nostalgia

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もういないあなたへ


『ね、見て、サナ』
 

満天の星空を指差して、幼い双子の姉が無邪気に笑う。≪煩わしい≫という言葉を知らなかった当時ですら、わたしはその笑顔を煩わしいものとして認識していた。


『ほら、あれが夏の大三角だー』

『…判んないよ、こんなに星があるんだもん』


 拗ねた口調で言って、幼いわたしは色とりどりの金平糖の中からオレンジの一粒をつまみだして口に放り込んだ。がりがりと噛み砕けば、人工的な甘味がする。わざとらしい甘さにわたしは眉を寄せた。

この味は嫌いだ。

小さい頃から苦手なこのお菓子はしかし、双子の姉のマナは「星の欠片みたいじゃない?」と、大好きだったのだ。


『そっかあ…でも、綺麗だよね』


 しばらくずっと星を見上げていたマナは、不意にこちらを向いた。大きな、綺麗に澄んだ色素の薄い瞳に自分の歪んだ顔を見た。そして彼女はその目を細めて笑う。


『わたしね、サナ。天文学者になりたいの。宇宙のことを調べたいんだ』


 まだ他のみんなには秘密ね、と言うマナ。…あの時の、カッと頭の芯が燃えるような感覚は今でも覚えている。頭に血が上る、という言葉を実際に体感したのはあの時が初めてだった。また、置いて行かれた。


『…知らないよッ、どうでもいい、そんなの!マナの夢なんて、わたし関係ないもの!』


 声の限り怒鳴って、わたしは立ち上がり駆けだした。サナ!とわたしの名を呼ぶマナの声を背に受けながら。サナ、違うの、待って!と縋るような声は今でも憶えている。
 
…夢は残酷だ。今ではこんなにその時のことを後悔しているというのに、あくまでも現実に忠実に、ただ事実をなぞって繰り返す。せめて夢の中でくらい振り返られたら。立ち止まれたら。

 何度も願ってやまないのに、夢の中でもわたしはマナの声を振り切って逃げだすんだ。

   ***

 双子なのに似ていないのね。昔からよく言われた言葉だった。

 似ていないと言ったって、わたしとマナは二卵生の双子だったのだから当たり前だ。なのに周りはそんなことはどうでもいいと言わんばかりにその言葉をわたしたちに浴びせかけた。…わたしはその言葉が大嫌いだった。

お人形さんみたいに整った顔立ちをしたマナ。運動神経がいいマナ。先生にいつでも褒められる、成績も生活態度も共に優等生のマナ。

彼女はわたしとは正反対だった。だからこそ、彼女と較べられることはわたしにとって屈辱以外の何物でもなかったし、それはわたしの根が深いコンプレックスとなっていった。
 
そして同時に、マナはわたしにとって恐怖の対象となっていった。マナがいたら、出来が悪いわたしなんて要らないのではないのか。本当は誰にも必要となんてされていないのではないのか。
 それは子供からしたら残酷すぎることで、そしてわたしの親は知らずのうちにではあろうが出来の良かったマナを贔屓することが多かった。だからこそ、わたしはマナが恐くて憎くて堪らなかったのだ。消えてしまえばいい、と願ったことだって一度や二度じゃない。

…もしかしたらアレは、そんなわたしに怒った神様が下した天罰だったのかもしれない。でもそれならば、直接わたしに対して下してくれれば良かったのに、と何度思ったかもしれない。
 

小学四年生の時だった。わたしたちの家族は毎年夏休みには父方の田舎に行くことが暗黙の了解みたいなものだったので、その年も当然のように一週間程そこに滞在する予定でいた。

今でもハッキリ憶えている。あれは蒸し暑くて少し寝苦しい、晴れた夜のことだった。眠れずにゴロゴロ寝返りを打っていたわたしの背中を、マナがつんつんと突いてきたのだ。


「…何?」

「ん………サナ、眠れないの?」

「まあ、そうだけど…」

「じゃあさ、ちょっと、付き合って?」


何に、と訊いても、彼女は小さく笑ってちょっとねと答えるだけだった。マナの言うことに従うのも癪だったけれど、正直気になったことは確かだったので、仕方ないなと渋々の体を装ってわたしは布団から抜け出た。
 
Tシャツと短パンに着替え、虫除けのスプレーをしてから、こっそりと家を抜け出して。マナは用意周到に、青いビニールシートまで持っていた。


「ねえ…どこ行くの?」


灯りがないとは言え、その分月や星が明るかったので、そこまで恐くなかったのを憶えている。けれど、マナが何も言わずに山道に入っていくせいで、ひどく不安だった。


「ん…ちょっとね。うん、ここら辺でいいかな」


そう言って、マナはビニールシートを広げた。そこの上に腰を下ろし、サナも座りなよとニッコリ笑って自分の隣をパタパタ叩いた。
従うのも癪で、わたしはマナから少し距離を取って腰を下ろした。

マナはそんなわたしに寂しげに笑って。そしてポケットから、昼間おばあちゃんから貰った金平糖の袋を取り出して食べ始めた。
それから、ほら、見て、といつもより興奮からか高くなった声で言って空を指差す。

