卒然モーニングコール



「寝坊した! 綱吉さん! 寝坊!」


 聞き慣れた心地良い高音で、沈んでいた意識がゆっくりと浮かび上がってくる。閉じた瞼を刺す朝日が眩しい。「起きて起きて!」瑠璃ちゃんはそう言ってオレの身体を軽く揺すってから、軽くスプリングを軋ませてベッドを降りていった。

 そんな声で目を覚ますのも、揃って朝に弱いオレたちがこうして揃って寝坊するのも。あまり喜ばしくないけれど、決して珍しいことじゃなかった。
 ああまたやっちゃったなと、軽くおでこに手を当ててから伸びをする。隣にかすかに残った温もりを探りながら、ゆっくりと起き上がった。


「んえ、瑠璃ちゃん、いま何時……?」
「7時半!」
「出るの8時だよね? 朝ごはんはあっちで食べるしそんなに焦んなくても……」
「そう言っていっつもギリギリか遅刻でしょ!」


 ぱたぱたと部屋を走り回る瑠璃ちゃんの、すこし跳ねた髪を目で追いかける。呑気にあくびをひとつ溢すと、「もう!」と軽く睨まれてしまった。




 顔を洗ってから戻ってくると、わかりやすいところにハンガーが掛けてある。「シャツ出しといたよ」と、物陰から顔だけひょっこり覗かせた瑠璃ちゃんは、その奥できっとお着替え中だ。いつもこうして彼女は隠れていて――こんな仲なんだし着替えくらい今更隠さなくても、そう思っているけれど、そんなことを言えばきっとまた怒られてしまうので黙っておく。


「ありがとう、かわいい秘書さん」
「かわ……は、はやく着替えてください」


 すこし照れたような素振りを見せてくれたけれど、あっさり瑠璃ちゃんは引っ込んでいってしまった。
 唇を尖らせながら「つれないなあ」なんて呟いて、シャツをハンガーから外してみた、けれど。なんかこれ、小さくない? ちょっとシルエットなんかも違うような気が……。首を傾げたその時、「あっ、間違えちゃった!」と声をあげて、棚の陰から瑠璃ちゃんが飛び出してきた。

 さっきのオレの言葉通り彼女はボンゴレボスの秘書でもあって、毎日パンツスーツを着こなして働いてくれている。そしてオレも、偶にカラーシャツを着ることはあっても、ほとんどが白いシャツにネクタイを締めるようなスーツスタイルだった。
 つまるところオレたちが着ているものは、一見すれば同じ白いシャツと言って差し支えない。よく見ればいろいろな部分に違いはあれど、焦りに焦っていた彼女はそれを見落としていたらしかった。


「あ……」


 つい、声が漏れる。『間違えちゃった』それを、瑠璃ちゃんはもう着てしまっていた。

 袖を通した時点で気付いたんだろう、そのずいぶんとぶかぶかな白いシャツを羽織っただけの格好で、目の前に立っている。袖は余り放題で指先まで隠れて、裾だって太ももの真ん中あたりまで届いていた。
 ……そう、太もも。着替え中だったのだからなんら不自然ではないけれど、オレのシャツの下に身につけているのは、キャミソールに下着だけ。そんな状態で、彼女は余った袖を見遣っている。


「これ、綱吉さんのシャツだよね。ごめんね、そっちが私のかな?」
「う……ん、そう、多分そう」


 言い訳、だけど。惜しげもなく晒されたその脚を、明るい場所ではっきりと見ることはそうそう無かったから。白くて細くて、けれど柔らかそうなその太ももについ視線を奪われてしまって、身体に熱がこもる。
 誰だよ、着替えくらい今更隠さなくても、とか言ってた奴。オレかよ。隠してもらわなきゃこんなにも動揺するくせに、よく言うよ。

 兎にも角にも、時間に追われている瑠璃ちゃんはきっとまだ気付いていないんだ。自分の格好とか、その、いわゆる彼シャツなシチュエーションに。気付けば彼女が真っ赤になることは容易に想像できたし、オレが動揺していることだって知られたくはない。
 どうすればこの場が収められるか必死に考える。多分、彼女が出てきてから、時間にして10秒足らず。
 考えたけど、間に合わなかった。


「ひゃ……」


 目を見開いて、それから声にならない悲鳴みたいなものをあげた瑠璃ちゃんが、みるみる真っ赤になっていく。ああ、やばい、気付いちゃった。
 慌てて前を閉じるみたいに引っ張って、露わになった脚を隠すみたいに裾を伸ばしはじめた、けれど。なんか、ダメ。ダメです。目に毒すぎる。もちろん良い意味で、だけど。

 慌てて彼女に駆け寄って、その肩を掴んでくるりと回した。オレに背を向けるみたいになった瑠璃ちゃんを、ずんずん棚の陰に押し込んでから、持っていたひとまわり小さなシャツをそっと渡す。


「見てない! 大丈夫! オレ全然見てないから着替えておいで!」


 瑠璃ちゃんの返事もろくに聞かずに、そのまま洗面所に駆け込んだ。落ち着こう、落ち着いて、オレ。昨夜だってもっと凄いことしてるじゃん。ああ、いやそうじゃなくて。

 顔をばしゃばしゃ洗いながら、身体小さかったなとか、脚きれいだったなとか、真っ赤になって可愛かったなとか、そんな邪念をなんとか振り払っていく。
 ひと通り顔の火照りが冷めたところで、タオルでごしごしと顔を拭って、それから鏡の中のオレと目を合わせた。前髪に残った小さなしずくが、微かにきらめく。


 あれ、今の。もしかしなくても据え膳か。




20201021
#復活夢版深夜の真剣創作60分一本勝負
お題「彼シャツ」


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