可視恋線。

熱中症対策には適度な水分と塩分を

<俺と先輩の仁義なき戦争>




少しばかり未来を覗いてみよう。
7月29日、PM7時。


「…どちら様?」

横開きのサッシを開けたまま団栗眼を丸めた小太りな女性は、シックなスーツ姿のスラリとした美丈夫に見惚れている。
走り回る幾つもの足音が響く中、ニコリと笑んだ男は恭しくお辞儀し、

「社長にご連絡差し上げた者です。…失礼ですが奥様ですか?大変お若く美しいので、娘さんかと」
「あらま、嫌だわっ!うちの人ったら何も言わなくて…まぁまぁ、此処で立ち話も何ですからお入りになって。子供が四人も居るので煩いんですが…アンタ達!お客様がいらしたのよ、静かになさいっ」

怒鳴りつけた女性はわざとらしく笑いながらスリッパを置き、戸口から顔を出した子供達をキッと睨んでいる。

「ねぇねぇ黒曜兄ちゃん、誰?」
「俺が知る訳ないだろ…。琥珀は知ってる?」
「さぁ?父ちゃんの友達じゃない?あ、駄目だよ真珠、母ちゃんに見つかっちゃうよ」
「兄ちゃんの友達かも!夏休みは帰ってくるって言ってたじゃん、母ちゃんが。あ、見えないよ紅玉」

頭が四つ、玄関を見つめていた。
しっしっと手で払う母親に怯み素早く居なくなった彼らに、にこやかな表情の男は吹き出し掛けて慌てて口を塞ぐ。

「可愛らしいお子様だ。小学生かな?所で、社長はいつ頃ご帰宅で?」
「ごめんなさいねぇ、騒がしくて…。ほほほ、主人は埼玉で暮らしてますのよ」
「おぉ、そうとは知らず失礼しました。突然参りまして」
「いえいえ、主人とはお仕事の関係で?」
「そうなりますかな。スポンサー、とでもお考え下されば結構」

名刺を取り出した男に、背を正した女性は座布団を薦めながら鼻を膨らませた。煌びやかな純金製の名刺は、薄いのにしっかり重い。
大河白燕、と刻まれた名刺を思わず両手で受け取った松原家の肝っ玉母さんは、頭の中で素早く高級コーヒーにしようと決定する。御歳暮で頂いたものだが、勿体無くて飲まないままだったものがあるのだ。

「コーヒーで宜しいかしら?主人は仕事人間で気遣いに欠けてる所があるんですよ。前もって言ってくれれば、お持て成しする事も出来ましたのに…」
「どうぞお構いなく。本日こうして参りましたのは、」
「たたたただいまー!母ちゃん、母ちゃんは居るかぁあああ、俺だ!母ちゃんの父ちゃんだっしょい!」

玄関からバンッと言う音が響き、騒がしい足音と共に怒鳴り声が近付いてきた。然しパターンと言う音が廊下から聞こえると、松原家の誰もが頭を抱える。

「父ちゃん、大丈夫?」
「走るから転ぶんだ、気を付けろよな」
「こんな狭い家で走らなくてもさぁ」
「お帰り父ちゃん、お土産はぁ?」
「う、うぉお、打った…っ、壁で顔中やらかしたーっ!」

子供達の声、呻き声の主はどうやら派手に滑り転んだ様だが、真っ赤な嫁は目を吊り上げるなり廊下へドスドス向かった。

「アンタぁ!お客様が見えてるってのに何だいっ、恥ずかしいね!シャキッとおしっ、シャキッとぉ!」
「か、母ちゃん、もしかしてもう来てんのか?!こりゃしまった!慌てて飛行機飛び乗ったのに、タクシーが掴まらなくてだな…!居間か?!」

短い足音、すぐに居間へ走り込んできた『まっちゃんラーメン』のTシャツを着た中年は、座卓に座った男を見るなり青冷める。

「た、大河白燕…!本当に本物だったのか!」
「ニーハオ松原社長、仰る通り我は上海オリエンタル証券総帥の大河白燕だ。まず名刺をどうぞ」
「お、おぉう、ニ、ニーハオ?あ、自分は株式会社まっちゃんラーメン代表取締役社長の松原石英と言います。宜しくどうぞ…うわっ、純金?!」

名刺交換を果たし、ビクビク対面に座った松原家大黒柱を前に、肝っ玉母さんはチラチラ気にしながら台所へ消えた。
ひょこっと廊下から中を窺う四匹に気付いた白髪頭が、扇子でちょいちょい子供らを招く。

