猫を被っておやすみなさい


 世間ではハロウィンだなんだと盛り上がっていたけれど、特になにをすることもなく1日が終わってしまった。
 ためしに仕事中、秘書の瑠璃ちゃんに「トリックオアトリート」なんて定番の挨拶をしてみたけれど。「はい、ボス」なんて、普段呼ばない呼び方に加えて、にっこりキラキラの笑顔で飴玉を渡されてしまったものだから。このイベントに乗っかっていたずらをしてやろうなんていう魂胆は、オレのかわいい恋人にはバレバレだったらしい。

 
「そろそろ帰ろっか、って、あれ?」


 書類やら筆記用具やらの片付けを済ませて、瑠璃ちゃんに声をかけたつもりが。彼女は同じ執務室の中にいたはずなのに、いつの間にか姿を消していた。すこしだけ不安になって「瑠璃ちゃん? どこ?」なんて呼んでしまうと、「い、居るよ」なんてちいさな声が、おそらく備え付けの給湯室の方から聞こえてきた。


「ん? どうしたの瑠璃ちゃん」
「あっ、まって、ストップ」
「え?」


 声のする方に足を進めようとすると、予想外の制止がかかって。「やっぱり待ってて」なんて焦った、けれど深刻にはきこえない声色で言葉が続いて……ちょっと、悪戯心が湧き上がってきた。


「瑠璃ちゃん、なんか隠してるでしょ」
「あ、や、そういうんじゃないよ」


 まってね、今行くから、なんて声を聞き流しながらそーっと歩み寄って。部屋同士を隔てるカーテンを、そのまま勢いよく取っ払ってやった。


「あ、こら、綱吉さん……!」
「…………ふーん」


 カーテンに背中を向けていた瑠璃ちゃんは、首の後ろに手を遣っていて……ネックレス、じゃなくて。ああそう、確かこういうの、チョーカーっていうんだっけ……首に巻いたそれを、たぶん外そうとしているところだった。
 横にあるテーブルには、黒いカチューシャが置いてある。ふわふわの耳がくっついた、実に可愛らしいもの。


「……何しようとしてたの?」
「いや、ううん、全然なんでもなくて、その……」


 まってね、なんて言いながら、後ろ側についた金具を細い指で摘もうとする瑠璃ちゃん。焦っているのか手元は狂っていて、一向に外れそうにはなくて。気付いたら、その手首を掴んでいた。


「オレが外してあげる」


 え、なんて小さくこぼした瑠璃ちゃんの肩をつかんで、くるりと回す。チョーカーについていた金色の鈴が揺れるけど、音はしない。どうやらそういうつくりらしいけど、やたらと鳴るものだと気が散ってしまうかもしれないし、オレとしては鳴らない方がいいかもな。何とは言わないけど。
 少しふらつきながらも向かい合ってくれた瑠璃ちゃんの、その潤む瞳を一瞬のぞき込んで。「貸してごらん」と、抱きしめるようなかっこうで首の後ろに手を回した。

 ……もちろん、外すつもりなんかないけど。本当に外してあげるなら、後ろを向かせたまま続けた方がいいに決まってるし。でも、素直なのか戸惑っているのか、瑠璃ちゃんは固まったみたいに動きを止めてしまうから、指先でするりと首筋を撫ぜてやった。


「ひ……っ、綱吉、さん……?」


 瑠璃ちゃんの動きに合わせて、また小さな鈴がゆれて、給湯室の真っ白い照明をはねかえした。猫耳とお揃いの黒いファーに覆われたそのチョーカーは、白く細い首によく映えている。

 オレの記憶に間違いがなければ。これは確か、先週あたりに雑貨屋に足を運んだときに見かけたものだ。「もうすぐハロウィンだしこれ着けてくれない?」なんて言ったら、瑠璃ちゃんは赤くなって怒っていたっけな。
 半分くらい本気ではあったものの、瑠璃ちゃんがあっさり了承してくれるわけないとは思っていたし、諦めていたけど。たぶん瑠璃ちゃんは自分でこれを買って、オレのためにつけようとしてくれていたんだと思うと……やばい。かわいすぎる。頭を抱えそうになるのを堪えながら、耳元にそっと唇を寄せた。


「ね。瑠璃ちゃん、何しようとしてたの?」


 ふるふると小さく首を振るから、「教えてよ」なんて追い討ちをかける。耳まで真っ赤になっちゃって、かわいいなぁ。「……綱吉さんが」と始まる小さな声に「うん」と返事をしてあげると、遠慮がちに言葉が続いた。


「前に、つけてほしいって……言ってたから」
「覚えてくれてたの?」
「う……うん……で、その……ちょっとびっくりさせたくなったんだけど」
「でも、恥ずかしくなっちゃったんだ」


 そう……と、腕の中で項垂れる瑠璃ちゃんの髪をやさしく梳いてやると、「この歳でコスプレなんて……」と恥ずかしそうに呟くから。素早く置いてあった猫耳を手に取って、瑠璃ちゃんがなにか言う間もなく着けてやった。


「あっ、え、なにして」
「かわいいよ」


 すっごくかわいい。
 そう囁いてから、すっかり上気した頬に軽く唇を落とした。火照ったその温度が心地良くて、つい何度か口付けを繰り返してしまうと、瑠璃ちゃんは擽ったそうに肩を竦める。その間にも、頭にくっついた猫耳を外そうと手を動かすから、抱きしめてそれを阻止して。「ちょっと、」なんて抗議を無視して、「せっかく買ったんだから使おうよ」とふわふわの猫耳を撫ぜた。


「だってさ瑠璃ちゃん。着けて見せてはい終わり、じゃないことくらい、わかってたでしょ」
「あ、えっ、と……」
「だから、恥ずかしくなって隠そうとしたんだもんね」


 黙りこくってしまったその唇をかるく掠め取ってから、そのすべらかな頬を親指でゆっくりとなぞる。トリックオアトリートなんて、まどろっこしいことはもう訊かない。鳴らない鈴を指先で弄りながら、堪えきれずに自分の口角があがるのがわかった。


「いたずらさせてよ、瑠璃」



20201031


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