きらめく夜の切れ端で


 よろしければ一杯どうかな。突然日本語でそう声をかけられ振り返ると、爽やかな出立ちの青年がそこには立っている。けれど同盟ファミリーが集まるパーティー会場で、見覚えのない顔。誰だろう、ってつい身構えてしまったところで、私が口を開く間もなく「何か用かな」と。聞き慣れた声と一緒に人影が割り込んできて、ふっと肩の力が抜けてしまった。
「……ボンゴレ?」
「彼女に用があるのなら、僕を通してもらえますか」
 ボンゴレ、と呼ばれた彼――綱吉さんのことは知っているらしい相手は、私と綱吉さんを実に不思議そうに見比べていた。見たところだいぶお若いし、ボンゴレX世のことは知っていても、私のことは知らないのかもしれない。用≠ェある風でもなかったし、ここはとりあえず無難に立ち去っておいた方がいいかも、と綱吉さんに声を掛けようと、したけれど。
「えっと……なぜボンゴレが……」
「彼女は僕の婚約者なので」
 私が行動を起こすより先に話が進んで、綱吉さんはさらりとそんなことを言ってのけるから、つい身体を縮こめてしまった。
 ――婚約、というかたちを取ってしばらく経つというのに、いつまで経っても慣れないその響き。顔に熱があつまるのを止められなくて、そんな私の前で相手は軽く青ざめている。すると程なくして同盟ファミリーのボスが「うちの倅が申し訳ございません」と飛んできて、跡継ぎらしい彼は首根っこを掴まれ引き戻されていった。
「はあ、もう……ごめんね瑠璃ちゃん、ひとりにして」
 私の方に向き直った綱吉さんに「ううん」と返したけれど、しばらく黙りこくっていたせいで少し声が裏返る。……彼女は、僕の婚約者なので、って。いつもと違うよそいきの口調の、そんな声がまだ残っているせいかもしれない。何もかもを明らかに隠し切れていない私の顔を覗き込んで、ふっと笑ってみせた綱吉さんは、「そろそろ慣れてよ」なんて言ってするりと私の頬を撫ぜた。
「が、がんばる……」
「うん、そうして」
 そう言って軽く髪を撫でつけてから、「行こっか」と私の手を取るのかと思いきや、軽く触れあった手のひらは握られることなく離れてゆく。そうして、小指同士が触れて。まるで指切りをするみたいに絡められて、じわりと体温が伝わってきて、途端にまたきゅんと胸がへこむような心地がした。だってこれは、綱吉さんが照れ隠しをするときの癖。
 そっか、綱吉さんもちょっと照れくさかったんだ。たまらなく愛おしくなって、つい小さく笑いをこぼしてしまうと、気づいた綱吉さんが「笑わないでよ」って唇を尖らせてみせる。
「ごめんね」
「思ってないでしょ」
「そんなことないよ」
 甘いような酸っぱいような、そんなときめきを大切にしまいこみながら、ただあなたの横顔を見つめていられること。私は、こんな日々の積み重ねを幸せと呼んでいたいと思う。



◇ ◇ ◇





 ボンゴレボスが参加するパーティーとなると、つつがなく終わる方が珍しい。大なり小なり、いつも何かしらの問題が起こる。だからいつだってパーティーなんてものは億劫なのだが、ボンゴレのボスとはいえオレはまだ若造扱いで、ボンゴレ内部や同盟ファミリーの重鎮に誘われるとなかなか断れはしない。渋々出席して、当たり障りなく挨拶をして、なんてのがいつもの流れだった。
 問題というのは、主にボンゴレやその周辺の転覆を狙う敵対ファミリーの襲撃だった。けれどおおかた部下が大事になる前に制圧してくれて、パーティーが中断されるほどの騒動はめったに起こらない、はずなんだけど。今日は、というか今日に限って、仕掛けられた爆弾が会場の隅で発動して、そのまま大騒ぎの乱戦にもつれこんでしまったのだ。
 よりによって、あの子を――瑠璃ちゃんを連れてきた日に限って。余計なことに巻き込まないように、婚約者である彼女のことはあまりパーティーに連れ出すことはなかった。守護者と参加していれば周りにも文句は言われないし、戦えない彼女をゴタゴタが起こるような場にわざわざ連れ出す気もないわけで。けれど今日、あまり会えない同盟ファミリーのボスに挨拶をしておいた方がいいかもしれない、と連れてきたらこれだ。自分の判断ミスと、タイミングの悪さに苛立ってしょうがなかった。パーティー中だってたった一瞬離れた隙にナンパまでされてたし、ああもう本っ当に最悪。