「そんな所に居らず、近う寄りなさい。どれ、土産に菓子を持ってきておるのだ」
「えっ。ほんと?」
「あっ、紅玉!駄目だよ、まず挨拶しなきゃっ」

駆け込んできた団栗眼の少年に続き、そっくり同じ顔をしている子供らは、恐る恐る大河社長の近くに整列し、ぺこりと頭を下げた。
驚くほど平凡な子供達は、大河社長が必死で笑うのを耐える程に長男瓜二つだ。

瑪瑙の子供時代は、こうだったに違いない。

「初めまして、松原紅玉ですっ!ルビーがアダナだよ!」
「…松原黒曜です、ども」
「松原真珠ですっ」
「えっと、松原琥珀です。タイガーさん、こんばんは」
「おぉ、宝石の名前か。ルビー、オニキス、パールにアンバー…。社長の名から文字っているのかね」

デパートの紙袋を子供達に手渡した大河社長へ、恐縮しながらコーヒーを運んできたお母さんは頭を下げまくる。

「まぁまぁ、何のお構いもしていないのに、お心遣い有難うございます。こら、アンタ達お礼が先でしょう!お兄ちゃんはちゃんとお礼するわよっ」
「「「「有難うございます」」」」
「良いとも、早速食べなさい。生チョコのケーキは今日中に食べないと味が落ちる」
「母ちゃん母ちゃん、ケーキだって!」
「おっさん、ありがと」
「あっ、テレビで見たお取り寄せグルメで一位だった、安部河本舗のどら焼きも入ってるよ!」
「お金持ちのおじちゃん、ありがとー!」

現金な子供達を睨みながら、ごきゅっと息を呑んだ母さんはそそくさ紙袋を台所へ引っ込めた。
一連の光景に肩身が狭い大黒柱と言えば、今更背を正し、にこやかな大河社長を胡散臭げに見やる。

「…今回はどう言ったご用件で?いきなりスポンサー希望の連絡を貰った時は、一昨日来日したばかりのビッグネームがラーメン屋に何の冗談かと思いましたが…」
「何、悪い話ではない。聞けば、そちらは台湾と上海に支店を出す予定と言う。先行開店した釜山支店は、連日大盛況の様子…」
「そ、そりゃあ、ラーメンに馴染み深い中国進出が叶えば、一部上場したばかりのうちの名も確固としたもんになりますよ。話が本気であれば、ね」

台所から子供達の声と、叱りつける母親の声がアンサンブルを奏でている。和やかな光景を暫し眺めていた男は、一生懸命真面目な顔を作ろうとしている日本の父親へ目を向け、わざとらしい笑みを控えた。

「我は冗談など言わぬわ。確かに我から見れば、そちの会社なぞ赤子も同然。たった今、そちに資金提供しておる銀行へ通達すれば、明日にでも自己破産申請書類にサインせねばなるまい」
「…はぁ、何が目的ですか?ちっぽけな日本企業潰すのが目的なら、わざわざ岡山まで来なくても良い筈だろ」
「ふはは、そうだろうとも。余りにも弱々しく警戒しておるので、つい揶揄ってしもうた。失礼を許されよ、松原殿」

ニマニマ表情を崩した白髪が、ついでに足も崩すと、緊張していた松原からも僅かに力が抜ける。
二人分のケーキを持ってきた母はすぐに台所へ消え、子供らと残りの菓子を貪っているらしい。

「スポンサーの話は、無論押し付けるつもりはないのだ。必要とあればで良い。我は利益のない話はしない性分でな、見込みがない企業へは冗談でも口にはせん」
「お、おぉう、有難うございます。貴方に認められたら百人力だ…。自信になります」
「さりとて確かに我の話は、想像通りそれではない。マーナオ、…ご長男の事でお願いに参ったのだ」
「瑪瑙、ですか?うちの息子が何か?」

予想だにしなかった名前に大黒柱から力が抜け、台所から生クリームを頬に付けた五人が覗き込んでくる。ほぼ母親似の子供達は、全員が吃驚している様な顔をしていた。
若い頃は色男で通っていただろう髭面の大黒柱には、似ていない。

「我の息子も帝王院学園に通っておってな、マーナオとは懇意にさせて貰っている。一度挨拶に行かねばと思い、馳せ参じた次第だ」

深々頭を下げた男の混じりっ気のない白髪旋毛を見つめ、大黒柱は髭面を撫でる。確かに良家の子息が多く通う帝王院学園では、マフィアの息子が通っていても可笑しい話ではない。

