和室だ。
「メニョたん、ハァハァ」
「もえー」
だから和室なんだ。紛れもなく。
然も四畳半。俺の実家の部屋より確実に狭い。うちは六畳だ。勝った気がする、ショボイ庶民心。
「ま、まずはお熱測りましょうねっ!カイカイ助手っ、メス!」
「押忍」
「平凡受けは?!」
「オス」
いや、何故コタツがあるのかとか白衣を着た人間が二人も居るからには保健室だよなとか、突っ込み所が多々あるが、庶民愛好会と書いてあった気がする部室棟の奥には、和室があった。
「ハァハァハァハァハァハァ、何で検温にメスが居るのか!それはより早く服を切り刻んで、アレやコレやの萌え祭りに勤しむ為です、カイカイ助手っ汗!」
「面映ゆい」
怪しい息遣いの黒縁眼鏡さんが近付いてくる。隣の星形眼鏡さんが汗を拭いてやった。
大変仲良しみたいだ。
「メニョたんっ、今メニョたんのお熱を測りつつハァハァしますっ!じゅるり。…カイカイ助手っ、涎!」
「面映ゆい」
垂れまくる涎をじっと見てる場合じゃないみたい。
「あの、二人はお付き合いとか、してるんですか…?」
何を言うか俺の口。
幾らホモさんに免疫があるからって、それを言うか俺の口。
「お突き合い?突いて突かれるリバカップルの事かしら」
「しゅんしゅん外科部長、恐らく交際の事ではないだろうか」
「カイカイ助手、我々は清く正しい萌えの同志。そこに破廉恥な関係は割り込めませんっ」
「そうだな。我々は決して恋人同士ではない」
どうやら俺の勘違いな様だ。
なんてホッとしてる場合でもなかったみたい。
「隙有りィ!」
「わぁっ」
ガシッと黒縁眼鏡さんが俺のネクタイを掴むと、聴診器を持った星形眼鏡さんが眼鏡を押し上げた。
「ちょ、ちょっと、な、何ですかっ?」
「カイカイ院長っ、今こそメニョたんのおっぱいに聴診器を!」
「良くやった、しゅんしゅん看護師」
白衣を着た眼鏡二人に素っ裸にさせられそうになっていた俺は、何でこんな所で拉致監禁されてしまっているのか茫然自失。
「ただいまー、誰か居るのかなー…ん?」
自称オタクさんの眼鏡が怪しく光っている事にも気付かないまま、カチャリと開いたゲーセン側のドアを見た。
いや、皆が突っ込みたいのは判る。
何で和室の隣にゲーセンがあるのか、20畳はあるだろうロッカールームが何故四畳半の畳とゲーセンに分けられているのか。
俺に判るなら皆も判っていると思う。残念ながら俺にはさっぱり判らないよ。
「何やってんだよっ、オタク共!」
開いたドアの向こうで一瞬パチパチ瞬きした人が、片手に持っていたPSPを投げた。
ナイスコントロールだった。
「む、面映ゆい」
「ふぇ?むぎょ!」
まずは星形眼鏡さんの額に当たって、次に黒縁眼鏡さんの股間に当たったんだ。
「ぷはーんにょーん」
可哀想過ぎる、黒縁眼鏡さん。
「きゃ、きゃー!むにょ、きょきょきょ、にょーん!…ゲフ」
「傷は浅いぞ、気を確かに」
「タマタマちゃんが!タマタマちゃんがー!しくしく」
「傷は思ったより深い様だ、一旦退くぞ」
潰れた悲鳴を上げて畳の上を転がりまくる白衣を着た黒縁眼鏡さんがパタリと動きを止め、しくしく泣き始める。何だか可哀想になった俺が近寄るより早く星形眼鏡さんに抱き抱えられて、オタクコンビは居なくなった。
「勝ったと思うなよ、MOEの君」
「痛いにょ痛いにょ、飛んでけー!タマタマちゃん、あっちいけー!あっ、あっちいっちゃ、めーにょ!ふぇん」
何でお姫様ダッコだったんだろ…。
「…えっと」
「大丈夫かい、君とPSP!」
「え?あ、はい、PSPも何とか大丈夫みたいです」
「あはは、大丈夫大丈夫、壊れてたらあの二人を吊してたよー」
「は?」
笑顔で寄ってきた人に見覚えがある気がした俺は、冷蔵庫の中に放り込まれた様な寒気に震える。
「どうせあの二人がやったんだろうけど、目に毒だね」
「あっ、すいませんっ」
PSPを手に取った俺より少し大きい人、恐らく先輩に頭を下げて、乱れまくった制服を整えた。
「あの、何か有難うございました」