 ボンゴレ勢力で制圧して、首謀者はオレ自身が見つけて屋敷の外に引き摺り出して、拘束して部下に引き渡した。拘束にとどめておくように指示を出したし、今日は負傷者はいても死亡報告は上がっていなかったはず。たったそれだけのことで安心してしまうのだから、甘っちょろいだなんて揶揄されるんだろうな、と行き場のないため息がこぼれる。
 夜はすっかり更けていて、見上げた先、半壊した屋敷の上に広がる星は皮肉なくらいにきらめいていた。騒ぎになった時点で瑠璃ちゃんのことはクロームに任せていて、ほかの招待客と同様にどこかの部屋に隠れているはずだ。超モードを解きながら無線で連絡しようとして、ふと向けた視線の先、二階あたりのバルコニーに人影が見えて。
「綱吉さん!」
 まだ緊張の解けない身体はびくりと反応してしまったけれど、その声色の柔らかさのおかげですぐに肩の力が抜けた。小さく手を振ってくれる瑠璃ちゃんも、隣に立っているクロームもおそらく無事だ。軽く手を振りかえした先、暗がりに呑まれて彼女の表情までは見えなかったけれど、「無事でよかった!」って聞こえる声に心がほどけるような気がしてしまう。ねえ、そんなの、オレの台詞だよ。
 駆け寄ってゆくと踏んづけた瓦礫が次々崩れて、がしゃがしゃと耳障りな音を立てている。あー、また革靴ダメにしちゃったな。何十万とする革靴をころころ買い換えることにも悲しいかな慣れてきて、庶民感覚をどんどん失っていっている気がする。スーツも今日は戦闘用じゃないから、相当高かったのに袖や裾が焦げてたぶんもう着られないし、まあこればっかりは仕方ないことなんだけど。
 バルコニーの真下にたどり着いて、「ふたりとも怪我はない?」と念のため訊いたけれど心配はなさそうだった。ほっと胸を撫で下ろしていると、部屋の奥から事後対応に呼ばれたらしいクロームが席を外して、半壊したバルコニーに立つのは瑠璃ちゃんひとりだけになった。なんだか妙にしんとしていて、「綱吉さん」って、瑠璃ちゃんがオレを呼ぶ声もよく通る。見上げながら「うん」と返事をするオレに、彼女はどこか嬉しそうに笑いかけてくれた。
「……ありがとう、守ってくれて」
「えっ……いや、むしろ瑠璃ちゃんのこと巻き込んじゃったよ……ごめん」
「綱吉さん、いつもそう言うけどね。私はそんなふうに思ったことないよ」
 透きとおる夜風が髪を揺らして、静かな空に優しい言葉を連れてゆく。――どうしてだかその声を、もっと近くで聴きたくなった。今だってじゅうぶん近くにいるはずなのに、もっと。できることなら抱き締めて、腕の中で。
 けれど飛んでいくのもよじ登るのも格好がつかない気がして、軽く足を動かせば足元でまた瓦礫が鳴る。二階の端の部屋、走ればたぶんすぐ着くはずだ。
「危ないからさ、瑠璃ちゃんは部屋に戻ってて。すぐ行くよ」
「待って!」
 反射で動きを止めてしまうと、一歩、二歩、瑠璃ちゃんが壊れたバルコニーの柵に向かって踏み出してくる。思わず素っ頓狂な声が出て、「あ、危ないって!」と慌てるオレをよそに、彼女はまたオレを呼んだ。なぜかわからないけれど、なんだか楽しそうに。
「ねえ、受け止めてって言ったら怒る?」
「はっ……ちょ、何言って、」
 ま、まさかこの口ぶり、飛び降りる気なんだろうか。もうあと一歩も踏み出せないような場所で、ドレスの裾がひらりとはためいている。いや待って、いくら二階とはいえそんな危ないこと、ってオレが止める言葉を探していたそのとき、ぐらりと影が傾いて、あ、足元、崩れて――

