可視恋線。

夢うつつな残暑は晴れ模様

<俺と先輩の仁義なき戦争>




無知、とは万死に値する罪である。

私がこの理論に辿り着いたのは偏に、自らの経験則に加え観察してきた人間の行動を総評した結果に過ぎない。
単純且つ明快に言えば、人とは人の持つ固有の価値観でのみ万事を評価推察する生き物だ。

無知とは許されざる罪である。
然しだからこそそしてまた、無知故に人は、幸福を求めるのではないだろうか。



「…さて」

豊かな夢の世界へ沈み込んでいった愛しい人の額に張り付いた前髪を梳いてやり、彼は書きかけのレポートへ手を伸ばした。

「今回は現実逃避せず反省したんでしょうが、本当に罪な人ですねぇ、ダーリンは。大層妬けます」

乱れたシーツの波に埋もれ、乱れたブランケットを傍らに掛け直す。僅かに触れる素肌と素肌に小さく笑って、ボールペンを掴んだ。

「親友…と言うよりは、一種のライバル。…感覚的にはクリア出来ないゲームに近いか。ったく、何年経ってもその悪癖は直らない訳だな」

ぷに。
ペン頭で眠り人の頬を突き、額を軽く弾いて、唇に触れる。暫しふにふに弄んだ唇を見つめ、眼鏡を外す。

「良い加減、友情ばかり優先するのはおやめなさい。いつまでも照れてらっしゃる貴方はとても可愛らしいのですが、」

無防備な上唇へ舌を這わせ、擽ったげに身動いだ下唇へ牙を立てたのだ。

「な、」
「…俺の隣でグースカ寝てんじゃねぇ、馬鹿め」
「だからって噛む?!普通人様の口を噛むか?!痛い所の話じゃないんですけどねー!」
「さぁ?」
「にゃろー!せめて顔だけでも悪びれろよ!」

愛情が深すぎるのは罪である。
己を容易く滅ぼし今、愛の名の元に正当化しているのだ。


独占欲、支配欲、肉欲、醜い欲望ばかり数え切れぬほど抱えている事をひた隠しにして。





「生憎、俺には『普通』が判らないのでねぇ、山田太陽君」









ふわふわ。
ふわふわ、する。


まるで空を飛んでるみたい。


そうなのかな。
もしかしたら俺、本当に空を飛んでるのかも。
眩しいくらい真っ白で、瞼は開いてる筈なのに何も見えないけど。


そっか、きっと雲の中を飛んでるんだ。だから何も見えないのは当たり前なんだ。



ふわふわ。
ふわふわ。
ふわん、ふわん。


気持ちいいなぁ…。
いつの間にか鳥になったのかなぁ、俺。



───だったら朱雀になりたいな。

赤い、あか〜い、神話の鳥さん。
鷹でも白鳥でも孔雀でも極楽鳥でもなくて、朱雀がいいな。

俺が初めて泣きたくなるくらい好きになった、初恋の人と同じ名前の。
いつでも空の上からひとっ飛び。まっすぐ、迷わずに飛んでいけるように。



神様。
あのね、俺ね、馬鹿だから悪いこと沢山しちゃいました。

朱雀先輩の足踏んじゃって、エッチィ事してるの邪魔しちゃってさ。相手の人にも、きっと、凄い迷惑掛けたと思います。

優しい先輩にワガママばっか言って、学食のメニュー片っ端から注文した癖に、食べ切れなくて。かわちゃんとうーちゃんにお土産として持って帰って、それでも余って、泣く泣く捨てちゃった事もあります。ご飯を残しちゃった悪人なんだ。

みんなを巻き込んで、大事な友達に怪我させて、朱雀先輩を傷付けて。
本当に、何て酷い事ばかりしちゃったんだろう、俺は。



神様が怒っても仕方ないね。
罰が当たって死んじゃって当然なんだ。

でも、生まれ変わって鳥になれたなんて、神様は優しいんだね。心から感謝します。


あ。
先輩の声が聞こえた、気がする。
すぐ近くで先輩が俺を呼んで、頭を撫でてくれてるみたいな、そんな気がするんだ。


俺は先輩だけの鳥になって、ずっと傍に居るからね。何もしてあげられなかったけど、先輩が寂しくないように。ちゃんと、幸せに過ごせるように。
仕方ないから赤じゃなくて青い鳥になって、先輩を目一杯幸せにしてあげるよ。





