可視恋線。

降雨量が過去最強を記録しました

<俺と先輩の仁義なき戦争>




青い空。
白い雲。
照りつける太陽。
ああ、なんて良い天気だろう。


「おわっ、いきなり降ってきたぞ!」
「かっ、雷まで?!何だ何だ?!台風が来てるなんて、聞いてない!」

荒れ狂う稲妻と土砂降りの中、各々思い思いに駆けていく人の群れを他人事の様に見送りながら、彼は呆然と己の唇へ手を当てた。


「何て、言ったんだ…」

上半身裸のまま、アスファルトを跳ねる水滴が足元を濡らしても、通り過ぎたトラックから泥水を掛けられても構わず、彼は鳴り止んだスマホを握ったまま。

「…好きなら何も問題ねぇだろ?意味判んねー。何なんだ、一体…」

瑪瑙の台詞が把握出来なかったのは、何も馬鹿だからと言う理由ではない筈だ。苛立たしげに髪を掻いた朱雀は指を咬み、苛立ちのまま足を震わせる。
貧乏揺すりなど、初めてだ。

『俺、先輩以外の人と、エッチしたんだよ』

それが何だ、と。
今までは間違いなく笑い飛ばしただろうその台詞は、突如与えられた口付けと同じ、凄まじい驚愕を与えた。

「…冗談、キツいぜ、マーナオ」

口付けは舞い上がるほど嬉しかったが、こちらは違う。苛立ちと焦燥感、凍り付くほどの恐怖を呼び寄せた。

『これで笑えたら、先輩、俺のこと好きになってくれるんだよね?朱雀先輩、誰と浮気しても、戻ってきてくれるよね?』

貧乏揺すりだった筈の足だけではなく、全身が小刻みに震えている。また、それを止められそうにない。

『でも、ね、先輩。俺、やっぱり無理…みたい。先輩以外となんて、やっぱり、やだ。死にたくなるんだよ…』

彼は何を言っていたのだろう。
舞い上がるほど嬉しい言葉と同じだけ、恐ろしい言葉を残していった。まるで、呪いの様に。

『俺、先輩が大好きだったけど、もう、やめたんだ。…これからは、身に合った人を好きになるよ』

他人を・と、言う事か。
自分を好きだと言ったその唇で、他人の元へ行くと、そう、言ったのだろうか。何を馬鹿な事を。

『ごめんね、先輩。先輩に相応しい人間になれなくて、ごめんね…』

笑いながら泣いていた。
そんな痛々しい顔は初めて見た。そんな痛々しい顔をさせたのが自分だと、考えた瞬間、立ち上がってバスの時刻表を蹴りつける。

「…糞が!相応しいだと?!意味判んねー事グダグダほざきやがって、あの野郎!」

殴って、殴って、血が滴る拳に舌打ちして、最後に蹴り上げた。
耳を覆うほどの音は殴りつける雨に掻き消され、時折通り過ぎる車が水溜まりを跳ねさせる飛沫の音と雨音だけが、世界の全てだ。

遠くで、鐘の音。
僅かに止んだ雨、ずぶ濡れの自分は酷く情けない格好をしているだろう。左肩に辛うじて引っ掛かっているだけのシャツは、雨が汚れを流していた。

『お幸せに』
『何でいつもいつもセクハラばっか言うんだよっ、バカ!』
『その時計、格好いいね』
『え?綺麗だって思っただけだよ。緑から赤になるなんて、ロマンチック』
『もー、毎日送ってくれなくてもいいよ』
『先輩』
『やだーっ、お腹空いたのに犯されちゃうんだーっ』
『かわちゃんのエビチリがっ』

『ずちぇ』

『これで笑えたら、先輩、俺のこと好きになってくれるんだよね?朱雀先輩、誰と浮気しても、戻ってきてくれるよね?』

『せんぱい』


『おしあわせに』


がつん、と。
時刻表に打ち付けた額、痛みなどない。
ぐるぐるぐるぐる、渦の様に螺旋の様に、頭の中を壊れた映写機の如く駆け巡っているのは、会いたいと願い続けた異国人の。

