telomere

 
 あ、と思った時には煙に包まれていて、綱吉さん、ってオレを呼ぶ声が遠ざかってゆく。……10年バズーカだな。そう落ち着いて考えるものの自分が当たったことはほぼないわけで、チカチカした景色の中を流されるあいだに少しの不安が滲んでくる。けれど程なくしてたどり着いた先、目を開ける前にもうなんとなくどこにいるのかはわかった。オレの部屋だ。豪勢な机や小物が溢れるボンゴレ執務室じゃなく、ごく普通の一軒家の一室。
 周りには誰もいなかった。ぽつんと部屋にひとり座り込んでいて、窓からオレンジ色が差し込んでくる。本当にピッタリ10年前かよ、とこっそり考えた。オレのいた場所、つまりイタリアはまだ朝で、時差まできっちり反映されているときた。なんだか夢を見ているような心地になりつつも、階下から聞こえてくる音にそっと耳を澄ましてみる。
 ランボとイーピン、フゥ太の声。リボーンとビアンキの声はしないけど、いるのかな。それから、その真ん中にいる明るい声。……母さんだ。もう夕飯時とあって、みんなで今日のメニューの話をしているらしい。ハンバーグがどうとか、野菜はイヤだもんねとか、わいわい、がやがや。あのころはうるさくて仕方なくて、こうやってひとりで部屋に戻ってきたりしてたっけな。今日もそうだったのかもしれない。そんでランボの出しっ放したバズーカにうっかり当たったとかかな、オレって本当に昔っから鈍くさいな。
 散乱するプリントとか、拾われなかった消しゴムとか、ほどいたままのネクタイとか、たぶんランボが落とした飴のゴミとか。ぜんぶそのままに、散らかった床にごろんと寝転んでみる。階下の声は近いのに遠くて、目に差し込む夕陽がやけに眩しくて、手のひらでそうっと目元を覆った。母さんの、朗らかな笑い声がきこえる。
「はは……」
 じわりと喉が焼けるような心地がして、わざとらしくこぼした笑い声は、混ざり合うことなく溶けて消えてゆく。目頭が熱くなって、あーかっこわる、ホームシックみたいじゃん。
 ねえ、オレは気がついていたかな。この日常が大切だったこと。オレのいた時間は、ちゃんと幸せに満ちていたこと。……まあいっか、どっちでも。たぶんちゃんとわかっていて、それでも平等に過ぎてゆく時間は止められなくて、後悔も未練もぜんぶ抱え込んで、そうやってオレは歩いてきたんだから。

 そろそろ時間だ。たった五分間の夕暮れが、掠れて消えてゆく。とん、とん、階段を登ってくる音がして、会いたいけれど会いたくなくて、ぎゅっと目を瞑ったその瞬間、身体が無理やり浮かされるような感覚に襲われた。
 もうこんなのに当たるなよ、戻りたくなんかないからさ。



「も、もどった……」
 煙を振り払うオレの前でそんな声がして、徐々にはっきりしてゆく輪郭。そうして、そこで目を瞬かせているのは、今のオレを選んでくれた、オレの大切な人だった。
 ほんの短い時間旅行を終えて、やっぱり夢を見ていたような心地のままに、「瑠璃ちゃん」って名前を呼ぶ。彼女は少し目を見開いて、それから「綱吉さん」って、いつも通りに優しく呼び返してくれた。ゆるやかに指先が近づいて、するりと目元を滑ってゆく。少しぼやけていた視界が晴れて、穏やかに微笑んでオレを覗き込んでくれるから、オレは。この人の前ではそのままでいられるんだ、って思う。隠しきれない情けなさも、こうやってぜんぶ受け止めてくれるから、無理にしまい込む必要なんてなくて。
「びっくりしたよね、いきなり」
「うーん、ちょっと? でも大丈夫だよ」
「……ねえ、あのさ」
「どうしたの」
「わがまま言っていい?」
「うん。いくらでもどうぞ」
 軽く手招きをすると、瑠璃ちゃんはちょこんとオレの隣に座ってくれる。その髪を撫でて、ゆるく梳いて、くるくる毛先を弄ぶみたいに指に巻き付けて。「今日の夜さ」って目を合わせないまま切り出すオレの声にも、「うん」ってていねいな返事をくれる。
「ハンバーグ、食べたい。……作ってほしい」
「ふふ、うん、いいよ」
「……いいの?」
「えっ、だめって言うと思ってたの?」
「そう、じゃ、ないけどさ」
 くすくす笑って、そうしてオレの髪にも触れながら、「がんばって作るね」って君は言う。そっと頭を撫でてくれる手が心地よくて、ちょっとだけ、って心の中で言い訳をしながら目を閉じる。
 たぶん、一生消えないのだと思う。あの頃に焦がれるような気持ちも、泣きたくなるような懐かしさも、誤魔化しきれない寂しさも。でもそれは、あの頃の幸せの証左にちがいない。……だから。いつかもっと時を重ねたその先で、今度は君と、そんな過去への想いを分け合えたらいいなって思ったんだ。

 きらめく朝の光が、君の瞳をゆるく透かしている。今を生きるオレの居場所はここにある。描いたとおりの未来じゃないかもしれないし、楽しいことばっかじゃないけどさ、ちゃんと幸せに生きてるんだってこと、過去のオレには伝わったかな。飲み掛けのマグカップに問いかけても、答えは返ってこないまま。



20231124


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