ふたりならもっとパーフェクト



 自他ともに認める、パーフェクト高校生。
 そんな風に呼ばれることすら当然のものとしていた和泉一織は、これまでの人生、大概のことはひとりで片付けてしまっていた。
 困難もそれに伴う情動も、ひとりで消化して誰の助けも必要としてこなかった。

 けれど今は違う。IDOLiSH7になって、大切な仲間ができて、大切な『ただひとり』ができて。
 以来、誰かに頼ったり――甘えたりすることを覚えてしまった。ひとりで物事を処理しきることを意図的に諦める場面さえあった。
 
「……私は、弱くなってしまったんでしょうか」

 自問したその時、テーブルの向かいで三月がぱっと顔を上げる。
 一拍遅れてそれに気づいた一織は、内心しまったと頭を抱えたのだった。

  +

 今、寮の共有スペースでは一織と三月の兄弟だけがマグカップ片手にくつろいでいた。
 ダイニングのテーブルに向かい合って座り、三月は最新号のファッション雑誌を、一織は自室の隅で積んだままになっていた本を読んでいたところだ。
 そんな、いつになくのんびりとした静かさを破ったのが一織の呟きだった。

「なんだ? ドラマの台詞か?」
「いや、えっと……」
 はいそうですと答えればいいのに、自分で呟いたことに動揺していた一織は口ごもってしまう。
 それを見て、三月が面白そうに笑みを作った。
「なんだよ、悩み事か? 隠さずこのお兄さんに言ってみろ?」
「こんな時に二階堂さんの真似しないでくださいよ」
 小さく文句を言ったものの、一織は結局この兄には弱いのだ。
 三月のからかい混じりながらも真っ直ぐな瞳を受け流すこともできず、手元にあったコーヒーを意味もなく啜る。そして。

「……私は、大概のことはひとりでやってきて、何か不安定なことがあってもひとりで大丈夫だったのですが……今は……なんというか、それが上手くいっていないような気がして、ですね」
「ふんふん?」
「こ、こう……誰かに寄りかかりたいとか、そういうことが増えまして。いえ、いつもじゃないですよ。ただ、たまに自分だけで物事を処理しきれなくなりそうな瞬間があるってだけで」
「ほ〜」

 言葉を続ければ続けるほど、こちらを見つめる三月の笑みが深くなっていくものだから、一織はどうにもいたたまれない。
 きっと三月は一織の言う『誰か』が誰のことを指しているかまで全部分かっているのだ。
「だから弱くなったような気がするって?」
「……そうです。前まで出来ていたことが、今出来なくなっているのがどうにも情けなく」
「そうか〜」

 うんうん、と三月は大げさなほどに頷いた。何やら感慨深そうな様子がやはり一織はいたたまれない。
 なんだか自分がとても小さくなったような感覚に襲われる。
「お前もそういう、人並みに『出来ないこと』に悩むようになったんだなぁ」
 挙句柔らかい声とまなざしで感心され、一織は柄にもなく顔を赤くする。
「う……」
「なんにも悩むことねぇよ。普通はみんな誰かに支えてもらいながら人生のいろんなことをなんとか乗り切ってるんだし、オレだってお前にそうしてもらってた。……つーかな、ひとりで全部なんとか出来るって思う方が傲慢なんだよ。な?」
「……兄さんの言う通りです」

 これには一織も素直に頷いた。一織だって一人で生きているのではない。今はIDOLiSH7の一員で、アイドル活動だけでなくマネージメントにも勤しんでいる。
 自分で自分のことだけをすればよかった昔とは違うのだということを、もう一織は知っていた。

「でも、そこでお前にとっての支えになってんのが陸ってあたりが、世の中面白いよなぁ」
 名前を挙げられて、ぐっ、と今度は一織から唸り声が上がる。
 やはり三月は一織が何を指してそんな悩みを抱えていたのかを見抜いていた。――本当に兄さんには敵わない。
 小さな抵抗とばかりに、一織は事実をひとつ主張する。

「兄さんだって私の支えですよ」
「うん、知ってるよ。……ま、そんな風にさ、誰かの存在があればもっと頑張れるっていうのは、幸せなことなんじゃねぇかなって」
「……!」

 三月が示した発想の転換。一織は息を飲んだ。――そういう考え方もできるのか。
「いいじゃんか、寄りかかれよ、頼れよ。そうしたらお前はもっとパーフェクトになれる。違うか?」
 急に、一織の目の前が明るくなったような気がした。


