・増えていく宝物@



 とりあえず、産後のホルモンの嵐の中にいた私は、こうして今までの夫婦関係を取り戻すことが出来たのでた。

 ってことを、電話ではイライラするからって理由でわざわざ有給までとって我が家に来た奈緒に話した。

「さっすが漆原だわっ!!期待を裏切らないマイペースぶり、あの男ならやってくれると思ってたわよ〜っ!!」

 奈緒はそう叫んでげらげらと笑う。ついでに机をバンバンと叩きまくっていた。あははははは!と家中に響き渡る彼女の笑い声で、娘の桜も私の膝の上で機嫌よさげにニコニコしている。笑い声は伝染するらしい・・・若干腹は立つが。

 ひーひーと涙すら浮かべて笑う女友達をじろりと睨んで、とりあえず私はぶーたれていた。

「私はムカついたのよ!何、あの実験完了みたいな態度。何、そのまま何もなかったみたいに寝やがるあの男!」

「あははははは〜だから、あいつにとっては実験だったんでしょうよ!キスで、拒否られなかった、ああ終わったのかってそのままじゃん!うふふふふふ、どうしてそのまま襲わなかったのよ!」

 私は呆れて女友達をガン見する。あのまま襲え?本気で言ってるの、この女。とりあえず、純真無垢な子供の前では言えないセリフを聞きそうな予感がした私は、膝の上の桜の両耳を手でそっと覆った。

 ちょっとお耳閉じててね、ハニー。

「私は怒ってたんだってば!ロマンチックを求めてるわけじゃないけど、それにしたってあれはないでしょう」

 ぶーぶーと膨れながらそう言うと、奈緒は余計にニヤリ顔を大きくした。

「キスでよかったじゃん。いきなり胸を鷲掴みする野郎だって世の中にはいるんだからさ」

「・・・そんなことされたら包丁で滅多刺しよ」

 ガルルルルル!私は奈緒にむかって威嚇を開始する。彼女はニヤニヤと笑ったままで、お茶のお代わり貰うね〜と立ち上がった。

 ・・・ああ、桜の耳伏せてて良かった。胸を鷲掴み・・・なんてこと言うのだこの女。

 通りすがりに陽光がサンサンと差し込むリビングから、庭を見た奈緒があらと声を出した。そしてキッチンに向かいながらさら〜っと言う。

「あれ、いいじゃない。玄関先から見えてちょっと可愛いかも。前は何置いてたんだった?」

「は?」

 私は奈緒が何を言っているのかが判らなくて首を捻る。何がいい?可愛いって何のこと?

 怪訝な顔をして桜を抱っこしたまま庭の方へ顔をむける私を振り返って、奈緒が言った。

「あれ?あんたが植えたんじゃないの?」

「何を?」

 庭に新しい何かを植えた覚えなどない。私はあーとかうーとか言う桜を床のカーペットの上に転がして、立ち上がった。

 新しく紅茶を淹れた奈緒が、カップを片手で持ちながらもう片方の手をすいっと伸ばす。

「あれ」

「・・・・あら」

 声が漏れた口元に手をやって、私はぽかんと陽の光溢れる庭を見た。奈緒の白い指先がさす方向、元々は椿を植樹していた場所にあるのは──────────サルビアの団体さんだった。

 赤い花が波のように揺れている。

 キラキラと光を含んで、真っ直ぐに空にむかって伸びつつある。

 その赤い花と緑の葉が、鮮やかに私の視界を埋め尽くした。

「・・・・いつの間に・・・」

 驚きで呆然としていると、後から奈緒が笑いを含んだ声で言った。

「あんたじゃないなら漆原でしょうね。まあここからだとカーテンの陰でギリギリ見えない・・・にしても、普通は気付くでしょうよ、あ〜んな真っ赤に揺れてるの」

 大体庭は、あんたの望みで作ったんじゃなかったっけ?背中にそう飛ばす奈緒の声を聞きながら、私はゆっくりと庭へのガラス窓を開ける。

 ザアっと風が吹き通って家の中を通り抜けていった。私は髪を秋風に揺らしながら玄関に近い辺りの庭先で揺れるサルビアの花を見詰めた。

 ・・・気付かなかった。今まで。一体いつ植えたんだろう。だって、私は夏前からずっと一人で悩んでいて────────その後は桜の病気や自分のことで精一杯で・・・庭はそんなに手のかからない植物ばかりを選んで植えていたのだ。だから、子供が出来てから積極的に世話をしたかと言われると首を振らざるを得ない状態だった。