言われた通りに空を見上げれば、そこは見たこともないくらい満天の星空で。月もいつもの自分の街で見るより遥かに大きく、そして輝いて見えた。そして、見たことのない数の星たち。星の大洪水。そんな風にすら思えた。


「すごい……」


思わず声を漏らせば、でしょっ?と誇らしげな声。認めたくなくて、わたしは無言のまま金平糖を適当に二粒ほど口に放り込んで噛み砕いた。


「綺麗だよねえ…」


魅入られたようにうっとりと夜空を眺めるマナの横顔は月光に照らされて、子供だなんて信じられないくらいに美しく映った。少し、恐ろしい程に。

山とは言え、夏だと言うのにぞくっとした寒気にも似たものが背中に走った時のあの不快感は、今でも忘れられない。
それ程までに、あの時の彼女は綺麗だった。今、思い出してみても。


「ね、見て、サナ」


いつも年齢不相応なくらいの落ち着きを見せるマナがはしゃいだ声を上げるのを、わたしはあの時以外に今でも思い浮かべられない。


「ほら、あれが夏の大三角だー」

「…判んないよ、こんなに星があるんだもん」


ボリボリ、と金平糖を噛み砕く音が自分の口内で響く。拗ねたようなわたしの台詞に、ふっと小さくマナが笑った気配がした。


「そっかあ…でも、綺麗だよね」


マナの言葉に、わたしは答えない。彼女も返事を欲していたわけではないようで、また星を眺めている。
しばらく間を空けて、次の台詞は放たれた。


「わたしね、サナ。天文学者になりたいの。宇宙のことを調べたいんだ」


まだみんなには秘密ね、とマナは恥ずかしそうに唇に右の人差し指をそっと押し当てる。その仕草を見て、頭にカッと火が着いたような気がした。…また、マナは、わたしの先を行く。

まるで彼女に追いつけないわたしをせせら笑うように、いつも。


「…知らないよッ、どうでもいい、そんなの!マナの夢なんて、わたし関係ないもの!」


声の限り怒鳴ったその叫びは、静かなその夜を切り裂くように反響する。マナに背を向けて、全力で走った。慣れない山道に足を取られながら、何度も転びそうになりながら。

サナ!と焦ったようなマナの声。サナ、待って、違うの!……一体何が違うの。マナ、アンタは一体何が言いたいの。

彼女の声を聞きたくないと必死で走って、やっと山から出た。人通りは少ないものの、たまに車を見掛ける狭い道を必死で駆ける。マナが後を追いかけてきていたのは知っていた。だからこそ、追いつかれないように必死だった。

   ***

………後のことはよく憶えていない。ただ判っているのは、わたしのことを追って走っていたせいで周りが見えていなかったマナは、急に出てきた車に轢かれ、死んでしまったということだけだ。

わたしは、自分の姉を、殺したんだ。

でも、ねえ、マナ。あなたはあの時、そんなに必死になってまで、わたしに何を言いたかったの?

   ***

「ええっと…駄目だ。やっぱり星が多すぎるな…んー、あれが夏の大三角…?」


地面に敷いたビニールシートの上に寝ころんで、わたしはそんな独り言を呟いた。そっと金平糖をつまんで口に入れる。やっぱりこのわざとらしい甘さは嫌い。

どうしてマナはこんなものが好きだったんだろうか。

やっぱり、『星の欠片』だったから?………彼女がいない今、もう確認出来ないそんなことに想いを馳せた。


「マナはどうしてあんな歳で見分け付いたんだろ…」


ボンヤリと星空を眺めながら、わたしは呟く。返事はどこからも返ってこない。

…あれから。わたしが、マナを殺した、あの時から。もう、何年も経った。わたしは毎年、ここに来ている。

あの時、マナと二人で来たこの場所で、夜空を眺めては、夏の大三角を探しているんだ。大嫌いな金平糖をつまみながら。


記憶をなぞって、そんなことに意味があるのかと問われれば、わたしは答えを持っていない。だって自分にもこの行動の意味は理解できていないのだから。

…それでも、わたしは何年もこれを繰り返している。正確には、十六歳になってから初めて一人でおばあちゃんの家に泊まりに行ってから毎年、だけれども。

この行動には、前記の通り、意味なんてない。ただ強いて言うのなら――知りたいのだ。理解したいのだ。あの時、マナが何を思ってわたしをここに連れてきたのか。わたしに、何を言いたくて、走るわたしを追い掛けたのか。

それが判らなくて、理解したくて…だからわたしはこれを何年も繰り返す。星の洪水も、月の輝きも、変わることはない。


『サナ』


不意に、名を呼ばれた気がして、わたしは辺りを見回した。でも勿論、周りには誰もいるはずがない。それでも、わたしの耳にこびりついて離れないその声は、何度もわたしの名前を呼ぶ。リフレイン。


『サナ』


「マナ………」


目を閉じて、双子の姉の名を呼んだ。すると、わたしの名を呼ぶその幼い声に、微かに笑みが混じった気がした。止まらないリフレイン。離れない、声。


「マナ………」


いつか。あなたがわたしに告げたかったその想いを、知る日が来るのでしょうか。


「マナ………」


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▼水島家キャラクター etc.……

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