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自分嫌い症候群
「自分が、嫌いなんだ」
綺麗な黒髪を風に遊ばせて、僕より数歩先を歩く彼女の、ふらふらと危なっかしい子供のような足取りを眺めていれば、意識せずして言葉は口から零れていた。それは特に彼女の答えを求めていたわけではなくて、宛先をわざと書かなかった手紙にも似た、謂わば独白であった。
しかし彼女は僕の意に反し、彼女は歩みを止めるとこちらをくるりと振り向いた。小さな形の良い顔の中に在る、黒曜石を思わせる大きく潤んだ瞳はやはり印象的で。そしてそれは何よりも純粋に煌いて、こんな僕が映るだなんて恐れ多く思えてくるほどだ。
僕の中で彼女の存在はあまりにも尊くて、手に触れることはおろか、恋焦がれることすらも罪と成る。
「……そっか」
彼女は一言だけ、そう呟いた。声は透き通り、鈴の音のように軽やかに美しく響く。至上の音楽のようだと僕は思う。
「……呆れた?」
「別に。薄々察してはいたし、自分のことが大好き! なんて大手を振って言える人の方が、少数派だとわたしは思うし」
「なぁんだ」
「なに、呆れて欲しかったの?」
「少しね」
「どうして?」
「内緒」
だってそうしたら、君の中で僕は、『呆れ』という感情を贈ってくれる程度の人間ではあるということになるじゃないか、なんて。変なの、と小さく笑う彼女に、言えるわけもない。気持ち悪いと思われたくないだけ、だけれども。
彼女がまた歩みを再開したから、僕も真似をして、ゆっくりとまた足を前に進め出す。もどかしいほどのその速度は、正直わざと。彼女と歩くときにはわざと歩みを遅くして、彼女の二歩後ろを歩くんだ。彼女の隣に並ぶだなんておこがましい思いもあるけれど、何より一番は、彼女がさっきみたいにわざわざ振り向いてくれることが、嬉しくて。
歩くの遅いね、マイペースさん。そんなことを言う彼女は、きっとずっとそのことには気付かない。それでいい。そのままで、いいんだよ。君は知らなくていいんだ。こんな気持ち悪い僕の真意も、気持ち悪い僕の想いでさえも。全部呑み込んで笑って見せるから、もう少し君の近くに居させておくれ。
……嗚呼、やっぱり僕はおかしな奴だ。自嘲じみた笑いが洩れて、僕は念を押すように、もう一度嫌悪を吐き出した。
「やっぱり僕は、自分のことが嫌いだよ」
[mokuji]
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