 夏に、椿が枯れてしまった。

 それは夫である大地が言っていたのを頭の片隅で思い出した。

 『庭の一番端、椿が枯れてるの抜いておいた』そう書かれた手紙を貰ったのは確か、私の誕生日前後だった。あの時に掘られた庭の土を悲しく眺めたことも思い出した。

 真夏だったので水やりはしていた。だけどそれもちゃんと庭に下りてホースで、とはしていないのだ。手前の方を急いでって感じ。それに基本的には放置でも大丈夫なものばかりだから・・・ちゃんと、全体を見てなかった。

 ・・・その後で、どうやら彼は、サルビアを団体さんで植樹していたらしい。

「・・・あらあら」

 今まで気がつかなかった自分をハリセンでぶっ叩きたい。私はじっと10本ほどがかたまって植えられている綺麗な赤い花に見惚れる。

 前に椿が赤い花を咲かせていた場所には、今ではぎっしりとサルビアの花。それは秋の今、一番いい色で輝いている。

 ゴージャスな光景。誰でもハッとするほどの鮮やかな場所。だけど私は今まで気がつかなかった。

 大切だった庭すら見えなくなっていたんだ。

 私は一体毎日何を見てきたのだろう。

 呆然としたままの私の後に奈緒が立つ。そして、肩をぽんぽんと叩いた。

「あの男、あれでもやっぱりあんたが好きなのよ。言ってたわよね?花言葉に詳しいとか?きっとサルビアも、何かあるんでしょ?」

 奈緒を振り返る。そうだ、奈緒には言ってなかったもんね。私はそう呟いた。

 サルビアは、私達の大切な花なの。一番最初に彼に惚れた、その原因になった花で─────────


 『尊敬・燃える心・知恵・家族愛・恋情─────────サルビアの花言葉だ。知恵、の所がぴったりだろ、合鍵置き場』


 玄関横の棚に置いた私の大事な鉢植達。その2段目、右から3番目の鉢植がサルビアだった。部屋の鍵をなくした私に合鍵を作ることを命じた夫の大地が、鍵を隠す場所に指定したのはサルビアの鉢の下だった。

 その時の、珍しく表情があったダレ男の顔は未だに覚えている。

 二人の帰る場所の鍵、それはここに置こうって決めたのだ。守り神はサルビアの赤い花。それは、不注意で私が鉢を割ってしまったあと、黄色いヒヤシンスの鉢に取って代わった。

 黄色のヒヤシンスの鉢植は、彼に、去年の誕生日プレゼントにあげたものだった。

『・・・失くしちゃダメなものは、ここに置くって決めたんでしょ』

 そう言って、彼はヒヤシンスを右から3番目の鉢植とした。私があげたプレゼント、気に入ってくれたんだって判って、照れたけれど嬉しかったのだ。

 だから、大事な家へ入る為の鍵の守り神は、今では黄色のヒヤシンスになっていた。そして置き場を変えていた赤いサルビア。小さな鉢に入っていたあの子が増えて、こんなにたくさんになって、庭に咲いているとは知らなかった。

 光に揺れる赤い波に目を細めて、私は笑う。

 結局また一人でバタバタしていただけだった。私が勝手に台風の中で転がっている間、彼はせっせと鉢植から庭にサルビアをうつしていたのか。しかも沢山にして。

 ・・・敵わないな、あの人には。

 奈緒も桜もにこにこと笑っている。いいじゃないの、とっても平和なのよね、この家は。そう言って。

 私は振り返って、笑顔で頷いた。



 天高く、馬肥ゆる秋。

 世間ではどこでも運動会が行われていて、まだ日差しはそれなりに強いけれども風はひんやりとしている晴天だった。

 まさしく運動会日和。しかし、そんな行事は一切関係のない漆原家では、当家の大黒柱である世界最強のダレダレ男である漆原大地が、フローリングの床の上を這い蹲っていた。

「・・・足が痛い」

 ぶつぶつと文句を呟くダレ男を見下ろして、私は両手を腰にあてて突っ立ったままで叱咤激励する。

「ほらほらほら!文句ばっかり言わないで!頑張って〜」

「・・・」

「もう、早く早く〜!大体人には強いておいて、自分はやらないっておかしいでしょうが!」

「・・・強いてないぞ」

「強いたでしょうがよ!誰なのよ、人の鞄から勝手に鍵盗み出してたのは」

 おっもいため息を吐いて、背がムダに高いダレ男は床をずーりずーりと這いずり出す。私は同じようにズリ這いする仲間が出来たか!と誤解して狂喜し、父親に突進しようとする娘の桜を片手で止めた。

