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殺戮の姫君


 分厚い灰色が空を覆い隠し、星屑はおろか、月ですらも曖昧にその所在が知れるほどぼんやりとした光しか発さない、あまりにも薄暗い夜のこと。その事件は、とある公園で起こったのだった。

 公園――しかし、そこを公園と呼んでいいものであろうか? 遊具と呼べるものは殆どなく、辺りには民家が一軒も見当たらない。周囲には鬱蒼とした木々が生い茂り、そこに入ってしまえばまず人の目には触れないだろう。灯りはといえば、お情け程度に設置されている、ちかちかと頼りなさげに点いたり消えたりを繰り返す街灯が一つきりである。そこはあまりにも不気味であり、公園という単語の持つ健全なイメージからは程遠いと言えた。しかし草木も眠る丑三つ時、そんな場所へと一人の男が足を踏み入れたのである。
 年の頃合いは二十代半ばほどか、そこそこ端整な顔立ちをしている男だった。腕に嵌められた外国ブランドの腕時計が、彼が唸るほどに金を持っていることを示す。しかし彼の取る一挙一動はあまりにも品がなく、浮かべる表情もどこか軽薄で、一瞥すれば見て取れるような傲慢さが張り付いているようだ。男は公園の奥に佇む一人の女を見つけると、小さく舌打ちをして彼女に近付いていった。


「おい、ヒメコ。どういうことだよ、こんな薄気味悪いところに呼び出しやがって」


 その声に、ヒメコと呼ばれた女はゆるりと彼に視線を向けた。男を見ると、彼女は涼しげな金色の瞳を優しげに細める。真っ赤なルージュを引いた口元を妖しく笑みに歪ませていた。「あら」と短く言葉を紡いだ声は多少ハスキーであった。吐息を吐くようにして気だるげに発されたことも手伝って、薫り立つような色香を孕む。男はそれに呑まれたように、小さく喉仏を上下させた。


「お久し振りね、リョウ。元気だった?」

「……い、いきなり連絡を取れなくしておいて何を言っているんだ。半月も放置しやがって、このクソ女」


 男ははっと自分を取り戻したかのように目を見開くと、早口に捲くし立てて彼女を罵倒した。しかし女は特に気にした様子もない。ただにこやかに笑んだまま、彼の罵倒を受け流しているだけだ。その余裕さに更に腹が立ったのか、男は更に捲くし立てる。


「調子に乗るなよ、ブス。こっちが遊んでやっていたっていうのに恩知らずが。いいからさっさとこんなところに呼び出した用件を言えよ、こっちだって暇じゃないんだ」

「あらあ、それはごめんなさい? それでは手短に、と言いたいところなのだけれど……生憎そうも行かないのよねえ。心苦しいわ」


 持っていた小さなバッグへと手を滑り込ませ、何かを取り出すと、彼女はどさりとバッグを地面に落とした。そんな予想外の行動に男は怪訝そうに顔をしかめる。そして彼女が握る、真っ直ぐ自分へと向けられているものが何なのか見極めようと目を細める。そのときまるで図ったように、月を隠していた雲が晴れ、月光が二人へと降り注いだ。そのおかげで男は、恋人が握るそれが何であるか、きっちりと把握することが出来た。苛立ちを宿していた瞳は大きく見開かれ、今は恐怖と混乱を映している。がちがちと奥歯を鳴らし、彼は腰を抜かして地面にへたり込んだ。あ、あ、と意味のない音が喉から洩れる。その様子を楽しむように、女はくつりと喉の奥で笑う。かちりと小さく音がした。
 女の持つ、黒光りするそれは、紛れもなく拳銃であった。銃刀法違反を定めているこの国で、一体どうやって入手したのかは判らないが、彼女は酷くそれに慣れているようだ。どうやら先程のかちりという音も、安全装置を外した音であったらしい。


「リョウったら、そんな風に腰を抜かすなんて、サプライズ成功ってところかしら。ふふっ、嬉しいわあ。ねえ、たーくさん、楽しませてくれるわよね?」


 甚振るように、女は男への距離を詰める。じりじりと後退する彼を追い詰める女の口元には、先程の笑みとはまた違う、愉しくて仕方ないとでも言うような、残酷に無邪気な笑みが浮かんでいた。獲物を追い詰める肉食獣のような笑みである。ぺろりと彼女は舌なめずりをする。それから驚くほどに素早く男の両腿を撃ち抜いた。
 乾いた発砲音と、銃口から立ち昇る硝煙。男は喉も裂けよと言わんばかりに絶叫し、苦痛にのたうち回った。鮮血が飛び散って、その色は恍惚としてしまうほどに鮮やかである。周囲に血の匂いが篭る。生臭く鉄臭いその匂いに、女はこくりと生唾を飲んだ。