「………」

笑顔が見たかった筈だ。
そう、確かに彼は笑っていた。痛々しい表情で、恐らく無意識に涙を零し、笑っていた。
結果はどうあれ望み通りに、笑顔だったではないか。

「誰、だ。誰が手ぇ付けやがったんだ、誰がアイツに触ったんだ、畜生…!」

苛立ちがやまない。
理由のない焦燥感が沸き起こる。

これが、嫉妬、だろうか。
あれほど煩わしいと嘲笑ってきた、惨めな女達が度々見せつけたもの。
人間の宿す欲望の中で最大の醜さを知らしめる、これが嫉妬・か。


全身が焼けそうだ。

ずぶ濡れの全身は小刻みに震え今にも凍えそうだと言うのに、怒りでどうにかなってしまいそうだ。


腹が裂け内臓が夥しく弾け飛んでも、この熱は冷めそうにない。



『先輩が大好きだったけど、もうやめたんだ』

過去形。
だった、は、過去形だ。小学生でも知っている。
やめたんだ。やめたんだ。やめたんだ。やめた、とは、ストップ。即ち、終わり。先には続かない、そう言う意味だろう。

「何で…」

頭で把握していなくても、本能が抱き締めようとした。笑いながら泣く顔を、捕まえようとしたのだ。
けれど明らかに逃げられた。以前ならばそれも気にせず思うまま、望むまま手を伸ばした筈なのに。


『さようなら』

誰と幸せになれと言ったんだ。
絶望を与えたその唇は、誰と幸せになれと言った?


母が死んだ時はまだ、気丈に振る舞えた気がする。けれど今は、



「…心臓が痛ぇ。破れちまう…」

ただの一歩も、踏み出せそうにない。












「お疲れ。…まっつんは?」

部屋を出るなり、廊下に座り込んでいた宇野が見上げてきたので、軽く首を振って息を吐いた。
正午を回り大分経つが、朝から何も口にしていない筈の二人は、然し空腹を忘れている。

「泣き止まないし錯乱してたから、頭に来て一発殴った」
「わぁ、バイオレンス…」
「今は押し入れに籠もってシクシク泣いてる。呼んでも出て来ないから、放っとく」

川田に怒られた瑪瑙が、泣きながら共同トイレに籠もるのは良くある話だ。そんな場合、腹が空くまでまず出て来ないから、川田は最初から相手にしない。
それで瑪瑙が朱雀に拉致されていた事もあったのだが、実家の押し入れだから、今回は心配はないだろう。

「それにしてもヒッチハイクしたなんて、流石まっつん。想像を越えてる」
「感心してる場合か!今回は運が良かっただけだ。相手が悪人だったら、今頃どうなってたか…」
「左席ツートップに怒鳴り散らした人の言葉とは思えないな〜」

楽しげな宇野を睨めば、失言の主は足早に階段を降りていった。


「メェ…」

宇野には殴ったと言ったが、本当は違う。
今まで瑪瑙から聞かされた話は、彼個人には余りにヘビーな話ばかりで、川田には何の言葉も掛けてやる事が出来なかった。

朱雀に別れを告げた、と言った瑪瑙はそのまま川田に背を向けて、声もなく泣き始めてしまったので、今は一人にしてやろうと外へ出たのだ。

ドア越しに悲しげな啜り泣きが微かに聞こえている。ドアに背を預けたまま座り込んだ川田は膝を抱え、ギュッと眉を寄せた。

「…好きなら、その気持ちだけじゃ何で駄目なの」

朱雀の兄とエッチした、と。
瑪瑙は言っていた。記憶はないそうだが、状況証拠が全てを物語っており、川田には何も言えない。

これなら朱雀は喜んでくれる、浮気しても戻ってきてくれる、なのに、許せなかったんだ。
と、瑪瑙は呟いた。好きな人以外に体を許してしまった自分が、どうしても許せなかったのだと。

瑪瑙の弟達を構っていた宇野は、瑪瑙の錯乱状態を考慮して、川田に任せ部屋には入ってこなかったが、川田は後悔している。
聞かなければ良かった、と。


朱雀は呆れるほどに瑪瑙が好きだ。
そして、馬鹿な瑪瑙も、いつの間にか朱雀を好きになってしまった。

話がそこで終わっていたなら、川田が多少怒鳴り散らした所で、幸せな二人を阻む者は何もなかった筈だ。


朱雀の兄。

それが誰なのかは判らないが、瑪瑙はヒッチハイクで実家に戻るまで、ずっと彼と一緒に居たらしい。
朱雀の父ではないのかと何度も確かめたが、瑪瑙は頑なに首を振った。あんなに若い人が父の筈がない、と。

ならば、朱雀の予想と違う。
昨夜、朱雀は自分の父親が全ての元凶だと言った。
そもそもの元凶は遠野俊の思い付きだが、大河社長の勝手な行動で大幅に予定が狂い、瑪瑙の追跡が出来なかったらしい。