「うん、お尻は無事みたいだねー。でもその傷はどうしたのかな?まさかあの二人が付けたのかい?」
「いや、これは別の…」
「相手の名前が判るなら仕返ししてあげよっか。ちょいと引き籠もりになるくらいの、ね…」
長居するのは宜しくない。
ニコニコPSPを充電器に繋げた多分先輩が、さっきの金髪不良より恐かったんだ。例えるなら天井を這う真夏の黒い使者。殺虫剤なんか使えば確実に落ちてくるから、布団に潜り込んで息を潜めるしかない。
「相手の名前は知らないんですけど、さっき眼鏡さん達が助けてくれたので…そうだ、星眼鏡さんは知ってると思います」
「あー、成程。あの人は規格外だからねー」
「それに相手はFクラスらしくて、…出来るなら関わりたくないです」
「Fクラス、か。また厄介な」
短い溜め息を吐いた人から冷たい麦茶の缶を渡された。漸く壁ぎわの冷蔵庫に気付いて、改めて頭を下げる。
「とにかく君の身は危険だよ。いや、実際はこの上なく安全なんだけどその不良相手には余りに危険過ぎる。例えるなら真夏のコンビニ弁当、腐るよ」
この人は多分庶民じゃないかな。
「腐った奴らから逃げるしかない。アレは無意識に洗脳されるからね、気付いたらこっちまで腐るんだ。無意識に受け攻め判別してる自分に気付いたら、アウト」
「え?」
「いいかい、全力で逃げ回るんだよ。今日あの二人に出会った時、もし目の前にイケメン不良が居たなら、」
「確かに格好良かった気がしますけど…何か偉そうだし変態そうだし、暴力男だったから良く見てないです」
「………。いいかい、その不良から全力で逃げ回るんだ。それ以外、助かる道はない」
「どう言う事ですか?そもそももう関わりたくないんで、逃げるも何も、」
「ごめん、絶対関わるよ。これだけは俺にも止められない。君はその不良と嫌でも関わりあいになる。
帝王院の全てがそう仕向けるからね」
神妙な表情ではっきり言い切った先輩は、自分が着ていたブレザーを脱いで差し出してきた。
「汚れ物は全部置いて行きなよ、クリーニングしといたげる」
「あ、いや、でも」
「まだ授業があるだろ?それにクリーニングって結構高いし」
押し入れから新しいシャツとスラックスまで取り出して、次々に渡された。ボーッとしている間に一番汚れたブレザーを脱がされて、制服一式を抱えたままもう一度頭を下げる。
「これ以上脱がせたら、俺までセクハラになるから。後は自分でやりなよ」
「は、はい。何から何まで有難うございました。先輩、ですよね?」
「二年の山田だよー。何かあったらいつでも相談しに来なよ?」
「あ、はい」
「じゃ、俺は先に行くねー。充電しに来ただけだからー」
にっこり笑ってドアへ歩いていく背中に、そう言えば名乗っていなかった事を思い出して慌てまくる。
これだけ世話になっておいて、自己紹介もしていないなんて。口煩いかわちゃんにバレたら、大事だ。馬鹿にされまくる。
「待って下さい山田先輩っ、あの、俺は一年のっ」
「大丈夫、すぐ判るからー。何かあったら必ず相談しに来なよー。クリーニングしたら届けるからねー」
ひらひら手を振って出ていった山田先輩が、ドアの向こうで『俺より小さい平凡受けキター!』と絶叫していた事なんか全く知らない俺は、
「山田先輩、かぁ。何か庶民的な感じだったな。Aクラスの人かな?Bクラスだったら、仲良くして貰っちゃお」
貰った麦茶と制服を抱えたまま、拳を握った。
合コンのお誘いとか宿題丸写しとかさせて貰えるかも知れない、なんて気楽だ。一度で良いから女の子と並んで歩いてみたい俺は、身内以外の女の子と会話した事が殆どない。
物心付いてこの方、男子校育ちのチェリーブロッサムでございます。
「あのオタクさん達は何組なんだろ。Fクラスだったら、最悪だよ…」
それが後に大変な間違いだと気付く訳だけど、それはまた別の話。
「あ、メニョじゃないって言うの忘れてたし。…段ボールもない!」
因みに、山田先輩のスラックスはウエストが足りなかった。謎がまた増える。
先輩が細いのか、俺の腹がポニョなのか。