可視恋線。

唸る雷離雲に飛び込みます

<俺と先輩の仁義なき戦争>




そよぐ風。
穏やかな青空。
強い日差しを柔らかく遮ってくれた雲は綿菓子みたいに、ふわふわで。
ヒグラシっぽい音色が聞こえてる。

「も、こんな時間」

泣き疲れて、ヒリヒリする目元をペタペタ押さえながら、可笑しくもないのに笑った。

「来なかった、な」

ずっと体育座りだったから、立ち上がろうとして固まった膝を撫でる。まだ明るいけど、普通科はそろそろ授業終了の時間だ。
そっと覗いたフェンスの向こうには、体育科のジャージがチラホラ見える。今までグランドや記念碑がある丘の上の広場で、運動していた様には見えない賑やかな様子が判った。
流石に、声は聞こえない。

朱雀先輩にとんでもない脅し文句を投げつけた俺は、五時間目の日本史を結局サボって、その後の古典もサボった。

『俺を捕まえなきゃ、朱雀先輩のお兄さんと結婚してやるっ!お兄さんが可哀想だと思ったらっ、俺を捕まえろっ』
『はぁ?』
『捕まえなかったらっ、俺、先輩の義兄になるんだからな!』

ほんと、意味判んない。
先輩の婚約の話を本人から聞いて、あの時の俺はもう死ぬしかないって思ってて、でも格好いい先輩の顔見てたらやっぱり死にたくなくて、だから最後に。

もし先輩が俺を追い掛けてくれたら、それだけで思い残す事はないかな、って。
理由は何にせよ、追い掛けて来てくれたらそれだけで、生きていけそうな気がしたんだ。
馬鹿みたい。

「さっきチャイム鳴ったけど…いま何時だろ…」

普段、腕時計なんかしない俺だから、屋上に居る今、時間が判らない。
先輩に捨て台詞を投げつけて逃げた俺は、エレベーターに飛び乗って錯乱してたから、がむしゃらにボタン叩いて、それから何処をどう走ったのか、この屋上に辿り着いた。

フェンスから覗くと腰が抜けるくらい高いから、最初は涙も引っ込んで、もしかして最上階かもってビビったもんだよ。
最上階は中央委員会の執務室より上で、反対側のフェンスから覗いたすぐ下に、温室っぽいガラスアーケードに囲まれた庭も見える。
空中庭園、だ。

写真でしか見た事のない空中庭園は、中央委員会執務室と同じフロアにある。
進学科の生徒も中には入れなくて、自治会役員以上の役職がないと駄目なんだ。万一、無断で入ったらどうなるんだろ。

そんな空中庭園よりも上の屋上に入り込んだ俺は、退学になっちゃうかも知れない。

何がどうしたらセキュリティー万全な最上階に辿り着いたのかも判らないし、そもそも校舎の第二離宮に居た俺が、進学科と最上学部の教室がある中央宮に居る意味も判らないけど。
怖くて戻る事も出来なくて、ドアがある屋上に飛び出した部分の裏側、誰かが入って来てもすぐには見つからない所に隠れて、数時間ずっと膝を抱えてた。最初はビビってたけど、先輩の事でまた泣けてきて、こんな時間まで。

「ぐすっ。どうしよ…暗くなれば、見つからないかな…」

朱雀先輩が追い掛けて来てくれなかった悲しみを振り払う様に呟いて、さっきから太陽が真ん前に来てて暑かったから移動する事にした。
ドアの方にはいけないから、若干日陰になってる所を探してまた座り込む。

時間も判らないし、お腹も空いてきた。
今日は学食に行ったんだけど、左席ランチは売り切れてて、他のメニューはやっぱり高すぎて手が出ないから、購買のパンを2個買ったんだ。でもパン2個じゃ、育ち盛りの高校生は足りないよ。

夏休み事件から益々落ち込んでた俺は、たまに食べたものを吐いてたりしてた。今朝も朝ご飯食べた後に、トイレ行く振りしてゲロゲロ。

かわちゃん達にはもう迷惑掛けたくないから、夜はちゃんと寝てる。爆睡してる。

夏休みの間、胃薬欲しさに医務室に行って、イケメン保険医で超有名な、冬月先生に睡眠薬の弱い奴?を、貰ったんだ。
優しい顔立ちをしてる先生は、すぐに俺の不眠症に気付いてくれて。今では、かわちゃん達には勿論内緒で、お薬がなくなったら貰いに行ってる。

