きみの言葉が翼をくれる
ちっ ちっ ちっ ちっ。
普段なら気にもとめない壁掛け時計の秒針の音が、やけに耳障りに聞こえる。
たまらず布団を頭の上にまで引っ張り上げたが、秒針の音は少しくぐもっただけで黙ってはくれない。
しかも、そう時間が過ぎないうちに布団に熱がこもって息苦しくなるので、しかたなく布団から頭を出して目を開ける。もう何度これを繰り返しただろうか。
「うう……落ち着かないよ〜」
どうしよう、と、IDOLiSH7のセンター七瀬陸はベッドの上で一回転した。
部屋の電気が消えた暗がりの中でも、すっかり闇に目が慣れてしまったせいでお気に入りの家具たちの赤がよく分かる。
落ち着かないのはそんなに家具を真っ赤にしてるせいでしょう、と、ユニットを組んでいる相方のお小言が聞こえてくるようだ。――だって仕方ないだろ、赤好きなんだもん。なんか元気出そうな色じゃんか。
けれど、今晩はそんな元気を促すような家具の色彩もまったく役に立ってくれていなかった。
明日は朝早いのに、こんな時間になっても眠れないなんて。
けれど焦れば焦るほど、明日待ち受けていることへの緊張をより強く思い起こされて余計に心臓が音を立てる。
明日、うまく歌えるだろうか。IDOLiSH7の看板を背負って、みんなが更なる高みへ飛んでいくためにきちんと働けるだろうか。
無意識にした深呼吸の音ががさついていた。――ああ、これはよくない。発作でも起こしたら大変だ。
「……ダメだなぁ」
緊張を振り払うように陸は呟いた。これはたぶん、眠れない。
気分を変えよう、そう思った。眠れない時は無理しない方がいいと、そういえば壮五だか三月だかが言っていた気がする。
「あったかいもの飲んだら、落ち着くかも」
陸はベッドから抜け出した。壁掛け時計は既に夜中の一時を回っていて、寮は陸の耳が聞き取れる限りでは人の気配が感じられないほど静かだ。
きっとみんな寝ているに違いない。そう思って、陸はできるだけ音を立てないように部屋のドアを開けた。
「……あれ?」
共有スペースのダイニングの方が明るいのに気づいて、陸は思わず声を上げた。
まだ誰か起きているのだろうか、それにしては静かだが。
音を立てないよう、ゆっくりとした足取りで廊下を通りダイニングへ続く扉を開くと、テーブルについていたその人が顔を上げた。
「……一織、まだ起きてたんだ」
「七瀬さん?」
明かりの正体はアイドルにして現役男子高校生の和泉一織だった。
どうやら学校の課題をこなしていたらしい。しかし、彼は陸の姿を認めるなり顔をしかめた。
「こんな時間になんでまだ起きてるんですか。あなた明日朝から収録あるでしょう」
予想はできたが、あまりにも予想通りのお小言に陸は唇を尖らせた。
「収録あるからだよ。緊張して眠れないんだもん」
文句を返しながら、陸は食器棚からいつも使っているマグカップを取り出した。さて何を飲もうか、やっぱり馴染みのホットミルクだろうか。
「……はぁ、まったく」
一織はあからさまにため息をついて立ち上がった。
「一織?」
「カモミールティーが安眠効果あっていいらしいですよ」
「淹れてくれるの?」
「そろそろ私も終わりにするつもりでしたし。それにこの状況で集中できる気がしませんからね」
「やった!」
相変わらず皮肉たっぷりの生意気な口ぶりだが、それでも付き合ってくれるのは一織の優しさだと陸ももう知っていた。
「一織優しい!」
「ふざけたこと言うのはやめてください」
ただ、口に出してもこうやってばっさり切り捨てられるのが常なのだけれど。
「早く寝てもらうにはこうするのが手っ取り早いと判断したまでです」
「そんな言い方しなくたっていいだろー」
「寝不足の頭で収録中に失敗でもされたら困りますから」
「う……」
陸は唸って黙り込んでしまった。一織と話したおかげで少し忘れていた緊張が、また蘇ってしまう。
「分かってるよ……だから気持ちほぐそうと思って、キッチン来たのに」
すっかりしょげた様子の陸に、一織はまたため息をついた。
「まったく、しっかりしてくださいよ。明日は確かカラオケがあったでしょう、七瀬さんの得意分野じゃないですか。何を心配する必要があるんです」
さすが、一織は陸が収録予定の番組の内容までよく把握していた。自分も仕事と学校で目が回るくらい忙しいはずなのに、その余裕はどこからくるのだろうと、陸は思う。
「でも……明日はオレひとりだし、司会は下岡さんじゃないし。ちゃんとやらなきゃって思うから、どうしてもドキドキしちゃうんだ」
収録現場が怖いのではない。でも不安がないといったらそんなはずはない。
礼儀とコネが重要で、周りの目が厳しい芸能界。その中でこれまで失敗もしてきたからこそ、一方ではきちんと成功を積み重ねていかなければならないことを陸だってよく知っていた。
だからこそ。
「IDOLiSH7がこれからもっと上にいく為に……オレ、ちゃんとみんなの期待に応えられるのかなって」
