レモンタルトとキス




 少し強めの夏風が、夕暮れの屋上を吹き抜ける。
 誰もいないそんな場所を繋ぐ扉が、恐る恐る開かれた。


「えぇ…いない…?」
 きょときょとと、扉を開いた桜井は屋上を見回した。今日はここで待ち合わせているのに、肝心の相手が見当たらない。

 ―――もしかして、帰ってしまったのだろうか?

 気まぐれで傲慢な待ち人の事だ、有り得ないことではない。
「どうしよう…」
 がっかりして、桜井は抱えていた包みに目を落とした。
(せっかく頑張って持ってきたのにな…)
 その時だった。


「おーい、良! ココだココ!」


「青峰サンっ!?」
 待ち人の声が空から降ってきて、桜井は飛び上がった。
 見上げると、扉がある所のさらに上にある給水タンクの足下で、青峰がひらひらと手を振っていた。
「遅かったじゃねーか」
 言いながら、青峰は軽やかにコンクリートの床へ飛び降りる。
「ス、スイマセンっ、練習長引いちゃって…」
「そんなもん抜けてくりゃいーのによ」
「それは…で、出来ないですよ…スイマセン」
「……ま、お前ならそーだろーな」
 俯く桜井に、青峰は苦笑とも軽蔑ともつかない口調で吐き捨てた。


「で? 見せたいものってなんだよ?」
「あ、はいっ」
 桜井は慌てて持っていた包みを青峰に差し出した。
 それを受け取ると、青峰はいいかも聞かずさっそく包みを開ける。開けた瞬間、微かにさわやかな香りが漂った。

「美味そーじゃん」
 中に入っていたのはレモンタルトだった。カスタード生地の上に、輪切りのレモンが綺麗に並んでいる。
「青峰サン、この間はちみつレモン頼んできたから…こういうの、好きかなって思って」
「確かに嫌いじゃねえけど…よく思い付いたな」

 その何気ない返事に、桜井は少しだけ頬を染める。
(だって、好きな人の事だもの)
 好きな人の事だから、いつも見ているし、少しでも喜んでほしいと思う。
 だが、そんな機微など青峰は分かってくれないだろう、とも思った。


「食うぞー」
 青峰の一言に、桜井ははっと物思いからさめた。
「あっ、すいませんその前にこれ…」
「お、気ィ利くじゃん」
 もう食べようとする青峰に、桜井は持参していたフォークを渡す。
 それを受け取り、青峰は無造作にタルトに突き刺した。
 仏頂面でもぐもぐと咀嚼するのを見る時は、いつも緊張の一瞬だ。


「美味い」


「ほ、ほんとですか?」
「これで嘘ついてどーすんだよ?」
「すいません…」

 つい謝りつつも、桜井の顔は綻んでいた。
 青峰のために、一生懸命考えて作ったのだ。彼に『美味しい』と言ってもらえるだけで、とても嬉しい。
「ほら、お前も食えよ」
 幸せに浸っていたら不意にそう言われ、ちょっと面食らった。
「え? でも…青峰サンに作ってきたのに…」
「いーから、食えったら食うんだよ」
 そう言う青峰が明後日の方を見ているのに、桜井は気付いた。
「はい、いただきます」
 言葉に甘えて、ありがたく食べることにした。
 
 こうやって二人でいる時だけ、青峰は優しい所を見せてくれる。こんな風なちょっとした気遣いだったり、たまにおごってくれたり。
 青峰がそういうところを見せてくれるのは自分だけだと思うと、桜井はまた嬉しくなる。


(よかった、ちゃんと出来てる)
 口の中でタルトの味を感じ、ほっと安堵する。
 材料も作り方も気を遣って、ちゃんと味見もしたけれど、最後の最後まで気にかかっていた。
 青峰が世辞で「美味い」というようなたちではないことを、よく知ってはいたけれど。

「んー、マジでうめえな。オマエこういうのも得意なんだな」
「と、得意かどうかは分かんないですけど…作るのは楽しいです」
「そーいうもんか。ったく、さつきにも見習わせてー」
「あはは…」

 確かに、あの丸ごとレモンの蜂蜜漬けはなかなか衝撃的だった。包丁が使えないのか面倒なのか。
 苦笑しつつ、もう一口タルトを食べる。
 と、不意に視線に気づいた。

「良、口にカスタードついてる」
「ふえっ!?」
 どこですか、と聞く間もなく青峰に距離を詰められる。


「………!」


 桜井は思わずぎゅっと目を閉じる。いつの間にか頭を押さえられ、逃げるに逃げられない。
 最後、唇が離れる瞬間に舌で自分の唇を拭われたのが分かった。

「ん、ごちそーさん」
 当の青峰は心底満足そうな笑みを浮かべて見せた。
「っ、な、な…っ!」
 あまりのことに、桜井は口をぱくぱくさせるばかりで何も言えない。
「ンだよ、別に変なコトしてねーだろが」
「…からかわないでくださいよ…」
 思わず涙目になりつつ顔を伏せた。すると今度はぐしゃぐしゃと頭を撫でられる。
「バーカ、からかってなんかねえよ」
「だって」
 今のは、あんまり恥ずかしすぎた―――そう言おうと思って、顔を上げたら。


「また作ってこいよな、コレ」

 めったに見ない純粋な笑顔にぶつかり、何も言えなくなってしまったのだった。






end.


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