nostalgia

ShortShort

世界の色


暗い部屋の隅で、わたしは息をすることすら忘れたように蹲る。

見慣れているはずの、長い間生活をしてきたはずのわたしの部屋は、何故か今主であるわたしによそよそしく冷たくて。まるで深海に沈んでいるよう。

世界は灰色と黒に染まって、モノクロにすらならない。



「何よお、中々元気そうじゃないの」
 

いきなり玄関のチャイムを鳴らした中学時代の友人は、アイスの入っているらしいコンビニ袋をガサガサと揺らしながら我が物顔で家に侵入してきた。

今あまり人と関わり合いになりたくない気分なんだけど、と思わず眉間にしわが寄るけれど、文句を言うのも億劫で、仕方ないと諦めてそのまま受け入れた。


「…来るなんて聞いてなかったけど」

「言ってなかったもの」
 

当たり前でしょ?けろっと彼女は言って、お邪魔しまーす、なんて言いつつわたしの部屋へ入る。
慣れた仕草で壁を手で探って電気を点けた。

久々に煌々と部屋を照らす明かりは眩しくて、わたしは思わず目を細めて手で目元を覆う。明るいのは嫌いだ。


「ちょっと、空気が淀みまくってるんだけど。空気入れ替えてなかったでしょ?」


顔をしかめてから分厚いカーテンをしゃっと開き、彼女は窓を開けた。

むわっとした熱気と生温い空気が一緒に入って来る。そういえば久し振りに外の空気を吸った。

それから彼女はミニテーブルに袋を置いてアイスを取り出す。バニラとチョコレート。友人は有無も言わさずにバニラをわたしに寄越した。

一瞬目を見開き、そういえばゆっこはわたしの好みを大体は把握しているんだったなと思い出した。


「はい、スプーン。とりあえず溶けるから食べよ」


差し出されたそれを受け取り、ほんの少しだけ溶けかかっていた氷菓子を口に運ぶ。その甘さと、冷たい味の裏に隠された彼女の気遣いに泣きそうになった。

お互い連絡すら途切れていたというのに、どうしてゆっこはこんなにもわたしのことを知りつくしているのだろう。


「…ありがと」

「いいえー。っていうか久し振り」

「うん、久し振り」

「中学卒業以来よねー。だいぶ雰囲気変わったじゃない」


…正直、中学時代の時のわたしと今のわたしは雰囲気が変わったなんて一言じゃ表現しきれないだろう。

だって、昔のわたしは自分で言うのも何だけれど、もっと溌剌としていて、そしてみんなの真ん中に立ってリーダーシップを取るような。

…そんな子だったんだ。


それでもその言葉だけ使う、彼女の判りにくい優しさ。それが痛いくらいに心に沁みて。


「…ゆっこは変わんないね。羨ましい」

「そうー?自分じゃ判んない。客観的に見られるものじゃないしねえ」
 

チョコアイスを口に運びながら、後半は殆ど独り言になりながら彼女は呟いた。そして、あ!と何かに気付いたように彼女は声を上げる。


「ねえ、久々の再会だしさ。積もる話もあるけどまずは想い出話に花を咲かせるのもいいんじゃない?」

「…つまり?」

「卒業アルバム、見ようよ」


にっと悪戯っぽく笑い、わたしの部屋の配置をほぼ完璧に把握している彼女はわたしより早くそれを引き出して来る。

部屋全く変わってないのねー、なんて感慨深げに呟いて、彼女はそれを開いた。


「うっわ懐かしい!ほらほら、みんな幼いー」

「ほんとだ。あ、でもほら、やっぱりゆっこ変わってないよ」

「えー、アンタこそ見た目は大して変わってないでしょ、ちょっと髪伸びたくらいじゃない?」


そんなことを話しながらゆっこは次々とページをめくる。

授業風景を撮っているはずなのにさりげなくカメラに向けてピースをしている男子を見付けて、二人で馬鹿だねと笑った。

その頃はまだ鮮明にわたしの頭にこびりついていて、想い出とするには鮮やかすぎる。


「これって古典の授業中じゃん。百人一首?かな」

「んー、多分…」

「アンタ古典昔っから苦手だったよねー」

「煩いなー、ゆっこは昔から英語駄目だったじゃん、日本人なのに必要ないとか言ってさ」

「今でも思ってますけど。日本から出ないから英語なくしてほしいね」


そんなことを言いつつページをめくっていればすぐに写真が掲載されているページは終わってしまって。

将来の夢やら何やら、そんなことが書かれているページをぼんやり眺めた。自分の『小説家になる!』の字を眺めて、この頃は良かったよなとぼんやり思う。

毎日笑っていたんだよね、この頃は。学校に行くことだって楽しくて仕方なかった。
友達だっていて、夢を語っても嘲笑われることなく、ノートに書き綴った文をみんなが回し読みして、褒めるだけじゃなく、本が好きな子はアドバイスだってくれた。

