可視恋線。

豪雪もカマクラこさえて乗り越えろ!

<俺と先輩の仁義なき戦争>




静まり返る教室、西に傾いた空を横目に鞄を掴んだ。
教室は6時に自動施錠される。部活動か委員活動者でない限り、時間外入室にはロック管理している警備室へ申請する必要があるのだ。

「警備室に行ってる暇ないし、急がなきゃ…」

無駄に広い校舎もさることながら、警備室は敷地の外れ、グランドゲートと呼ばれる校門を兼ねた場所にある。寮から徒歩20分、校舎からは早足でも30分以上懸かる距離だ。

「メェの教科書、残ってるじゃないか」

目の前の席をふと見やり、机の中に数冊の冊子を見つけた川田は眉を吊り上げた。最近は選択教科がバラバラになってしまい、宿題も三者三様だ。
慌てた宇野が、文字通り鞄だけを掴んで教室を出たのは明らかで、息を吐く。

「ったく、海陸の奴…」

宇野へ小言を呟きながら手早く瑪瑙の荷物を纏め、自分の鞄に仕舞い込む。ついでに開けっ放しの窓も閉め、満足げに頷いた。

「良し。まったく、僕が確認しないと、誰も戸締まり確認しないんだから」
「毎日やっとるん?偉いやんか」
「まぁ、クラス委員だし…」

言って、振り返った川田は沈黙する。
先程まで教科書を詰めていた自分の席に、オフホワイトの作業着が座っているのだ。工業科のそれは、普通科には恐ろしく見える服装でもある。

「あぁん、そない熱い目ぇで見らんといてッ」
「…」
「男前な顔に見惚れとるん?」
「…」
「おぉい、恥ずかしいやないか。挨拶代わりに突っ込まんかい!」

目を擦った。
絆創膏だらけの男は、此処に居る筈がない男だ。毎日メールだのはしていたが、会うのは実に、1ヶ月振り。

「む、らせ?何、何が、何で村瀬が、え、作業着?!分校は私服じゃ?!もしかして盗んだのか?!って言うか他の皆はどうしたの?え、まさか不法侵入じゃ…っ」
「落ち着きぃ。感動的な再会シーンやのに、盗んだやの不法侵入やの、ほんまワシを何や思てんねん」

呆れながら立ち上がった男の、ルーズに穿かれた作業ズボンからも判る長い足。
西日を浴びて輝く茶髪を呆然と見上げれば、近寄ってきた彼は川田の手からカーテンの端を奪った。

「ゆーり」
「んっ、ん…!」

ふわっと背中から包まれたカーテンの中、爽やかに笑った男前が噛みついてくる。ガブガブ甘噛みされながら、唇と言う唇を舐め尽くされた。

「はぁ。お久し振りやね、ゆりりんの唇。つるつるやん、さてはワシの為に揚げ餃子食うたな?ニンニク味」
「…」
「あら?やっぱあかんか?東京に戻ったら、ダッサイ関西弁やのうて標準語に揺れてもうたん?そない阿婆擦れやってんか、酷いッ!ワシを誑かしよってからに、こんの都会っ子!」
「二年生、だったんだ」

唇が離れても、巻き付いたカーテンの中にはそれ以上離れる隙間はない。恥ずかしいとすぐに逃げる川田の性格を熟知しているから、こうして囲み込んだのだろう。

「せや。ダーリンは先週、晴れて17歳。知らんかってんな」
「タメ口だったのに怒らなかったから、同級生とばかり…」
「すまんの、休みの間に申請して…本当は先週こっちに着いたんやけど、技術研修やら引っ越しの片付けなんかで、言うのが遅れてもうた」
「…嘘ばっか!どうせ驚かせたかっただけだろ!」

目論見通り、恥ずかしさの余り俯くしかない川田の網膜に、作業着に刺さった学年章が見えた。
普通はブレザーの襟に刺すものだが、好んで作業着やジャージを着たがる工業科・体育科などは、ユニフォームに差している場合が多い。バッジにも在籍照合のICチップが入っている為、肌身離さず携帯する事を義務付けられている。私服登校が少ないのも、それが理由だ。

「昇校試験に落ちたら身も蓋もあらへんし、黙っとったけど…無事、昇級試験パスしました!一斉考査の準備で死ぬほど忙しいけど会いに来ちゃった、てへ!どや、会えて嬉し?」
「別に」
「何や、ほなワシ阿呆やないか。話しとうて堪らんのん、死ぬほど我慢しとったんに」