「ふ、ふふ、、いいわ、いいわあ、最ッ高よ、たまらないわね……ふふ、あはっ……」


 耐え切れないとでも言うように、女は薄い唇の隙間から、狂った笑みを響かせる。あまりにも妖艶で恐ろしい笑い声であった。彼女は赤いピンヒールで地面を踏み締め、きっちり、きっちりと一定間隔を保って男に近付く。地面がコンクリートで固められていないためか、ピンヒールは高らかにかつんと鳴ることはない。ふっと彼女の表情が一瞬不満そうに歪められたが、何とか逃げようと必死に両腕で地面を掻く男を見ると、その不満もどこかへ吹き飛んだようだった。
 男の足の穴からどくどくと絶え間なく流れた血で作られた水溜りに足を踏み入れて、女は悶え苦しむ男を眺めては愉悦に浸る。しかし女が瞳を愛しいものを見るように細めた次の瞬間、彼女は男の上に馬乗りになっていた。必死に抵抗する男の腕を地面に縫い付けるように押し付け動きを止めると、彼女は熱烈なキスを贈る。彼の舌を絡め取っては吸い付き、歯の裏側を丁寧になぞっては愛撫する。静かな水音が二人の唇の隙間から洩れた。

 どれほどそうしていただろうか。べったりと男の口元にルージュをつけて、女は気が済んだのか顔を離した。微笑みながら男の顔を覗き込む。男の目の奥は、めらめらと憎悪の炎で燃えていた。それがまた女の興奮を煽ったのか、女は恍惚とした顔で眺めている。しかし名残惜しげな様子を見せながら立ち上がった。そして今度は思い切り、男の腹をピンヒールで踏みつけたのである。ぐえっと粘着質な声が男から発される。彼女は気にもせず、尚もぐりぐりと踏みつけた。それから再び狙いを定めて銃口を男に向ける。次に穴が開くのは、男の心臓の真上である。


「この三ヶ月――長かったわあ。あんたは大して面白みがある人間でもないし、デートも苦痛で仕方なかったのよ? ベッドの上でだって独り善がりの下手くそで、よがる演技をするのがどれだけ大変だったか。でもその甲斐があったってものかしら。ねえ、だって、こぉんなに可愛く鳴いてくれているんだもの、ね?」


 ぐりぐりと踏みつけながら、しかし決して引き金を引かないまま彼女は一人で熱に浮かされたように語り続ける。瞳の焦点は合っていないため、より狂気がはっきりと映し出されているようだった。男はそんな彼女に恐れおののきながら、ひたすらに逃げようともがく。しかし「動かないで頂戴よ」と体重を乗せて腹へと一撃を落とされて、その痛みに喘ぐしかなくなった。


「私ねえ、あんたみたいに、頭が空っぽで、傲慢で、自己本位で、自分が世界の中心だと疑いもしない、そして欲深い、クズみたいな男をこうして嬲り殺すのが大好きなのよ。別に正義の味方を気取っているわけじゃないわ。ただ、愉しくてたまらないの。ねえ、今どんな気分かしら? ただの遊び相手だと見下していた女に生殺与奪権を完全に握られているってどんな気分? 生きたいかしら? なら、私の足でも舐めて許しを請うてみる? ……ふふ、でもどんなに命乞いをしたところで、私はあんたを殺すわよ。あ、そうそう、勘違いしないで頂戴ね? 私は別に、あんたが憎いわけではないの。むしろ今あんたが世界でいっちばん愛しいくらい。ふふ、ふふふ……」


 女は、笑う。男の顔色は青ざめるを通り越し、どんどん土気色に近付いていた。おそらく多量の出血が原因だろう。それすらもおかしいというのか、女の笑みは深まるばかり。しかしふと、女は笑い疲れたように表情を消した。それから何も言わずに、銃口の位置を変えぬまま、無感情に引き金を引く。心臓の真上に鉛が打ち込まれる。びくりと男の身体はそれに反応して跳ねた。しかしまだ微かに息はある。だが女は無情にも、今度は男の脳天へと銃を向けた。


「冥土の土産に教えてあげる。私、ヒメコなんて名前じゃないの。あんたみたいな男なんかに本名を呼ばれたくないから偽名を使っているだけよ」


 女は目を眇める。引き金に掛けられた細い指にぐっと力が篭められた。


「私の名前は、姫野。――姫野蘭香、っていうのよ」


 本日数回目の発砲音。鉛は簡単に男の頭部を吹き飛ばし、脳漿をぶちまけさせた。そして今度こそ、男は完全に絶命する。ふ、と女は嘲笑し、口の端を僅かに吊り上げる。男の胸ポケットからスマートフォンを、尻ポケットから財布をするりと抜くと、自分が持ってきたバッグを拾い上げてその中へと仕舞った。それから何でもないような顔をしてその場を後にした。そこに残るは、シトラスにも似た、硝煙の香り。花火が打ち上げられた際に香るような、火薬の香りである。

 嫌というほど血に濡れて、殺戮に魅入られた姫君は、硝煙の香りを身に纏い、獲物を探して今日も見知らぬ男に微笑みかけるのだった。


殺戮の姫君
「――今度はどんな男を極限までアイして殺してやろうかしらね?」

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▼水島家キャラクター etc.……

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