Waldesnacht



 不意に、黒子は目を覚ました。
 それでも、自分が何処にいるのか一瞬分からなくなる。

 暗闇に沈んだ空間に何度も瞬きする。何も見えない。
 そうするうちに混乱した脳がやっと記憶を取り戻し、居場所を把握する。


(…火神、君の)


 ―――そこは寝室だった。
 目が慣れるに従って、窓から差し込むわずかな光で周囲が青白く浮かぶ。
 それはまるで別世界のようにも、異次元のようにも見えて。
 無機質に刻まれる時計の針と、時折外を過ぎる車の音が、やけに不気味だった。

「―――っ」
 黒子は大きく深呼吸した。
 心臓が嫌な音を立てていて、背中にへばりつく汗が不快だった。


 嫌な夢を見ていた、気がする。
 内容はさっぱり覚えていないが、何か恐ろしかったことだけはっきり覚えている。
 手探りで枕もとの携帯を見る―――深夜の2時だった。
 とても、目を覚ますような時間ではない。

 普段ならあまり気にしないのに、今ばかりは耐えられなくて隣に在る温もりにしがみついた。


 そばに人が居てよかった、と思った。今夜はたまたま火神の家に泊まっていた。
 もちろん隣に―――同じベッドにいる火神は眠ったまま。
 あまり縋って起こしてしまうのは避けたかったから、脇腹に体を押し付けるだけにとどまった。

(火神君、)

 でも、それだけでは落ち着かない。まだ心臓の鼓動は興奮から冷めずうるさい。
 理由の分からない恐怖と焦燥が、黒子をじわじわと苦しめた。
 その時、火神が少し呻いた。

「…ん…くろ、こ…?」

 やっぱり起こしてしまった。それが申し訳なくて、黒子は慌てて体を離す。
「すみませ、寝ててください」
 気にするなと伝えるが、火神は聞こえていないのかなおも尋ねる。

「どうした…?」
「どうもしてないです、気にしないで」
「何か、あった…だろ」
 焦点の定まらない瞳が気遣わしげに揺れた。
「だから何も、」
「だってオマエ…泣いてる」


 ゆらり、と伸ばされた手が黒子の眦を拭う。それで、黒子は初めて自分が泣いているのに気付いた。
 火神の手はそのまま黒子の頬を包み、火神は瞳を覗き込むようにして訊く。

「夢でも、見たのかよ」
「………はい」
「そうか」
 それでもやはり夢うつつのまま火神は頷くと、黒子を抱き寄せた。
「火神君…?」
「大丈夫だ…もう、こわくねーから」
 まるで小さい子どもをなだめるように、黒子の髪をゆっくり撫で始める。

「怖く、ない」
 慰めるように耳元で囁かれると、黒子の中で何かが弾けた。
「かがみ、くっ…!」

 そんなつもりはなかったのに、次から次へと涙が溢れる。
 必死で嗚咽を抑えようとするとますます強く抱きしめられ、それでさらに止められなくなる。
 泣き続ける黒子に火神は何も言わず、ただ優しく受け止めていた。



 どれくらい泣いていたのか―――しばらくして、黒子はやっと落ち着いてきた。
 嗚咽が止んだのに気付いて、火神は再び瞳を覗いてくる。
 ああ、きっと今自分はひどい目をしている。黒子はぼんやりとそう思う。

「もう、大丈夫か」
「はい」
 今度の肯定は本当だった。さっきはあんなに怖ろしく思えた夢の残滓も、すっかり消えていた。

「じゃあ、今度はちゃんと寝ろよ…」
 ゆるりと微笑まれて、額にわずかに温かいものが触れる。
 おやすみ、とほとんど声にならない声で呟くと、火神はそのままことりと眠ってしまった。



(…ありがとうございます)

 すぐさま熟睡する火神に向けて、黒子は心の中で呟く。
 きっと眠かっただろうに、それでもくだらないことで震える自分を慰めてくれた。
 もったいないくらい、優しいひとだと思う。いつものことだけれど。

(ボクは…ちゃんと、君に返せているでしょうか)
 深い眠りにいる無邪気な顔を見つめて、黒子はそっと微笑んだ。


 ふと窓の外を見やると、月が見えた。
 だからこんなに明るいのだ、と黒子はひとり納得する。

 月明かりに青白く浮かぶ部屋。だが、そこにもう怖ろしさは微塵も感じない。
 時計の針の音も、車の音も、今では心地よい夜の騒めきだった。

 深夜2時のそんな光景を、彼は言葉にし難い感慨を込めて見つめる。きっと小説に出るような夜の光景も、こんな感じなのだと思う。


 静かな夜の底に、隣に眠る人の温もりを感じる。
 あたたかい眠気がゆっくりと身体に沁みて、黒子は素直に目を閉じたのだった。


 ―――おやすみなさい

 今度はきっと、安らかに眠れると確信して。






end.


+ + + + +

タイトルはブ/ラ/ーム/スの同名の合唱曲から。ドイツ語で『夜の森』という意味だそうです。

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