わざとらしく顔を背け、カーテンに鼻を寄せる。首筋に不埒な感触を認め目を見張り、すぐに息を吐いた。

「って言うか、こんなに早く昇校するなんて…本当に頭良かったんだ」
「あー、半分はカルマ…やのうて、遠野のお陰?今の工業科にゃカルマが居らん言うて、交換条件でなぁ」
「え?」
「因みに、シゲもユートもこっち来てるよ。シゲは商業コースで、ユートは…Fクラスやったかいな」
「Fぅ?!」

飛び上がった川田が振り返り、デレデレ鼻の下を伸ばした腰パン男は吸い付こうと唇を尖らせ、ツンデレから足を踏まれる。

「せや。シゲは将来的に家継ぐつもりやし、ワシはゆりりんの傍に居りたい。ワシの場合、弟も通っとるさかい、一石二鳥っちゅー訳で、」
「ちょっと待ってくれ、弟?アンタの弟が此処に居るの?」
「はい?あら?アイツ、ゆりりんと仲良しやって言っとったよ?ワシに協力するのが交換条件で、遠野にな」
「何、何の話?」
「せやから、アイツは昔から宇野に惚れとってん。苛め過ぎて嫌われてもうて、下駄箱爆破された言うてたわ」

下駄箱。
そう、確かに数年前、宇野を襲った不良達は悉く宇野の仕返しを受けた。瑪瑙から跳び蹴りされ、川田から踏みつけられ、挙げ句には爆破事件だ。
以来、彼らが宇野に手を出す事はなかった。

「ちょっと待った、アイツら…確か何とかってチームの不良だ」
「レジストやろ?果凛の舎弟やんか」
「かりん?」
「せや、ワシの弟。何や?ほんまに知らんねんな、可っ笑しいなぁ」
「村瀬かりん、村瀬かりん…?何処かで聞いた、様な…」
「ちゃう、羽柴や。オカンが再婚してなぁ、相手が金持ちやってん」

痺れた様に硬直した川田が青ざめ、村瀬の胸元に縋り付く。

「ま、待って、それじゃ、羽柴が、村瀬の弟?で、レジストの総長って事…?海陸を襲ったのは…好きだったから、って?」
「襲った?何のこと?」
「だから!中等部の時に海陸、犯されそうになって!それがレジストの奴らだったんだよっ」
「何やて?」
「どうしようっ、メェは大怪我したとか言うし!海陸は羽柴の所に残してきた…っ」

今にも泣きそうな川田に見つめられた男の茶髪が逆立ち、鼻の下を必死で伸ばさないよう耐えながら、

「あん餓鬼、強姦なんぞ許されへん悪行しくさってからに…!ワシの弟の風上にも置けへんわ!」
「あ、や、でもまだそうと決まった訳じゃなくて、僕の推測だから…」
「あかん、ワシには判る。アイツはヨチヨチ歩きの頃から、引っ込み思案で天邪鬼の癖に、女王様タイプに弱いんや!ああぁ、良かったぁ!カイリで良かったぁ!相手がゆりりんやったら、どないなってたか…!ワシのゆりりん!」

ぐりぐり頬擦りをされながら頬を染める川田はもう、鬼でも女王様でもない。吊り目気味の目元を真っ赤に染めて、カチンコチンだ。

「ま、待って村瀬、今は…メェと海陸が気になるからっ」
「っし、任せとき!果凛はワシがボコボコにしてやるさかい、ゆりりんは姐さんの所に行きぃ」
「う、うん、判った」

駆けていく川田の後ろ姿、主に尻を眺めていた村瀬はスマホをポケットから取り出しながら、首を傾げた。

「しっかし、総長は何やってん?未練がましく居残っとる癖に…まぁだ姐さんにプロポーズしとらんて事やろ?ヘタレやなー…あ、もしもしワシや。貴様ドコに居んねん?今からフルボッコにするさかい逃げたらあかんで、こん愚弟!」











「凄い顔色だけど大丈夫かい?」

呆れた様子の山田太陽が医務室の外、扉の前で正座している男を見やる。
『ベンカイシャゼツ』と殴り書きのメモが張られている医務室は、大河朱雀によって立ち入り禁止措置を取られていた。

「うーん。言い得て妙だけど、大河の事だから多分、こっちだろうね」

何を弁解させないつもりだ、と苦笑い一つ、胸元から取り出したボールペンで『面会謝絶』と書き加えた太陽は、無言で正座している男の隣に屈み込んだ。

「弁解も面会も謝絶。今更、お前さんが何を謝ったって、松原君が屋上から飛び降りた事実は変わらないんだ」
「…」
「凄いねー、あの子。お前さんを後悔させるなんて、ただ者じゃないよねー。今までどんなコトやらかしても、最後まで悪びれなかった『神様』に、後悔させるなんて…二人目かな?」