 それからしばらく経った、ある時のこと。

「ただいま帰りました」
 寮の入口の扉を開き、一織はいつものように挨拶の言葉を呟く。しかし声はひどく疲れたもので、いつものような凛とした響きは影を潜めている。
 彼を迎える返事はなかった。もう日も落ちているのだが、共有スペースからの明かりは見えない。どうやらみんな仕事に出ているか、もしくは自室で休んでいるかのどちらからしい。
 一織は共有スペースまで重い足取りで行くと、荷物を投げ出してソファーに腰を下ろした。
 その仕草すらいつもよりいささか乱暴で、だがそれに気を留める余裕もない。くしゃ、と前髪を潰してため息をつく。

 頭の中には、今日の仕事のことがずっと駆け巡っていた。
 失敗をした、それだけならまだいい。問題はリカバリーだ。けれど失敗にまともに翻弄されうまく場を掬うことができなかった。
 ――仲間のカバーならできるのに、どうして自分のことは。
 本当は何故失敗したのかをきちんと分析し、次回への対策を考えなければならなかった。
 しかし、今の一織の頭には自分の情けなさを叱責する声の方が大きくて、何も考えられない。

「ただいま〜」

 そんな泥沼を裂くように、明るい声が一織の耳に飛び込んできた。
 ぱたぱたと賑やかな足音がして、一息もしないうちに廊下へ続く扉から赤い髪がひょこりと現れた。
「あっ、一織ただいま!」
「……お、おかえりなさい、七瀬さん」
 ぎこちなく一織は陸に挨拶を返す。と、陸がぱっと嬉しそうに笑った。なんだか妙にテンションが高そうだ。
「何かいいことあったんですか?」
 思わず聞くと、陸がよくぞ聞いてくれました!とばかりに、畳み掛けるような調子で答えを教えてくれた。
「そうそう! 今日お菓子のCMの撮影があったんだけどね、その時メーカーさんが余ってたからってお菓子くれたんだ! すっごく美味しかったから一織も一緒に食べよう!」

 と言ったかと思うと、一織の返事も聞かないうちに陸はキッチンへ走る。
 一織がソファーの前のローテーブルに投げ出されたパッケージを見ると、お菓子は甘そうなラングドシャだった。恐らく陸は今から紅茶でも淹れるつもりなのだろう。
 鼻歌でCMソングを歌いながらお茶の支度をしている陸の姿がなんとも愛らしく、一織は気づかないうちに微笑みを零していた。泥沼になっていた心がほっと落ち着いて、自然と元気が湧いてくる。
 一織をこんな風にしてくれるのは、世界でただひとり、七瀬陸だけだ。

 ソファーから立ち上がり、一織はゆっくりとキッチンまで歩く。それから。
「七瀬さん」
「あ、手伝ってくれ――わっ」
 腕の中に陸の温もりを閉じ込めて、一織は大きく息をついた。
「い、一織? どうしたの?」
「なんでもないです。お茶とお菓子は頂きますので、今だけこうさせてください」

 くしゃ、と陸の柔らかい髪に指を差し入れる。
 いきなりの抱擁に陸はかなり戸惑っていたようだが、一織がゆっくりと背中を撫でるうちに落ち着いてきたのか、少しだけ体に感じる重みが増したのが分かった。
 一織の背中に腕が回って、耳元で微かに照れた笑いが聞こえる。へにゃりと蕩けた陸の笑顔が見えるようだ。――なんて可愛い。体だけでなく、心も温かくなる。

「一織、甘えたさんなの?」
「ええ、少しだけ」
「あ、否定しないんだ。……珍しいね」
「たまには、私もこういう時あります」
 すると、陸が嬉しいな、と呟いた。一織はそれがなんともくすぐったかったが、悪い気はしない。
 この間、三月から言われた言葉が脳裏に蘇る。

『お前は弱くなったんじゃねぇよ。ただ、お前にぶつかってくる壁の方が高くて硬くなっただけ。
 だから、そいつをぶち破るためにこれからもっと強くなるんだ。陸と力を合わせてな』

 兄さんの言う通りだな、と一織は心の中でそっと呟いた。陸の体のこの温かさが、陸の笑顔の明るさが、一織に力をくれる。
 ――ふたりでいるならもっと、私はパーフェクトになれる。三月が教えてくれた通り、それはとても幸せなことだ。
(ありがとうございます、兄さん、……七瀬さん)
 ぎゅっと腕に力を込めると、陸の方も体を擦り寄せてそれに応えてくれた。それもやっぱり、幸せだ。
 二人の抱擁は、陸が準備したやかんの湯が湧くまで続いたのだった。





end.


+ + + + +

スパコミ無配話その2。
ずっと一人でいられると思っていた一織が、誰かを恃むことを知るって最高に尊いじゃないですか、みたいな。

初出→'17/5/3
Up Date→'17/9/2

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