「はぁ、瑪瑙が大河さんの息子さんとねぇ。それでわざわざこんな田舎まで?」
「日本へ参るのは新婚旅行以来で、気が高ぶっておった。どうか我に気を遣わぬよう、気軽に接して貰えんか」

へにょりと眉を下げた社長に、大黒柱は困った表情だ。

「気軽、っつったって」
「何、我は昭和末期の卯年生まれでの、聞けばそちは早生まれの辰。我は日本に友人が居らんのだ、是非なく宜しく頼みたい」
「おぉ、何だよ同級生か。いやー若く見えるな、大河さんよ。それならそうと言ってくれりゃ良いのに、人が悪いぜ」
「我の悪い癖だ。ついつい、マーナオそっくりな奥方と子供達を見たので、こう…」
「あぁ、気持ちは判る…」

年の離れた嫁に頭が上がらない大黒柱は、健康的に日焼けした筋肉質な腕を掻く。来年五十歳とは思えない若々しさで、

「所ではっさんよ、夕食は済んでっか?」
「おぉ、はっさんとな?ならば我は、石さんと呼ぼう」
「日本の代表的な家庭料理をつまみに、どうよ」

クイッと手酌の真似をした大黒柱に、キラッとオラクル眼鏡を光らせたマフィアは扇子で腹を叩く。

「魅力的な誘いだ」
「んな暑い日はビールと焼酎で、グイッと」
「ううむ…だが急に邪魔した身で馳走になっては、奥方の迷惑になろう」
「おい、水臭いぜ。自慢のカラオケルームがあるんだが、これがまた宝の持ち腐れでよ。久々に喉枯そうと思ってたんだ。おい母ちゃん、良いだろ?!」

どら焼き片手に親指を立てたオカンは、大河社長の美貌と和菓子で八割方ハートを奪われていた所、母性本能を擽る表情で『友達が居ない』と言った男に完全に落ちていた。
いつまでも居なさいと言う涙目の団栗眼で、早速冷蔵庫に頭を突っ込んでいる。

「おじちゃん、やめといた方がいいよ」
「演歌ばっかしつこく歌うから」
「下手なんだよっ」
「兄ちゃんなんか、寮に入るまでいっつも聞かされてたからトラウマになってるって!」

子供達が真剣な眼差しで言い募り、ムッと不機嫌になった大黒柱が口を開こうとした。が、それより早くしゅぱんと扇子を開いたスーツ男は、ネクタイを緩めながら目を輝かせる。

「良いぞ石さん、我はサブちゃんもクールファイブも嗜んでおる。十八番は鳥羽一郎ぞ」
「お、やるじゃねぇか!俺の十八番は山川豊だっ。兄弟コラボとシけ込もうか!なぁ、はっさん!がはは!」
「今宵は長くなるのう、ふははははは」

腕を組み、松原家自慢の六畳カラオケルームに早足で消えていくオッサン二人に、子供達は諦めの表情で頭を振った。

「…駄目だこりゃ。あのおっちゃん、父ちゃんの同類だ」
「どら焼きは後にして、風呂入ろ」
「あーあ、兄ちゃん早く帰って来たらいいのに」
「兄ちゃんに宿題やって貰お」

松原一家ご自慢の長男は、子供達のヒーローなのだ。











そんなヒーローと言えば。
時、遡って7月29日、PM4時。


「はぁ、はぁ、…あー、もう!いつまで続くんだよ、この山道!」

延々と続く峠道を歩き続けてる松原瑪瑙です、何か久し振り!

目が覚めて先輩のお兄さんも美人さんも居なかったから外に出た俺は、旅館の入り口に置いてあった観光パンフレットを開いて、此処が京都に近い旅館と知ったんだ。
大阪の観光マップに心斎橋の表示があって、地図じゃ旅館からそんなに離れてそうになかったから、なりふり構わず歩き出したんだけど…。

「は、はぁ、どうしよう、浴衣と旅館のスリッパじゃ歩き難い…」

多分もう三時間くらい歩いてる気がする。今更戻るのも嫌だな、と思っていたら、漸く信号が見えてきた。
今までは車道の脇をビクビク歩いていたんたけど、やっと人が安全に歩ける歩道があって、ついつい小走りに。

道路標識を見上げたけど聞いた事のない地名しか書いてない。
これからどっちに行けば良いのか判らず困っていると、たまたま目の前に止まった車のナンバープレートが…、

「お、岡山ナンバー?!あ、ああ、あのっ、すいませんすいませんすいませんっ!」

その時の俺は超いっぱいいっぱいで、多分死にそうな顔をしていたんじゃないかな。

…あはは。


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