飲み過ぎは依存するし胃にも悪いって言われたけど、飲まないと朱雀先輩の事ばっかり考えちゃうんだもん。
申し訳ないけど退く訳にはいかなくて、先生に頼み込んだ俺は、パンを食べた後に猛ダッシュして医務室に行ったばかりだ。毎回、三日分しかくれないんだよ。ケチ過ぎる。

「お薬飲んで、寝ようかな。起きたら夜になってる、かも…」

口の中に唾をいっぱい溜めて、ポッケから睡眠薬を取り出した。その時に何かがポロッて落ちたけど、疲れてた俺は先に錠剤を飲み込んで、落ちたものを見たんだ。

「あ」

朱雀先輩に貰った、スマホ。
クラスメートから、携帯は解約するか支払いが何回か遅れない限り繋がってるって聞いた。
修理されてからまだ一回も電源を入れてない。
でも寝る前にはちゃんと充電器に挿してるから、かわちゃんもうーちゃんも、俺がスマホを触ってない事には気付いてないと思う。

たまに、かわちゃんが、もう諦めたの?とか聞いてくるけど、聞こえない振りしてるんだ。
うーちゃんも遠回しに、俺にスマホを使わせようとしてきた。二人があんまり気を使ってくるから、俺はスマホを使ってる『振り』をする。
そうすると二人共、安心した顔するから。


「…時間を確認する、だけ」

きっと、電源入れたらもう使えなくなってるんじゃないかな。携帯はお金が懸かるから、俺なんかの為にいつまでも払うの、勿体無いじゃん。

「え」

電源ボタンを押して、久し振りに起動画面を見た。時計が表示されるより早く着うたが鳴り出して、慌てて起き上がる。
こんな大きな音だったっけ?!どうしよう、中央委員会に見つかっちゃう。

「あわわ」

慌てたまんまボタン押してて、かわちゃんからだったら怒られるから、やっぱり慌てたまんまスマホを耳に当てた。

「も、もしもし?かわちゃん?ごめんっ、サボるつもりはなかったんだよっ」
『見つけた』

何か、声が…後ろから聞こえた、様な。


「まめ」

ギュッと。
後ろから俺を抱きしめてる、あったかいの、何?
ゼェハァ凄い息遣いが左耳のすぐ傍から聞こえて、左右の二の腕ごと抱き締められてる。
胸元に、おっきな、手。


「まめ」
「…」
「まめ」
「俺、…小豆でも枝豆でもないよ」
「マーナオ」

うりゅ。
眼球が多分壊れて、ダムが決壊したみたいに、ダバダバ垂れてくる。鏡なんか要らない。涙も鼻水も馬鹿みたいに、ダバダバ。

「せ、せんぱぁい。い、一回だけで良いからぁ、俺とえっちぃ事してぇ」
「…は?」
「そしたらちゃんと諦めるからぁ!ひぅ、奥さんには内緒にするから、一回だけぇ!」

もぞもぞ、朱雀先輩の腕の中で体ごと振り返って、ばっちい顔で先輩を見上げる。
俺の背後に太陽があるから、先輩の顔に日が当たって、汗がキラキラしてた。

「いいでしょっ?大丈夫だよっ、俺、ちゃんと頑張るし!何でもするから、ねぇ、いいでしょっ?」
「…」
「貧相で不細工なのはちょっと目瞑って…あ、そうだ、俺が口でするから!先輩は寝てたらいいから、ねっ?そしたら、やる気になるかも知んない」

俺なんかの為に走って来てくれたのかな。
先輩を脅したから、いっぱい走ったのかな。チャイムが四回鳴る間、ずっと。

「お、俺、何でもするからぁ、一回だけで良いの。そしたらもう我儘言わない、先輩に迷惑掛けたりしないから、ふぇ、お願いしますっ」
「何言ってんだ、お前。…泣くな、泣き止めって、ほら」
「ずずっ、ずび」

先輩がシャツの袖で俺の顔を拭く。
こんな汚い顔を自分の服で拭くなんて、なんて優しいんだろ。夏休みにゲロった時も、先輩はちっとも怒らなかった。
凄い優しい。って言うか、最初から俺、先輩に怒られた事なんかないんじゃないかな。初めは殴られたけど、今になったらあんなの、先輩には殴った内にも入らない。

「ひ、ひっく、ひっ、ぐすっ」
「なぁ、俺は確かにまともじゃねぇ。好き勝手やってきて、お前から見れば、ロクな人間に見えねぇと思う」
「ひっく…え?」
「でもよ。…そこまで見損なうな、頼むから」