 考えるよりも先に身体が動いていて、迷いなく飛び込んだ先、落ちてきた彼女を抱き締めるみたいに受け止めた。両腕で、思いっきり。そのままぐるぐる、勢い余ってふらつくみたいに何度か回って、そうしてやっと足が止まる。抱き上げるような格好のまま、ぱちぱちと繰り返されるお互いの瞬きを見つめあってしまう。そこでようやく、自分の心臓がとんでもない早鐘を打っていることに気がついた。たぶん、瑠璃ちゃんも。
 ちょっとばつが悪そうに目を逸らす彼女をそっと下ろすと、途端にどっと力が抜ける。たまらず、身体の奥底から空気を吐き出してしまった。
「っはぁ〜……びっ、くりしたあ……」
「えへへ……ごめんなさい……」
「オレ危ないって言ったのに!」
「えっと、せーので飛び降りるつもりだったんだけど……」
「どっちにしろダメだよ!」
 ああもう、無事でよかったあ、って。予想していなかった形でこの言葉を返すことになってしまって、けれど「助けてくれてありがとう」って申し訳なさそうに、けれどちょっと嬉しそうに言われてしまえば、それ以上なにも言えなくなってしまう。
「……もうこんな危ないことしないでよ」
「うん、ごめんなさい」
 やっぱりどこか浮かれたような調子でそう言うから、ため息をつきたくなるけれど。……オレもなんだか抱き止めたあの一瞬のぬくもりが消えなくて、だって早く抱き締めたいって、そう思っていたのはきっと同じだったから。こんなにハラハラしたくはなかったけどさ、なんて思いながらも、滲む幸せが伝染して口元が緩むのを止められないのだから、これも惚れた弱みってやつなのかもしれない。

「……じゃ、帰ろうか」
「ふふ、そうだね」
「大丈夫? その靴で歩ける?」
「うん。大丈夫だよ」
 手を取って歩き出して、そうしてふと瑠璃ちゃんの方を見遣って気付く。選んだ時には一点の曇りもなかった、彼女によく似合う空色のドレスのそこかしこが汚れている。……もしかしなくても。さっき受け止めた時に移った汚れに違いなくて、「ごめん、ドレス汚しちゃったね」って呟いたオレに、瑠璃ちゃんは驚いたみたいに目を丸くして。それからふっと緩めて、かと思えば腕に抱きつくみたいにしてくっついてくるから、「えっ、汚れちゃうって」と上擦った声がこぼれてしまう。
「いいの」
 軽く身を引こうとしたけれど、そう短く言い切った瑠璃ちゃんがより一層くっついてくるから叶わなかった。もちろん振り解こうとすれば振り解けるような力だったけれど、そうまでして離れたいわけじゃない。そうして観念するみたいに力を緩めると、彼女はゆるやかに目を伏せていた。
「……だってね」
「……ん?」
「私も、綱吉さんと一緒がいい」
 静かで穏やかな言葉が、きらりと光って夜に溶けてゆく。ちょっと照れくさそうにオレを見上げて、けれどそっぽを向くみたいに視線を取り上げられて、それは赤くなった顔を隠すためなんだってすぐにわかってしまう。
 散々な一日だった、って思ってたのに。服もあちこちボロボロで、あたり一面グチャグチャで、今だって笑っていられるような状況じゃないはずなのに。ただ君の横顔を見つめているだけで、オレはきっと何度でも。手の中にあるどんな小さな幸せにだって、ちゃんと気がつくことができるんだよ。
「ねえ、瑠璃ちゃん」
 大切な名前を呼んで、そうしてゆったりと顔を上げてくれた彼女の、その唇を掠めとるみたいにくちづけた。どうか君は、君だけは、いつまでもこの手の届く場所にいて。


20231118
RE! Dream Party プチオンリー
お題「Party Night」
イベントありがとうございました〜!


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