雨やみませんね




(この設定)


昔から雨は嫌いではない。社会人になってからは電車等の交通の心配はするものの、薄暗く雨音だけが聞こえるその時間は静かでとても落ち着く時間だ。

昨日から降り止まない雨音をBGMに、真史を起こさないよう静かに手早く帰り支度をする。一泊する予定など無かったため少し時間が押しているが、まあその時間分の価値はあった。年甲斐も無く昨夜のことを思い出しながらスーツを着る。


「おはようございます」


少し掠れた事務的な響きに手を止めて振り返る。起こしてしまったか。気だるそうな真史は何度見ても見慣れないものだ。寝ぼけたまま顔を洗ったのだろう、拭い忘れたらしい蟀谷を伝う水が妙に艶っぽい。それを手で拭ってやりながら返す。


「ああ、おはよう真史。今日はしっかり記憶しているようで何よりだ」

「…皮肉を言うことしか出来ないんですかその口は」


近くで見れば見るほど整っている顔を盛大に歪ませた真史の目は、まだ眠気を訴えている。一度顔を洗ってもなおこんなに眠たいのに私の見送りに起きてくるとは、殊勝なことだ。蟀谷から手を滑らせて顎を掬う。気障ったらしいとは思うが、真史も満更ではなさそうなので良しとしよう。


「キスも出来るが、ご所望かな?」

「…そんな時間もないんでしょう」

「ここで仕事は出来ないからな、お前はまだ寝ていなさい」


私の言葉など聞こえていないかのように、真史はすっと真っ直ぐに窓を見た。その横顔に見惚れていると、控えめに小さな口が動く。


「雨、止みませんね」

「……お前は本当に、昔からタチが悪い」

「はい?」


意味を知らずに言っていることは分かっているが、それでも自分はその言葉の意味を知ってる。それでどうしてお前を放って行けようか。仕事の算段を軽くつけて、徹夜まがいのことをすれば昼までなら大丈夫だろうと予定を上書きする。せっかく着た上着を脱いで真史に押し付けると、いっそわざとらしいくらいにキョトンとした顔で私を見た。


「もう少し、雨宿りしていくとしよう」

「…私は先輩にとってハンガーか何かですか」

「まさか。私にハンガーとセックスする趣味はない」

「そういうことでは…もういいです」


怒ったフリをした真史の嬉しそうな口元を見て、もう一泊出来ないかスケジュールを見直す私も存外嫌いではない。


(もう少し傍にいたいです)


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