嫌味の様に吐き捨てて、しゃがみ込んだまま医務室の扉を見つめた。罪悪感があるのは、彼だけではない。

「作り話と現実はやっぱり、違うね。死なない程度の毒、だなんて。俺も最低だった。…心底、反省してる」
「…」
「迷いなく飛び降りた大河が庇わなかったら、確実に助からなかったかも知れない。二葉がセキュリティーカメラを確かめたんだ」

中には、血まみれで瑪瑙を担ぎ込んだ朱雀と、昏々と眠っている瑪瑙、二人が処置を受けている。
体中に硝子片が刺さっていた朱雀は瑪瑙を運び込んだのと同時に気を失い、凄まじい出血と刺さったままの硝子の二重苦で動かすのも危険だと、医師免許を所持している保険医の手術を受けている所だ。

「屋上から飛び降りた松原君を、アーケードの硝子から守ったのは、大河だった。…まるで誰かみたいだねー、俊」
「…」
「誰かも昔、泳げない癖に自由の女神からドーバーに飛び込んだ事があった。大好きな人を助ける為に」
「何も…」
「うん」
「何も、考えてなかった。あの時は、反射的に…手が伸びたんだ」

音もなく、いつの間にか隣に立っていた長い足に気付き、慣れたとは言え悲鳴を挙げなかった自分を誉めてやりたい気分だった。

「だろう、ね。大河もそうだったと思うよ。…部外者の俺らが試さなくたって、人間の形をした獣みたいなあの大河に、頭で考えさせるだけ無駄だったんだ」
「…」
「お前さんはいつだって頭で考えて、本当に本能的に行動した事なんか殆どないだろ。想定外の事態も今までは臨機応変に乗り越えてきたけど、実際は、台本がなきゃ何も出来ない不器用な奴だろ」
「自分が一番判ってる、そんな事」
「そうだね、あらゆる結果を想像してたろ。どう転んでも、巧く修正出来た筈だ。お前さんなら。…ただ、相手が悪かった。大河も松原君も、お前さんとは真逆の人間だったんだ」
「あの子にこんな勇気があるなんて思わなかったんだ。…もう少し、賢いと思っていた。少なくとも、我が身を犠牲にするとは、とても」
「舐めてたね。ま、俺も同じか。…去年、俺も思ったよ。まさかホワイトクリスマスに、海に飛び込む奴が居るなんて思わなかったから」

立ち上がり、無表情で見下してくる蜂蜜色の眼差しを横目にその場を離れた。

そう、もう少し賢い、と。
いや、ある意味もう少し馬鹿だと、あの時は誰もがそう考えた。


魔法使いは王子に魔法を掛けた。
王子は魔法使いに罠を仕掛けた。
二人はそれを知らぬまま、歪んで、歪んで、最後は海に溶けた。


泡となって、最後に二人が望んだのはただ、


「ネイちゃん」
「…相変わらず酷い顔してんな、アキ」
「あの馬鹿チンのツケは、俺が払うから」

ひたすら純粋な、愛でしかなかった。

「我が社は慈善団体じゃないんだが?」
「…」
「はいはい、命令とあらば仰せのままに。他の誰にも、ビショップを従わせる力などありませんからねぇ」
「別に、命令とか言ってないし」
「サー=クイーン、誰に知られる事なく貴方が私を縫い付ける駒である限り…永久に愛していますよ」











「また間違えたみたい」

緩やかに目を上げ、高い位置から見据えてくる蜂蜜色の眼差しを眺めた。

「つまらぬ事を言う。そなたにただの一度として、失敗が有り得た記憶はない」
「はふん。…もっとドラマチックな展開を用意してたのにィ、ショボルートまっしぐらにょ」

溜息一つ、ゆっくり立ち上がった男は黒縁眼鏡を外し、肩を竦める。

「あーあ、もォやめたァ。王道フラグでハァハァ出来る程、俺ァ安くないんですょ」
「これは面映ゆい。つまり、己なりに反省しているのか。…成程、我が義弟は格段に成長してきた様だ」
「…最近ちょっと意地悪になってきたねィ、お兄たま。益々人間臭いにょ」

神の笑う声を聞いたのは、一人だけだ。


*←まめこ | 可視恋線。ずちぇ→#



可視恋線。かしれんせん
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -