可視恋線。

最後の暴風雨に飛び込む用意を

<俺と先輩の仁義なき戦争>




「あー…、悪い、久々にとことん呑んだから、頭が働いてないみてぇだ。…今、何っつった?」

蜂蜜を舐める某ファンシー熊の様に体を丸め、ガラガラの声で呟いた松原家大黒柱は、酔い醒ましの梅干し入り煎茶を前に、凄まじい表情だ。
寝起きの上に、壮絶な頭痛と喉の痛みで、頭を持ち上げる事も難しい。

「だからのう、石さん。奥方の了解は貰っておる。昨夜は石さんも乗り気だったろうに」
「…乗り気?いつ俺がそんな戯言許可した!瑪瑙はれっきとした男だぞっ、男!」
「十二分に存じておるとも」

大黒柱の向かい、これまたかなり呑んでいた筈の男は血色良く、虎柄の浴衣で松原家の居間に馴染んでいる。
湯気を発てる庶民的昼ご飯を珍しげに眺め、遅い昼食を優雅に楽しんでいた。

「判ってたら何で、手塩に掛けて育ててきた可愛い息子を、アンタの息子にやらなきゃなんねぇんだ?!巫山戯けんなっ」
「我が息子の朱雀は将来有望ぞ。帝王院学園では進学科に在籍しておった事もある」
「う」
「我の跡を継ぎ、アジア経済を掌握する男だ。何より、マーナオも朱雀を好いておる。健気に想いを寄せる様を見れば、黒いカラスも赤くなると言うものだ」
「め、瑪瑙が、男…男なんかに…っ」

ガンガン、テーブルに頭を打ち付けた大黒柱は飛び跳ねた煎茶を被ったが、それには構わず肩を震わせ始める。

「瑪瑙…うう、父ちゃんは、父ちゃんは嫌だぁ!瑪瑙が嫁さんに行くなんて、父ちゃんは認めないぞぉ!うわぁあああっ」
「石さん、気持ちは判るぞ。此処まで大切に育てた息子を手放すのには勇気が要ろう。…だがな、子の幸せを願うのは、親の本能」
「あ、ああ…、瑪瑙ぉ、お前はラーメンを作る為に産まれてきたんだ…ラーメンを作る為にっ。男に嫁がせる為に育てたんじゃねぇ、畜生!」

男泣きに暮れる大黒柱に、リビングでゲームをしていた子供達は耳を塞いだ。冷たい麦茶を運んできた松原家の母は、騒がしい大黒柱に片眉を跳ね、

「あら、良い男だったわよ?アタシがもう少し若かったらねぇ、ほほほ」
「母ちゃんなんか向こうから嫌がられるって」
「痩せてから言えよな」
「何か言ったかい、アンタ達!」

逃げる子供達を鬼の形相で追いかけていった嫁を横目に、大黒柱はまた泣いた。

「うっ、ううっ」
「石さん、我もタダでマーナオを頂こうとは思っておらん。正式に住まわせるのは卒業後となるが、誰に似たのか朱雀は気が短い。籍だけでも先に、と言い出しかねん。そこでだ」

ドンっと。
トランクケースを置いた男は、パチンと中を開き、ぎゅうぎゅうに詰まった札束を大黒柱の前まで寄せる。

「まずは結納金だ。不肖の息子だが、馬鹿は馬鹿なりに愛おしい一人息子。卒業までは日本に住まう事だ、石さんにも迷惑を掛ける事だろう」
「か、金なんかよせよ、瑪瑙は金なんかじゃ代えられねぇ!」
「判っておる。いずれ香港か上海か、マーナオが朱雀と共に移住した暁には、まっちゃんラーメンアジア支店の経営を任せるも良し。新婚の食卓に熱々のラーメンが並ぶのを、孫と共に見守ろうではないか、のう、石さんや」

孫?
いや、それよりまず、アジア支店?
中国に店舗を広げるのは博打に近い夢だが、確かに、大河がスポンサーならば、支部の会社を建てる事も夢ではない。

立派に卒業した息子のパリッとしたスーツ姿…いかん、七五三にしか思えなかった。
まぁ、だが、跡継ぎがアジア支店の社長と言うのも、良いものだ。五人の子供それぞれに支部を任せ、行く行くは世界制覇。

ブラジルではサンバラーメン、ノルウェーではサンタラーメン、イギリスならベルサイユラーメン、いや、バッキンガムラーメンか?

「南極ラーメンも良いのではないか?期間限定、昭和基地ラーメンもオツだのう。ふはは」
「…」
「親想いの息子ぞ。愛する者へ嫁ぎながらも、父の仕事の手助けをする健気なマーナオ…」
「っ、瑪瑙!そんなにも父ちゃんの事を…!うう、そうか、そうだったのか、瑪瑙ぉ」
「やるからには我は派手に催すぞ。抜かりなく、モンゴル、中国、タイ、ベトナム…アジア支店の一斉開店で、経済界をあっと驚かせようではないか。…時に、店内有線は演歌専門チャンネルでどうかね」
「…」
「株式会社笑食とのコラボレーションに併せ、アジアラーメン先行発売など銘打てば、日本でも十分、利益が見込めるのう…」

大黒柱は涙を拭った。
子供の幸せは親の幸せ。そんな親心で固い握手を交わした父親二人には、息子よりも今は、儲けが大事だった。

「はっさんに広告塔を任せても?」
「アジア全域が我の庭よ」
「く、くっくっく…世界制覇、か!ラーメンに平伏すが良いわ、人間共!!!はーっはっはっはっ」
「そちも悪よのう…。ふははははは」


本人の預かり知らぬ所でこの日、大河朱雀と松原瑪瑙の婚約は、滞りなく済んだ。











「メェ、いつまで鏡見てんの?遅刻するよ」

パリッと登校準備を終えたかわちゃんが、昨日まで夏休みだった事を悟らせない凛々しい顔で、睨んでくる。
慌てて咥えてた歯ブラシを下ろし、口を濯いだ俺はもう一度鏡を見つめ、ヨシと小さく呟いた。

「待って、今行く!っしょ。鞄ヨシ、上靴ヨシ、宿題もオッケー」
「忘れ物は?」
「ないであります、川田大佐!」
「はいはい、朝から訳判んないテンションやめな」
「まっつん、ホッペに歯磨き粉ついてるよ」
「えっ」

まだまだ、今朝も朝から暑い。
今日から9月なのに、いつまで暑いんだろう。
眩しい太陽を見上げながら、並木道を宮殿みたいな校舎に向かって歩く俺達は、いつもの俺達だった。

夏休みのドタバタも、その前のドタバタも、まるで全部が嘘だったみたいに。

「うーちゃん、今日は何か人が少ないね」
「国際科と最上学部が入れ替わりで夏休みだし、中等部は4日まで休みだからじゃない?Sクラスは九時からだもん」
「うう。工業科は良いなぁ、クーラー効いてるんでしょ?普通科にはクーラーも暖房もないのに…。暑いよー」
「精密機械は蒸し風呂の中じゃ使えないだろう。今日は始業式だけだし、暑い暑い言わないの。情けないね」

寮にはクーラーがある。
でも普通科の光熱費は生徒持ちだから、無駄遣いは出来ない。幾ら三人居るから割り勘って言っても、親の負担になるからね。
もっぱら扇風機とアイスノンで乗り切るんだけど、今年はホントに死ぬかも知れないよ…。

「あー、実家は涼しかったぁ」

殆ど寮生活だから未だに実感がないけど、やっぱり父ちゃんは社長だ。
たまにしか帰らない実家は、埼玉寄りにある前の実家とは違って綺麗だし広いし、昔はなかった電化製品もちゃんとある。

母ちゃんから呆れた表情で、もう少し生活費使っても良いわよ、と言われてしまった。

『毎月、学校からの引き落とし見てたけど、殆ど授業料じゃない。川田君と宇野君が良い友達だからって、学食使ったり買い物したりするでしょ?』

今まで小遣いだと思ってた父ちゃんからの振り込みは、幾ら寮生活でも、現金も少しは必要だと思って振り込んでくれてたんだって。

『馬鹿みたいな無駄遣いは怒るけど、これからは変に気を遣わなくて良いわよ』

俺はずっとその小遣いを切り詰めて生活してたから、引き落とされるのは授業料と最低限の光熱費、くらいだった。
最近、父ちゃんが住んでる家にしか行ってなかったから、母ちゃんとゆっくり話したのは久し振りで。気が済むまで家に居なさいと言ってくれた母ちゃんは、結局、三日前まで俺が居ても世話してくれたんだ。

朱雀先輩と再会した日、何かいきなり忙しくなったらしい父ちゃんは東京に戻ってしまった。
慌ただしく居なくなった父ちゃんに甘える暇がなかった弟達は、落ち込んでる俺を元気づけようといつも以上に煩くて。

いつもお世話になってるからお持て成しするわよ、と気合いの入った母ちゃんのご馳走責め。かわちゃんとうーちゃんは3日間泊まって、それぞれ解散した。

かわちゃんはお祖父ちゃんの家に、うーちゃんは一人暮らし中のお姉ちゃんの家に。


残ったのは、修理が終わったらしいスマホと、時計だけかなくなった、俺のリュックサック。
朱雀先輩から貰ったお洒落な時計がない事にはすぐ気付いたけど、敢えて二人には聞かなかったんだ。忘れようと思ってるのに、未練がましいもんね。

