手つきは優しい。それを感じながら、素直じゃないなあ、と思うところまでいつものことだ。

 むっつりと眉を寄せたまま、一織が問いかける。
「七瀬さん、今夜は体調いかがですか」
「大丈夫。咳き込んで一織を起こしたりしないよ」
「……そういうことを言ってるんじゃありませんよ」
「分かってるってば。今日はホントに体調いいから、安心して」
「ならいいです。では、……おやすみなさい」
 告げる一織の声はさっきよりも柔らかかった。それに促されるように、陸はゆっくり瞼を降ろす。
「うん……おやすみ一織。また明日」
 つぶやくように返事をして、それからゆっくり深呼吸。どきどきと高鳴り始める心臓をなだめるように。

 明日の朝は早いけれど、まだ陸は眠るつもりはなかった。
 目を閉じながら本当に眠ってしまわないよう、一織のことを考える。

 ――今日は、一織の言葉聞けるかな。


  +


 年下のくせに生意気で、口を開けば小言ばかりの一織は、恋人という関係に至った後も陸に対する態度があまり変わらなかった。もしかすると、付き合う前よりも悪化したかもしれない。
 一度文句を言ったら、急に仲良くしたら変でしょう、と返されてしまった。けれどその時の一織の顔が真っ赤だったから、照れ隠しなんだと陸にも分かった。そういう一織のことがかわいいなあと思うくらいには、陸も一織が好きでしかたないのだが。

 とはいえ、いつも小言ばかりでは寂しいのも本当だ。
 そんな時、陸は一織が素直な言葉を言ってくれる数少ない瞬間を見つけたのだった。


 それはいつかのオフの日の午後、陸が寮の共有スペースでうたた寝をしていた時のこと。
 ただいま、という誰かの声で、陸は眠りから覚めた。けれどまだ眠くって、目は閉じたままソファーの上でクッションを抱えていた。

 やがて帰ってきたその誰かが、共有スペースまでやってきて呆れた声で呟く。
「……まったく、こんなところで寝てるなんて」
 それで一織だと分かったけれど、やっぱり眠くて目を開ける気にはなれない。
 ほどなくして、急に体が暖かくなった。一織が何かかけてくれたのだろう。
(あ、優しい……)
 かけてもらった物の柔らかさと暖かさに、ほわほわと心も温かくなる。すると。
(ん……?)
 頬にひんやりと冷たいものが触れる。――なんだろう、わからないけれど気持ちいい。
 その冷たいものに頬をすり寄せてみた、その時。

「……かわいい人だな」

(えっ……!?)
 不意にやわらかい声が耳に落ちる。こんな声知らないというくらい甘く聞こえたけれど、それは確かによく知った人の声で。
 ――まさか、今の、一織が?
 陸は一気に意識が覚醒した。心臓がどきどきと音を立てて止まらない。かといって目も開けられない。
「夕ご飯を作ったら、起こしてあげますからね。……また、後で」
 頬に触れていた手が離れて、抑えた足音が遠ざかる。キッチンで何か支度をする音が聞こえ始めてから、陸はやっと目を開けた。

(なに、なになになに今の!?)
 こんなに優しい一織の言葉は初めて聞いた。かわいい人だ、そう囁いた甘い響きがいつまでも耳に残って消えない。
 なんだか、すごく、大事に想われている。そう感じさせるような声で、言葉だった。――どうしよう、すっごく嬉しい!
 叫び出したいのを堪えるように、陸はかけられていた毛布をぎゅっと抱きしめた。

   +

 その時に、陸がもしかしたらと思ったことは的中していた。
 どうやら一織は、陸が聞いていないと思った時は素直な気持ちが言えるみたいだ。くだんの事が起こってから、一織は度々、陸が寝ている時に普段は聞けないような言葉をつぶやいていた。
 たとえば、喧嘩をしたあとは言い過ぎたと言ってくれたり。
 たとえば、めったに言わない「好き」という言葉を囁いてくれたり。
 それが聞けるのが楽しみで、いつしか陸は機会があれば一織の前で寝たふりをするようになっていた。
 素直じゃない一織の本当の気持ちを知ることができる機会は一瞬だって逃したくなかった。聞けた言葉はいつも心の中へ大事にしまって、落ち込んだ時には思い出して元気をもらっている。
 そういえば、たった一度だけ「陸さん」と名前を呼んでくれた事もあった。――あの時はあんまり動揺して、声が出ないよう必死になって枕に顔を押し付けてたっけ。

(……ダメだ、思い出してたらほんとにどきどきしてきた)