予定通りなら瑪瑙には必ず誰かが付いていて、危険な目には遭わさなかったと言った。

リスキーダイスの集会所でリサが危害を加えたのは想定外で、瑪瑙を警備していた嵯峨崎佑壱もロケの合間にデバガメしに来た神崎隼人も、油断したそうだ。

だから左席委員会は計画を一時中断し、朱雀を瑪瑙の元に帰すつもりだった。
と、言っていたが、外部入学の帝君が何を考えているか判らないので、全てを鵜呑みには出来ない。

「…判らない。朱雀の君は一人息子じゃないのか?誰なんだ、兄って」
「かわちー、まっつんのママさんがお昼ご飯食べなさいって。馬鹿息子は放っとけば良いって言われた」

再び階段を上がってきた宇野の言葉に立ち上がり、背後のドアを見やる。
啜り泣きは未だ聞こえていたが、やはり掛ける言葉が見つからず、息を吐いた。

「海陸、話がある」
「まっつんの事?」
「ああ。だがその前に、ご飯を頂こう」

宇野が敢えてチビの遊び相手を買ったのには、川田達なりの理由がある。何処に盗聴器やら仕掛けられているか判らないので、前もって川田は松原宅に入るなり持っていた着替えに服を変えて、全ての荷物を宇野に預けていたのだ。
宇野まで同じ事をしては相手に警戒されてしまうだろうから、彼には一役買って貰っていた。川田が今から風呂に入る様な事を、宇野は口にしただろう。服を着替えても可笑しくない、と言う様な事を。

打ち合わせはしていないが、宇野は鋭い。
今も声音は笑っているが、目だけで話し掛けてきた。

(カラオケルーム)

階段を降りるなり、目に付いた防音部屋に顎をしゃくった宇野へ頷いて、二人はリビングへ足を向けたのだ。










「総長!ずぶ濡れやんか、何してん?!」

ワゴン車の中から顔を出した瀬田は、煙草を買いに降りようとしていた村瀬のシャツを鷲掴み、向かい側のバス停を指差す。
後部座席で寝転がっていた松田も起き上がり、運転手の男も目を丸めていた。

「あ?何やってんだアイツ、松原に会えたんじゃなかったのか?」

何故、運転席の赤毛が二つ結びのウサギヘアーなのかは、ともかく。
慌てて降りていった瀬田達は、小雨の中ボーっとしていた朱雀を車に乗せた。

岡山までの交通手段は、瑪瑙のスマホを壊した嵯峨崎佑壱の愛車だ。
ハイブリッドではあるが、特に珍しくはない大人数向けワゴン車。カルマなどで出掛ける際、使い勝手が良いと言う。

「…汚ぇ餓鬼だ。シート汚すなよ」
「細かい事ほざくなよ、後輩相手に。松田ぁ、後ろにタオル乗ってんだろ?おい瀬田、その大荷物は何だ」

助手席で今まで無言だった金髪が口を開き、面倒見の良い赤毛から睨まれた。瀬田が運んできたずぶ濡れなビニール袋は、朱雀の足元やベンチの上にあったものだ。

「判らんけど、総長に聞いたら買うた言うてるから…」
「ジュースと菓子、か。お、タオルも入ってっけど…びしょびしょじゃねーか、使えねー」
「姐さんは居らんかったな。総長、一緒やったんちゃうの?」

村瀬の言葉に返事はない。
タオルを被った朱雀は微動だにせず、息を吐いた運転席の男は小雨の中降り立ち、後部座席のドアから瀬田を股越して割り込む。

「高坂、運転頼む」
「あ?何で俺様が」
「仕方ねぇだろ。免許持ってんの、俺とテメーしか居ねーし」
「ちっ。何処に行きゃあ良いんだ、…後で覚えとけよ」
「着替えさせて飯食えるとこ。たまには総長と組員以外にも優しくしろや、光王子副会長」
「面倒ばっか押し付けやがって…」

朱雀の濡れた服を剥ぎ取り、甲斐甲斐しく拭いてやる赤毛のオカンは、呆然としている後輩不良達に凶悪な笑みを浮かべ、

「コイツ風邪引かしちまうから着替えさせて、何か喰おうぜ。朝の弁当、急いで作っちまったからよ、物足りなかったろ?奢ってやっから好きなもん喰えや」
「「「エンジェル…!」」」

恐ろしい速さで急発進したワゴン車が交差点でいきなりドリフトしたが、声もなくシートに張り付く三人を余所に、赤毛は呆れた様な溜息を漏らした様だ。


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