紅蓮の君が弁償すると言った通り、スマホは本当に元通りだった。

中身もちゃんと直ってるとかわちゃんは言ってたけど、俺はスマホの電源を入れられないまま、勿論、朱雀先輩に返す事も出来ないまま、鞄に入れている。
だから鳴らないし、電源を入れた所で、多分、鳴らないし。

「ねぇねぇ、見た?朱雀の君、何か雰囲気違ってたね!」
「退学するって噂、ホントなのぉ?やだぁ、じゃあ結婚の話もぉ?!」
「嘘ぉ、ボクまだ一回しか抱いて貰ってないのにぃ。基本的に彼ってヘテロだもんねぇ、しょうがないかぁ」
「外じゃ女しか相手にしてないらしいじゃない。あーあ、ボクも一回くらいお手つきになっておきたかった」
「最上学部ってさぁ、経済学部だけ校舎内にあるじゃん?そこの研究生と、朱雀の君が…」

朱雀先輩の噂は、夏休みの間もあれこれ流れてた。どれもこれも曖昧な噂でしかなかったけど、ちょっと前に先輩が寮に来てたって話が広まって、最近は益々賑わってる。
進学科の皆様に会う機会がなかったから、Fクラスでも特に目立つ先輩は噂の的なんだ。

「まっつん、行こう?」
「う、うん」

先輩が誰々に手を出したとか、大学の女生徒に手を出したとか、根も葉もない噂がしょっちゅう飛び交ってる。
夏休み前から婚前旅行に行ってたとか、婚約者が妊娠してるとか、大河の跡を継ぐとか、いっぱい。

「見て!朱雀の君だよ!」
「いやぁ、素敵ぃ」

女の子みたいな声を出す生徒達に、渡り廊下から外を見てしまった俺は、一瞬で後悔した。


ああ。
朱雀先輩、だ。
髪の毛が真っ黒になってるけど、他は変わってない。今日は青いカラコンだ。


「メェ」

かわちゃんが俺の肩を叩いて、凄く可愛い生徒と話してる先輩を見ていた俺は、ツンと痛んだ鼻を擦りながら窓から目を離した。

なぁんだ。
先輩って、面食いなんじゃん。
そうだよね、そう言えば、先輩に初めて会った時、凄く可愛い子とエッチしてた。凄過ぎる光景に目が拒否したけど、確かブラックタワーが突き刺さってた様な気がする。
俺の所為で不機嫌になった先輩に追い払われた子は、あれから何回か朱雀先輩に話し掛けてた気がするけど、いつの間にか居なくなった。
確か、先輩が暫く居なくなって、俺がカルマの錦織様に誘拐された時くらいからだ。

それまでは、俺にセクハラしながらもセフレっぽい相手が居たと思う。ズボンに土埃つけて、いかにも『一戦交えてきました』みたいな先輩を何度も見たし。
だから、ただの変態ヤリチンって思ってた。


「朱雀先輩…」

俺、勝手すぎる。











「おーい。何だテメ、ぼーっとして。俺が可愛すぎて勃った?(=゜ω゜)」
「…うぜえ、失せろ健吾。何で化粧なんかしてんだテメーは」

植え込みの中に突っ立っている長身へ近寄った男は、可愛らしいメイクを施し茶髪のウィッグを被っている。

「失恋して凹んでるテメーを元気づけてやってんだろ?(//∀//)俺の可愛さに惚れろや☆いっぺんぐれぇ抱いてやっから」
「勃たねぇし掘られて堪るか、消えろ死ね廃り果てろ」
「コンニャロ、最近語彙が増えてやがるっしょ!Σ( ̄□ ̄;)…ん?あれ、まっちゃんラーメンじゃね?(p_-)」
「…あ?」
「さっきまであそこに居たぞぃ(*´Д`)普通科は今日から登校だもんよ(・∀・)」
「…」
「で、どうすんだオメー?ユウさんが心配してたぞぇ。折角、親父さんが退学取り止めてやるっつってんのに、明らか腑抜けやがって(´`)」
「煩ぇ、関係ねぇだろ。いい加減失せろ、ダリーな」
「うひゃ、好きに腑抜けてろw実の親父に寝取られてりゃ、世話ねっしょ(≧∀≦)」

九月の空は未だに灼熱の太陽を抱き、遅い蝉の音は尚も力強く。


「マーナオ」

此処にも脱け殻が、一つ。


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