 あんまり動いたり呼吸が乱れたりすると、起きているのが一織にバレてしまう。
 陸は布団の中でゆっくり深呼吸し、寝息っぽく聞こえるように頑張ってみた。一織はたぶん、まだ起きている。聞こえる呼吸が寝息ほど深くない。
 目が開けられない分、他の感覚を使って一織の様子をうかがっていると、髪に何かが触れた。
(あ、一織の手……)
 そっと髪の間をすり抜けていく指先はいつでも優しい。
 これくらい口の方も優しかったらいいのにと思うけれど、それはそれで一織らしくないような気もする。
(本当に一織とは、普段は口げんかばっかりだもんなあ……)
 きっと、本当はなんとかしないといけないのだろう。一織についつい突っかかりたくなったり、言われたら言い返したくなったりするのは陸だって同じだ。
 一織ほどじゃないけれど、陸にだって素直になれない時はある。

「どうして、うまくいかないんでしょうね」

 ぽつり、と一織の声が聞こえた。
(うん、どうしてだろうね)
 陸は心の中で答える。――今日も、実は喧嘩してしまっていた。
 せっかく陸が頑張って夕ご飯に作った事のないメニューに挑戦していたところへ、一織が小言を挟んでばかりだったのがきっかけだった。
 きっと、一織はアドバイスで陸を助けてくれようとしていたのだし、陸だって素直にアドバイスを受け取りたかった。料理が得意な三月を兄に持ったおかげで、一織の料理の腕もなかなかだったからだ。
 けれど、どうしてもうまくいかない。恋人付き合いをしている今になっても。それがお互いにもどかしくて仕方ない。

「あなたがこうやって寝ている時なら、私も冷静に思ったことを言えるのに」
(うん、オレも……寝たふりしてる今なら、一織の言葉ちゃんと聞けるよ)
「……起きてるあなたの前だと、どうしてもダメなんです。……パーフェクト高校生、失格ですね」
(オレも、一織の前だといつもみたいになれない時、いっぱいあるよ。……なんでかな)

 こんなに一織のこと、大好きなのに。
 一織の言葉を聞くために、普段は苦手な演技をしてしまうくらい。――なのにどうして、本当に思ったことを口に出す、そんな簡単なことができなくなってしまうのだろう。

 こつん、と頭のてっぺんに何かが触れる。たぶん、一織の額だ。
 一段低く、近くなった声で、一織が訥々と呟く。
「……恥ずかしいから、でしょうね。言えないのは。……七瀬さんみたいに、私も素直になれたら、……いいのですが」
(そんなことない、オレだって恥ずかしい時、あるもん)
 だから、言わなきゃいけないことがちゃんと言えなくて、したくもないのに喧嘩になってしまう。陸だって同じだ。
 ――けれど、それでも。

「でも、ちゃんとあなたのことを、想ってます。……だから、嫌わないでくださいね」

(……!)
 どきん、と陸の心臓が跳ねる。――どうしよう、こんなの卑怯だ。
 こんな、甘えるみたいに言われたら、我慢なんかとても。

(嫌いになんか、なるわけないよ)
 目を開けて、声を出して言いたかった。
「聞いてないあなたに言っても、無駄ですけどね」
 聞いてるよ、と返事をしたかった。いつも一織の本当の気持ちを聞いてるよ、と。
 でも、やっぱり今ここでそれを言うのはどうしても、恥ずかしい。――本当にダメなのは、きっとオレの方だ。
 だからせめて、声に出さないでできる返事を。

「っ、わ……」
 寝返りを打つふりをして、陸は一織に精一杯身体を擦り寄せた。
 一織のこと好きだよ、大好きだよと心の中で叫びながら。

 頭の上で、一織がくすりと笑う気配がする。
「七瀬さん、……まるで聞いてたみたい、ですね」
(……っ)
「……ありがとう」
 背中に一織の腕が回って、やわらかく抱きしめられる。それだけで泣きたくなるくらいあたたかくて、幸せだった。
 普段はなかなかうまくいかなくても、こうして心が伝わる時があれば、この先も二人で歌っていける。そう陸は思った。

 ――本当はちゃんと言葉に出せたら、一番いいんだけど。
 それが難しい今のうちは、小さなこの秘密は秘密のまま続きそうだった。

 



end.


+ + + + +

陸くんが寝てるうちにこっそり謝ったりする一織くんがいたらかわいいなと思って書きました。
いおりくはお互いいっぱいいっぱいなところがかわいくて好きですね。

初出→'17/6/3
Up Date→'17/9/2

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