適当に他のクラスのページもめくっていき、最後の方に何かが挟まっていることに気付く。それはクラスで寄せ書きをした色紙だった。…そうだ、仕舞う場所がなかったから一緒くたにしておいたんだ。


「あー、寄せ書きだ。あたしも見たいー。あゆのはどんなの書かれてるのか」


あたしのなんて男子のコメントからかいが多数で酷かったんだから、とわざと怒った調子で言うゆっこに、久々に小さく笑いが漏れた。

ぐるりと円を描くようにして細かい字で書かれたそれを一つ一つ読んでいく。


『遠い学校になっちゃったからちょっと厳しいけど、また集まって馬鹿やろうね!』

『あゆは真面目だしキツイこと言うから誤解されやすいけど、実は一番頑張り屋だよね。お互い違う環境でも頑張ろう!!』

『今までありがとう。ちょっとうぜーなって思ったこともあったけど、クラスまとめてくれて、結構感謝してます。』


最初に読んだその三つだけで、もう、駄目だった。涙腺が耐えられない。ボロボロと大粒の涙が零れ、せめて声は出さないようにと唇を噛み締める。

ゆっこはそんなわたしを見て見ぬふりをしてくれて、コイツ字ィ汚いなーなんて笑う。そんな友人の気遣いすら、今のわたしには涙腺を崩壊させる一因にしかならない。

高校は、思っていたよりずっと、たくさんのことが思い通りにならなくて。辛い言葉が飛び交って。
それに対して反抗していれば、気付けば周りに人はいなかった。仲良くなれていると思っていた子ですら、さりげなく視線を逸らす。辛かった。でも泣いたら負けだと必死で唇を噛み締め拳を握り締めた。

それなのに、人の優しさに、温かさに触れただけでこんなにも簡単に涙腺は緩んでしまった。まだセピアに染まっていない瑞々しい記憶の中の仲間たちが底抜けに明るい顔で笑っていた。


「…あゆはさ。ただ、頑張っていただけなんだよね。必死になっただけなんだよね」
 

ポツリ、と呟かれた一言に更に涙が溢れかえり、頷くことすら出来なかった。


「辛いよね。あたしもさ、結構色々あったよ。…でもさ、逃げたら何も解決しないよ、あゆ」

「………ッ、うん、うん…ッ」

「大丈夫だよ、あゆは一人じゃないよ。あたしだって、ほら、コイツらだっているじゃん。…大丈夫だよ」


『大丈夫だよ』。自分がどれだけその言葉を必要としているか、やっと理解出来た気がした。


   ***


「…んじゃ、あたしそろそろ帰るわ」

「うん、…家まで送るよ」

「ええー、いいわよ別に。結構近いじゃん。まだ時間も早いしさ」

「いいの、外に出たい気分なの」

「…なら、お願いしよっかな」


パッと明るく嬉しそうに笑った彼女の顔で、どれだけ心配を掛けていたのか、やっと気付いた。有難さと申し訳なさでいっぱいになる。
 
Tシャツと短パンから剥き出しになった腕やら脚やらに絡みついてくるような湿気を含んだ熱が、今は逆に心地よくすら感じられて。
 
夏まっただ中ということでやっぱり暑い。歩くたびに汗が滲み出てくる。けれど足取りは今までにないくらい軽くて、このままどこまでも歩いて行ける気がした。
 
少し遠回りしようか、と微笑んでのゆっこの提案に頷いて、ゆっくりゆっくり慣れた道を歩く。

そんな中、不意にゆっこが空を仰いだ。


「…あ、見てみて、あゆ。空」

「ん?……あ、飛行機雲」

「綺麗にライン描いてる。あゆ、昔から好きだったよね、飛行機雲」

「うん。好き」


まだ明るい空にすっと一筋の線を描く飛行機雲はやたらと綺麗で。
それを眺めて、自然と歩みが遅くなった。真っ直ぐにラインを描く白い線。

細いのに、今にも消えそうな儚いものなのに、その真っ直ぐさは何故か、どこか力強くて。


「…ねえ、ゆっこ」

「ん?」

「笑わないでよ。…わたしさ、この前まで、世界が灰色と黒にしか見えなかったんだけどね。気付いたんだ」
 

世界は、わたしが思っているよりずっと綺麗で、優しい色をしていたんだね。そう言えば、ゆっこは少し目を見開いてから目を細めて、小さく頷いた。


「そうだね。汚いものもあるけど、それより綺麗なものを見付けて行けばいいんだよ」


透明に限りなく近い色をした透き通った青の中に一筋浮かぶその白いラインは、まるでわたしの後押しをしてくれているようだった。


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▼水島家キャラクター etc.……

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