「さーちゃん。ダメ。お父さんは今宝探しをしてるんだから」

 桜は私の言葉が絶対わかっていないんだろうなあ、と思われる笑顔で私を見上げた。

 時は10月10日。今日は、何を隠そううちの夫である漆原大地の誕生日なのである。

 無表情で無口で面倒臭がり屋のダンナが何を喜ぶかで毎年毎年悩むけど、去年は黄色のヒヤシンスをあげて確かに喜んでもらえた。だけど、今年はどうする?私は庭にサルビアの団体さんを発見した時から必死で悩んだのだった。

 きっと、赤いサルビアは私の誕生日前後で植えられたはずだ。会話がなかったからヤツは言わなかっただけで、私の為にしてくれたのだろうと思う。だから、私も勿論彼に何かをあげたい。それを悩んで─────────その結果、夫の大地が今、床を這っているということになる。

 それはこういうこと。

 世界最強の面倒臭がり屋である夫の大地は、それなりに私のことを気に入ったのだなと自覚した時に、よし、ちゃんと夫婦になろうと思ったらしい。ただし、面と向かってプロポーズするには気力がないし、大体その時すでに私達は戸籍上は夫婦になってしまっていた。それで考えたやつは、私にまだ用意していなかった結婚指輪を贈ることにしたのだ。

 だけどここでちょっとした細工をした。そのままポンと私に指輪を渡すのではなくて、家の中に次の指令を書いたカードを隠して、宝探しゲームをさせたのだった。そのスタートは合鍵置き場のサルビアの鉢植。私をそこへ誘導するために、わざわざ私が持っていた家の鍵を盗み出したのだった。

 ヤツは今、それを非常に後悔しているらしい。あのおっもいため息を聞いたら丸判りだ。だって、それが故に今、私に宝探しゲームを強要されているのだから。

 今年の君への誕生日プレゼント、隠しました、どうぞ見つけてね、とニコニコと言った私。顔の真ん中に「うんざり」と文字を浮かび上がらせて、ダレ男は寝たフリをしやがったのだ。だから私はもう遠慮なくゆさゆさと揺さぶった。「面倒臭い・・・」「面倒くさくない!」「メンドー・・・」「面倒くさくない!」と言い合いをしながら。暫くはされるがままにガクガク揺さぶられていたけれど、その内頭痛がしだしたらしくヤツが観念した。だから私は特上の笑顔でヤツに最初の指示書を渡したのだ。

 で、それに「床から見える景色の中に目印がある」と書かれていたために、ヤツは今、床をもそもそと這いずっている。

 しばらくバカでかい毛虫のように床を這いずって目印を探していたけれど、その内脱力して、床の上でだら〜りと寝転んでしまう。

「ちょっと、何してるの。早く探してよ」

「・・・休憩」

「休憩しなきゃならないほど動いてないでしょうが!見つけて目印!」

 私の言葉に既に15回目のため息。それから片手を頭の中に突っ込んでかき回し、嫌そ〜うな低い声でぼそぼそと言った。

「・・・俺の誕生日プレゼントって言った?・・・もう、なくていい」

「あ〜ら、じゃあ宝探しは、人にさせといて自分はしないっていうのね?」

「・・・」

「ってことは、あの宝探しがあってこその私達の初夜で、それをなかったことにするならそもそもまだエッチもしてないってことだから、桜も生まれてない結果になるわけよね。君は娘の存在すら面倒臭いとなくそうとしているわけね?」

「・・・何でそうなるんだ?」

 うんざりした顔で私を見上げるヤツを上から見下ろしながら、私はふんぞり返って言った。

「私は探したわよ、君からのプレゼント。白いカードに従って、家の中をバタバタと。その結果が娘の桜でしょうが!ほらほら、探して探して」

 ヤツは寝転んだままでちらりと娘に目をやる。その存在定義にまで話が膨らんだ娘の桜は、父と同じに床の上を這いずっていて、疲れてしまったらしい。まるで生き倒れのようにその場で寝てしまっていた。うつ伏せで、匍匐
前進しかけたままで。




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