それは紛れもない弱音だった。吐いてしまった瞬間に、陸は後悔に襲われて俯く。
本当は、こんなこと一織に言いたくなかった。一つとはいえ年上なのだし、他人がどうにもできない個人的な不安はひとりで消化すべきものだ。
けれど、胸を締め付けるようなプレッシャーをどうしても我慢しきれなかった。
――なんて情けない、陸はそう思った。きっと一織だってそう言うに違いない。
と、その時、目の前にほかほかと湯気を上げるカップが差し出された。
「できましたよ。さあ、飲んでください」
そう促す一織の声と、思わず見上げた表情は、陸が想像していたよりずっと柔らかいものだった。
「……あ、ありがとう」
戸惑いながらも両手でカップを受け取り、陸は少しだけ中身を口に含んだ。薄い琥珀色をした液体は熱過ぎずちょうどいい温度で、優しい味とともに陸の喉を温める。
(……おいしい)
初めて飲む味だったが、陸はすっかり気に入ってしまった。
少しずつ、少しずつ、ついさっき弱音を吐いた事も忘れてしまうほど無心になって一織の淹れてくれたハーブティーを飲んでいく。
やがて半分ほどにカップの中身が減った頃、不意に一織が口を開いた。
「……七瀬さんは」
「一織?」
「大丈夫に決まってます。それだけの歌声と、愛されるキャラクターがあるんですから。緊張さえしなければ必ず、IDOLiSH7の看板に相応しい働きができます」
一瞬、陸は自分が聞いた言葉を飲み込めなかった。
けれど、思いっきり明後日の方向を向いている一織を見て、もしかしたらと思った。
「……一織、もしかして励ましてくれてるの?」
「他にどう聞こえるって言うんですか」
棘がたっぷりの声色と言葉だったが、一織は否定しなかった。
それが分かった瞬間、陸は思わず心の中でわぁ、と声を上げてしまった。ハーブティーを飲んだ時よりも、もっと温かい気持ちが胸に広がる。
「ねえ、一織もう一回言って!」
思わず一歩、陸は一織の方へ詰め寄った。
「はぁ!?」
はっきりこちらに渋い顔をしてみせた一織の前で、ぱんと手を合わせる。
「お願い! もう一回言って、そしたら寝るから!」
「調子に乗らないでください! 一回聞けば十分でしょうが!」
なお一織は跳ねつけようとするが、陸は引き下がらなかった。
「本当、もう一回だけ! ……オレ、今ほんとに嬉しかったから」
IDOLiSH7になってから、陸はいろいろな人に褒められる機会が増えた。応援してもらえる機会が増えた。
歌唱力のことも、ファンはもちろん、メンバーの誰かしらやマネージャーの紡が事あるごとに褒めてくれていて、陸はその度に自信を育てていた。それらだってとても嬉しいことだ。けれど。
「病気のことがバレたときとか、ライブの前もそうだったけど……オレ、一織に褒めてもらえるのが一番嬉しいんだと思う」
普段は生意気な口ばかりで、可愛くない年下だけど。
人一倍他人にも自分にも厳しくて、それでもずっと自分を見守ってくれていた一織に認めてもらえることが、一番陸の心を勇気づけてくれる――緊張を忘れて、心に翼を広げられそうなくらいに。
そのことに、陸は初めて気づいた。
だからお願い、と、陸はもう一度手を合わせて一織に頼み込む。
「……あなたって人は」
はぁ、と一織が三度めのため息をつきながら額に手を当てる。
やっぱり断られるのかな、と陸が思った時、一織の視線がこちらを向いた。――力のある澄んだ灰色の瞳の色に、一瞬どきりと射竦められる。
そして。
「七瀬さんなら大丈夫です。あなたはみんなが……私が認めるIDOLiSH7のセンターにして、最高の爆弾ですから」
一言ひとこと、はっきりと告げられた言葉が陸の胸に沁み渡る。
――そうだよね。一織が大丈夫っていうなら、大丈夫。オレはちゃんとできるよね
「……うん、ありがと。オレ明日頑張るよ!」
「そうして頂かなければ困ります。さあ、早く寝てください」
「うん! カモミールティーもご馳走さま。じゃあおやすみなさい!」
ぱっと花が咲くように笑って、陸は元気よくダイニングを出て行った。
静かな廊下を行く足取りは軽い。今なら何でもできそうな気がする。胸に灯った温かさのおかげで、今度はよく眠れそうだ。
――一織の言葉がこんなにも特別に思える理由を、この時の陸はまだ知らないのだった。
「っ……七瀬さんは、もう……!」
一方、陸が去った後のダイニングでは一織が真っ赤な顔をして崩れ落ちていたのだが、もちろんそれは陸の与り知るところではなかった。
end.
+ + + + +
スパコミ無配話その1。
陸は一織に褒めてもらえるのが一番嬉しいんだろうな、そう思ったのがわたしにとってのいおりく沼の始まりでした…
初出→'17/5/3
Up Date→'17/9/2
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