819の日記念企画


 一昨日、クロに彼女ができたらしい。そして男子バレー部にマネージャーができたらしい。らしいというのは、どちらも人伝に聞いたからである。マネージャーの有無は高揚とした山本から、彼女の有無は少しだけ顔を顰めた研磨から教えて貰った。
 山本は、時折上空に顔を向けると、誰かへと自慢するように言い聞かせるようにして、マネージャーができたことの素晴らしさを私に語ってくれた。そのマネージャーが音駒で一番美人だと言われている3年の先輩だというのも、山本が昂奮しているひとつの要因である。入部したタイミングがバレー部の主将と付き合ったからである――というのは、明言されずともなんとなく分かった。

「これで梟谷……いや、烏野にも負けず劣らずというわけだ。これが音駒の本気なのです」
「からすのってなに?」
「……宮城の学校」
「へえ」

 山本の言葉と研磨の言葉を合わせると、その宮城の学校にもかなり美人なマネージャーがいるらしい。ちなみに梟谷のマネージャーさん達がとても綺麗な人達だというのは、1年生の頃から耳にタコができるほど聞いている。主に山本から。

「あの人はクロさんの彼女さんだからな。あの人のことは音駒男バレ一同で守っていかなければいかない。研磨もそう思うだろ?」
「別に」
「なんでだよ!」

 ぎゃんぎゃんと騒ぐ山本と、それを面倒そうにしながらもゲームから顔を上げない研磨。いつもの光景であるけれど、なんとなく面白くない。先程から食べている甘いはずのチョコがとても苦く感じるほどには。

「守るって……山本はその人と話すことできるの?」
「あ、いや……それは無理だ」
「意味ないじゃん」

 このように意気込みこそ十分だけれど、山本は女子に対して極度のあがり症である。特に美人となれば近づくことすらできず、遠くから眺めているのが定石だった。それで何度もマネージャー取得に失敗しているのを、私は見ている。
 前に『どうして私とは普通に話すことが出来るのか』というのをそんなニュアンスで訊いたことがあるのだが、その時に返ってきた言葉は『名字はクロさんと研磨の大事な幼馴染だから』という不思議なものだった。
 それからというもの、山本はこうして研磨とくつろぐ私の前に現れては、バレー部の様子を教えてくれたり、マネージャー取得の進捗を教えてくれるようになった。

「そこはクロさんが守るから良いんだよ」
「ふーん」
「なに機嫌悪くなってるんだ?」
「……別に。さっきと言ってること違うなあって思っただけ」

 機嫌が悪いわけではない。虫の居所が悪いわけでもない。ただ、少し面白くないだけだ。大事にしていた服を勝手に親が親戚にあげたような気分。『別にいいんだけどね?』と思いながらもどこか面白くない。そんな気分なだけだ。
 腹の奥底から湧き上がるもやもやをどうしていいか分からず、気づけば口から滑り出していた。

「あと、できた彼氏が男バレにいるからってそれで入部するのはどうなのって思っただけだし」
「そうか? 普通のことだと思うけどな。さてはお前あれか、嫉妬か! だから誘った時に入ればよかったものを」
「私はクロと研磨のプレイを客席から見ていたいだけだし」

 たしかに私の今の言い方は性格が悪かったと思う。山本は1年の時に何度も私をバレー部に誘ってくれたし、クロと研磨にも誘われた。しかし私は、その度に断っていた。今も決してバレー部に入れば良かったと後悔しているわけではない。ただ、ひたすらに、面白くないだけである。

「というか研磨も機嫌悪いじゃん」

 なんとなく居心地が悪くなって、未だにぴこぴことゲーム機を操作している研磨を犠牲にした。上げた顔と眉間に寄った皺は研磨からの「巻き込むな」という意思表示が垣間見える。案の定、研磨は、はあ……と小さく息を吐くと、それでもコマンドを操作する指を止めることなく口を開いた。

「おれは別に。でも、クロがあの人と付き合ってからあの人おれにも話しかけてくるようになったのは嫌だ。目立ちたくない」
「部員に話しかけるのは普通だろ」

 あの綺麗な人に話しかけられて、怯えた猫のようにびくりと肩を揺らす研磨が容易に想像でき、思わず吹き出してしまった。ただ、私は研磨の様子に少し安堵していた。あの人に対して、たとえ僅かだとしても、否定的な顔を見せた研磨が酷く頼もしかったのだ。
 理由が私の内心と根本的に違っても、例え目立ちたくないという理由だったとしても、それでも良かった。なんでも良かった。

「おれはあの人苦手」
「私も苦手」
「そもそもクロがあの人と付き合ったのって……」
「付き合ったのって?」
「いや、いい……言うのも面倒くさい」
「えー」
「とにかくおれは苦手」
「お前らなぁ……。クロさん取られて悲しいのか?」
「そんなんじゃない」
「……」
「図星かよ」

 すぐに否定した研磨と打って変わって、私は山本の指摘に言葉を詰まらせてしまった。そのせいで、山本の呆れたような双眼がこちらを射貫く。別にクロに彼女が出来て悲しいわけではない。けれど面白くない。クロがあの人と付き合ったこと、そしてその新しい彼女がクロを追って音駒のバレー部に所属したことが面白くないのだ。クロの隣は研磨と私のものなのに。
 ただ、これ以上山本に指摘されるのも、図星認定されるのも癪なので、誤魔化すように顔を伏せた。

「せいぜい二股でもかけられてフラれちゃえばいいんだ」

 襟元でぼそりと呟いた言葉に嘘はない。










          **

 重たい瞼をぱちぱちと開閉させてゆっくりと息を吐く。体調不良だということを学校へ連絡するお母さんの声にラッキーと思った朝の自分を叱ってやりたいほど、体の節々が悲鳴を上げている。ここまで悪化するならば風邪なんて引かずに大人しく学校へ行きたいと思うほどには、だるくて仕方がない。頭を掻き交ぜるような痛みと、切れているのではと懸念するほどの喉の痛みが、ひっきりなしに襲ってくるのだ。
 すでに夕方だからか、言い争う小学生の声が窓の向こう側から聴こえた。無意識に枕の横に置かれたスマホを手に取ると、彼氏からの労いの言葉が届いていたが、それに返信できるほど頭が回らない。
 そういえば、昔から体調を崩して学校を休んだ日は、クロと研磨がお見舞いに来てくれたっけ。色々なものを買ってきてくれたり、くすぐったくなるほど心配してくれたり。
 でも今頃クロはあの彼女とデート中なのだ。部活が休みの今日にデートをするのだと張り切っていたのを、私は一昨日見ている。研磨もゲームの発売日だから秋葉原に行くって言っていたし。

「寂しい……」

 この世界に私一人しかいないような孤独感が身を襲い、頭まで布団を被ると足の親指を丸めた。体調が悪い時に人肌恋しいって、こう言うことを言うんだと思う。

「めっずらし」
「……え?」

 突如、聴こえてきた声に布団から顔を出すと、ドアに寄り掛かるクロがビニール袋を手に提げて立っていた。布団を掴んでぽかーんと口を開ける私を、クロは小さく笑ってから近づいてくる。そして、ベッドの隣に座ると、ビニール袋の中身をテーブルの上に載せていった。いやいや、ちょっと待って。

「なんでここに……」
「なんでって……。ほら、これ」

 クロが差し出してくれたのは、スポーツドリンクやのど飴だった。風邪を引いた時にいつもクロが買ってきてくれるラインナップがそこに並んでいたのだ。極めつけは「名前が風邪を引いた時はいつも駆け付けていたと思いますけど?」なんて言葉まで。たしかにクロは私が風邪を引いた時、いつもお見舞いに来てくれた。私の好きなものをたくさん買って。
 けれど、今日のクロはデートだと聞いていたから、まさかここに現れるとは思わなかったわけだ。

「今日デートじゃなかったの……?」

 私の質問に、買ってきてくれた熱冷シートをてきぱきと剥がしているクロが「んー」と、考えているのか考えていないのかよく分からない声を出して、その熱冷シートを私の額に貼ってくれた。ひやりと冷たい感触がおでこに触れてきゅっと目を瞑る。こうして貼ってくれるのも昔から変わらない。クロは昔から面倒見が良い。

「俺はさ、」

 冷たさに身を任せながらゆっくりと瞳を開けると、視線のすぐ先にクロの顔があった。触れた鼻先と触れてしまいそうな近さに、後ろに下がろうと試みるが、枕が邪魔をしてそこから動けなかった。

「彼女とのデートよりもこっちの方が大事なんだよね」

 射貫くような双眼に、猫は本来肉食だと気づかされる。
 このまま無理やりにでも食ってくれないだろうか、そんな思いを込めてもう一度目を瞑った。五感のいずれかを無くした時、いずれかが敏感になるというのはよく聞く話だ。鼻から頬へ、こめかみへ、耳たぶへ。

「そもそも先に彼氏作ったの名前だからな」

 耳元にて響いた声は低く鋭くて甘かった。責めるような言い草はまるで怒っているようだ。けれど、怒っていてもなお、駆け付けてくれる幼馴染の想いに、嬉しいと感じてしまう私は、手遅れである。布団から手を出して制服の裾を握って、そして思う。彼氏と別れるつもりは今のところないけれど、この服を手放すことも私はしないんだろうと。




title:溺れる覚悟 様
res:栞様へ



たぶん、これがハッピーエンド

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