でも。
一回くらい先輩には、俺の作ったラーメン、食べて欲しかったなぁ…。








『あな久しいのう。此度はどう言った風の吹き回しぞ、兄者』

青龍、の文字が刺繍されたチャイナ姿の男が満面の笑みで映し出されている腹立たしいモニタを前に、努めて平然を装い扇子を開いた。

「何、貴様が励んでおると聞き及んでおるでのう、直々に誉めて遣わそうと考えたまでよ」
『白虎より大河を継いだ兄者に比ぶれば、我の働きなど取るに足らぬわ』
「謙虚は美徳ぞ。今後も兄に尽くす善き弟として、貴様の働きに期待しておる」
『左様心得た。用件が済んだなら我はもう失礼する』

腹立たしい。
判っている癖に、聞き出しもせず知らん顔とは、我が身内ながら何処までも腐り果てた性根だ。然しこの性格を気に入り、格別寵愛してきたのもまた事実。
大河一族を支える数多くの分家筋から、この男にだけ兄と呼ぶ事を許しているくらいだ。少々の意地悪は…我慢…ううむ。

「待て、ちと過ぎた謙虚は我に対する冒涜だ」
『多忙な兄者を煩わせとうない弟の心配りだったのだが』
「違う心配りを期待しておるのだ」
『グレアムに逆らえと言うなら…今日から赤の他人にして貰いたい』
「その様なおぞましい命令、口にもしたいと思わぬわ!」
『違うのか?ならばとうとう朱雀が死んだか、後継者なら引き受けようぞ兄者。奪われた目玉はすぐに、』
「貴様の目玉を抜き取ってやろうか」
『とんだ失言だった。許されよ』

大河に従事する三大家は、数百年続く家柄だ。元は同じ流れと言うが、奇特な眼は大河本家の血筋にのみ現れる。後継者問題が起きた時は総じて、奇特な瞳を証しとしてきた歴史がある。

『…何ぞ、言い難い事かの?』

言い難い、と言えばその通りだ。息子可愛さに組織を犠牲にするつもりかと、非難を浴びて然るべきだろう。だからこそ、今にも八つ当たりで大量殺人を起こそうな気分を何とか宥めたのだ。

「…むぅ。朱雀に伴侶を設ける事に相成った。先に汝へ伝えておこうと思っての」
『ほう、それは目出度い。大河の嫡男にしては遅いくらいだわ。だが然し、手放しで喜んでばかりも居られん様だ』

鋭い。いや、恐らく筒抜けだったに違いない。朱雀に気付かれないよう、来日から実に十年、入学から今の今までガードを付けている。一族最高責任者である総統命令に逆らう者は無く、妻を亡くしたあの失態を除けば一度として失敗する事はなかった。
だからこそ、朱雀の日常を知る者の中に密告者が居ても可笑しくはない話だ。密告者、と言うには語弊があるだろうが。

「…跡継ぎに関しては、無問題だ」
『でしょうな。だが、グレアムと手を結ぶのは最高の栄誉であり最悪の事態だな、兄者』

やはり筒抜けだった。最初から全て判った上で、素知らぬ顔をしていたらしい。何と質の悪い。いや、逆の立場なら自分も間違いなくそうしただろう。大河の悪しき血だ。つい悪戯をしたがる。
朱雀は母親似なので、物事を深く考えない代わりに、思い込んだら死ぬまで貫き通す暑苦しい所がある。あの頑固さは世渡りの下手さを知らしているが、親としては決して悪いとは思えないのだから不思議だ。馬鹿だからこそ可愛い、と言う事か。

「…我の責任を問われても致し方ない状況だろう。朱雀にはまだ総統に相応しい経験がない」
『何を言われる。一族に於いて、朱雀は稀に見る恵まれた身体能力、加えて知識もあるではないか。日本での生活は苦労も多かろう、兄者が隠居なされば朱雀が我らを率いるだけの事』
「だが、」
『事は斯様に単純ではないだろうに。兄者、グレアムに関与した以上、我ら一族が選ぶ道は一つ。それは兄者が責任を取る形で隠居する事ではなく、グレアム最高位に最も近しい立場にある朱雀を以て、末永い繁栄を望む、それだけだろうに』

正論、だ。本気で馬鹿だ自分は。我が子可愛さに、自らの情けなさに。こうも狼狽し、最も的確な方法をみすみす見逃す所だった。

「…我も老いたらしい。相判った、責任はいずれ果たそう」
『善きにお計らい下されば良い。但し、一族の誰もが兄者の詫びなど求めてはおらぬ事を承知願いたい。早う上海の邸宅へ戻られよ。…姉者の命日までには』
「謝々」

無知とは罪だ。
守るべき存在から守られていた事を知り、子供子供だと思ってきた息子の自立を前に今、喜怒哀楽を一身に感じている。


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