眉をへにょりと垂れた先輩は、ぐちゃぐちゃな俺の目元を指で撫でながら、凄く、傷付いた顔をしている様に見えた。
まるで、このまま先輩も泣いちゃうんじゃないかって、くらい。

「何で、ンな顔して、抱けなんて言うんだ?ざけんじゃねぇぞ、頼まれたって抱くかよ。…馬鹿にするな」

ギュッて。抱き締められた。
体が引っ張られた拍子に手が先輩の太腿に当たって、ビクッと離そうとしたら、逆に掴まれた。

「馬鹿な事ばっかほざきやがって、お前なんかが咥えなくても、これだ。判るか、馬鹿野郎!」

熱い。
凄く、固い。
先輩の胸元に張り付いたまま、見なくても判る。触らせられた部分の感触、それが何を表してるのか、バカな俺にだって、判ったよ。

バカ。
やっぱり先輩は、バカだ。
俺なんかにこんな大きくするなんて、変態過ぎる。格好いいのに、英語もドイツ語も喋れるのに、さっきだって、あんなに可愛い子と話してた癖に。


誤解するじゃないか。
先輩が俺のこと大好きなんだって、期待しちゃうだろ。
物凄く幸せな事をバカみたいに考えて、また、自分が許せなくなるじゃないか。

先輩、俺ね、好きじゃない人とエッチするような、最低な奴なんだよ。先輩にはダメとかイヤとか散々言っておいて、その程度の奴なんだよ。


「せ、んぱ…」

だから、ね。

「俺のこと、好、き?」

もう、嘘でも好奇心でも、ただの暇潰しでも、何でも良い。
先輩が俺の何処を気に入ってくれたのか、毎日考えても答えは出なくて。何で俺なんかに好きって言うんだろ、って。毎晩泣きながら何回も考えたけど、やっぱり答えなんか見つからなくて。

「一回だけ、す、好きって、言って欲しいの…」

それでも会いたかったんだ。
一人じゃ何にも出来ない平凡な弱虫だけど、大阪まで探しに行ったんだよ。どうしても先輩に、好きだって、言いたかったんだ。

「…好きだ。好きだ好きだ好きだ、毎日、お前の事ばっか考えて頭が狂っちまう!好きだ!」

うん。
やっぱり先輩は優しいね。ありがと、俺、今なら死んでもいいや。眩暈がするくらい幸せ。
きっと、マリア様を前にしたネロも、パトラッシュと旅立つ時はこんな気持ちだったんだね。

「凄い嬉し…よ。あのね、俺も、大好きなの…」
「知ってる。…畜生、ンな大事な事は俺にだけ言え!何で俺以外の奴らが知ってて、ソイツらから聞かされなきゃなんねぇんだ!クソっ」
「先輩が居なくなってから、毎日悲しくて、死んじゃいそうだったんだよ…」

本当は、先輩を見つけ出したら真っ先に文句言ってやるつもりだったんだ。その為にコツコツ貯めた旅行貯金使って、新幹線に乗ったんだよ。

「夏休み、ゲロ掛けてごめんなさい。逃げちゃってごめんなさい…先輩に貰った時計、うぇ、無くしちゃってごめんなさい」
「まめ、それは」
「好きになってごめんなさい、先輩以外の人と…ひっ、ひっく、ほんとぅは、イヤなのに…っ」
「っ」
「最低なんだよ!俺、寝てたんだ!起きたら体中ベトベトで、腰から下が痛くてっ、なのに何にも覚えてないんだって!…笑っちゃうよね。先輩に会いに行ったのに、結局みーんな、台無し」

俺を抱き締める先輩の腕から、力が抜けたのが判った。涙が尽きちゃったのか、眼球が乾いてる。鼻水だけ啜って、先輩を見つめた。

「…先輩、要らないだろうけど、心だけあげる。新品の体はもう、あげられないから。あんな捨て台詞言ったけど、先輩より好きになる人なんか多分、居ないもの」
「マー、ナオ」
「俺ね、先輩に呪いを掛けるよ。先輩が幸せになるように」

頭がボーっとしてる。
何だろ、物凄く眠たいのに、目だけ渇いて焼け焦げそうなくらい、熱い。

立ち上がり、いつもは見えない先輩の旋毛を見付けて笑った。大好きな先輩、初めて好きになった人。
初恋は実らない。噂好きな皆みたいに、セフレでも良いやって思ったけど、結局、先輩を傷付けてしまったみたい。


「大好き」

眼下に広がる庭園は物語の様に綺麗で、あそこで眠ったらきっと、とても最高な気がしたんだ。


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