可視恋線。

炎天下に身も心も凍り付く氷雨模様

<俺と先輩の仁義なき戦争>




7月29日、AM10時。

「…隼人が出たか。良し、お前は真っ直ぐこっちに向かえ。おう、本場のフカヒレ買ってきてくれたか?判った、気を付けて来いよ、要」

ハンズフリーの子機に向かって満足げに頷いた男は、受話終了ボタンを押した瞬間、派手に爆発した子機で前髪を焼いた。

「…」
「この状況で動じねぇお前を、俺様は尊敬するぜ」

表情を変えず速やかにハサミで前髪を整え、背中の上に乗っている長身を蹴り落とす。

「コラァ、いつまで乗ってんだテメーは!朝飯作り損ねたじゃねーか!ぶっ殺すぞテメー、やんのかコラァ!」
「逆に聞くが、何でリゾートホテルで炊事するつもりだったんだ。シュンなら開店早々レストランのバイキングに行ったが」
「一日三食作らねぇと、こう、何か違和感があってだな…。うう、せめてマドレーヌかガトーショコラだけでも作らなきゃ全身が痒い!」

残念ながら、高坂日向は甘いものが好きではない。洋菓子作りに於いて他の追従を許さない嵯峨崎佑壱は、炊事洗濯掃除のプロフェッショナル、カルマのオカンである。
恐るべき不良の副総長である事を忘れ去る程に、彼はオカンだった。

「師匠から習ったばっかの金平糖も捨て難いぜ…!新しいキャラ弁の構想もしたい!畜生…っ、夏休みは毎日厨房に籠もる予定だったのに…ぐす」
「あー…、だったら作れ。焼き飯喰いたい、焼き飯が良い」
「…何、焼き飯だと?ふん、仕方ねぇな。おら退けっ、起きたら服ぐらい着やがれ!」

真紅の不死鳥のタトゥーが全面に描かれた背中にシャツを羽織り、なけなしの眉をぎゅっと寄せた男はジーンズにシャツをインし、持参していたらしい赤いエプロンを颯爽と巻いた。
ベッドサイドに置いていた赤い首輪を首に填め、長い赤毛を軽やかにポニーテールへ結い上げると、ベッドの上から一部始終を眺めていた男に背を向ける。

「ふ、焼き飯、焼き飯か…。単純に見えて奥深いレシピだ、腕が鳴るぜ…」
「腕っつーか、指が鳴ってんな」

ボキボキ右手を鳴らす嵯峨崎佑壱のポニーテールが、ブンブン犬の尻尾の様に揺れていた。
彼はキッチンなどないスイートルームのリビングで、ごそごそとIH調理器を取り出し、キランと光る鉄鍋を握っている。何処に隠し持っていたのか謎だ。
寮から持ってきたのかと思えば、ひらりと関西デパートのレシートが舞い落ちた。わざわざ買ったらしい。

「水回りは…パウダールームで良いか。上水道主義の日本万歳だな、トイレの水も飲める素晴らしい国だぜコラァ」

全裸にバスローブを引っ掛けた男は、その光景を戸口から暫く無言で見つめていたが、切れ長の眼差しを眇め、とうとう口を開く事にしたらしい。

「…準備万端な所あれだが、電磁調理器なんか使えんのか?ガスコンロならまだしも、電化製品だよな、それ」
「あん?……………はッ」

愕然とした表情で、イケメン赤毛は鍋を落とす。貴族的ブルジョワな美貌に冷めた嘲笑を浮かべた生粋の金髪は、

「嵯峨崎、お前それで本当に帝君かよ」

嵯峨崎佑壱、帝王院学園進学科三年主席。彼は案外バカだった。

「ぐすっ」
「判った、バーベキューセット買ってきてやるから閉じ籠もるな!トイレの水なんかマジで飲むなよ、おい、聞いてんのか嵯峨崎…!ゴルァ!ドア蹴破って犯すぞテメェ!」
「ひっく、うっうっ、ぐす」
「わ、悪かった。謝るから引っこ抜いた便器は下ろせ、投げんな…。怪力過ぎんだろ…って、おいっ、まさかそれウォシュレットじゃ…?!」

某ホテルのスイートルームで、凄まじい爆発事故が起きた。幸い怪我人はなく、原因不明だと言う。











7月29日、正午。

「マーナオ、昼食は本当に要らんのか?」

こんもり丸まった布団の小山へ、虎柄の浴衣を纏った男は情けない声を出す。少し前までは反応があったものの、今や返事もない。
ビクビクと襖の隙間から身を離した男は静かに襖を閉め、ガクリとうなだれた。

「いかん、大変な事になった…。息子の嫁に嫌われてしまったではないか、どうしたものか…。これでは我は朱雀から恨まれる所か、思い悩んだ朱雀が自殺でもしたら!あぁ、あぁ、弱ったのう、あぁ、快楽主義の我が身が恨めしい…」

息子に男の恋人が居ると聞き、否定的だった梅雨前はどうにか考え直させようと何度も朱雀に帰国命令を出したのだが、家を出てから一度も顔を見せなかった朱雀が応じる筈もなく。
1ヶ月無視され、意趣返しも兼ねて朱雀を強制連行したまでは良かった。暴れ回ると思っていた朱雀を国語の問題で揶揄い、漢字ドリル漬けにするのも、かなり楽しかったが。

冗談半分とは言え、出来れば見合いに応じて貰いたかったと言う気持ちもある。親ならば当然だ。
自分は恋愛結婚だったが、歴代の大河当主の大半は政略結婚だった。朱雀にそれを強いるのは抵抗があったので、本心では好いた相手と結ばれて欲しい。

だが、何の変哲もない平凡な男が相手と言うのはやはり認めたくなかった。
それなりに葛藤したものの、恐るべき腐男子が一連の流れを支配している為、結局は従うざるえない。

それならば、父親として嫁候補を検分しよう。
少しでも気に食わねば消せば良い…などと怖い考えで近付いたのは、否めない。


「もしや金目当て、最悪の場合、朱雀の眼を狙っておるやも知れんと思ったのだ…。それが、まさかああも物を知らん童子とは…」

大河の血筋に昔から現れる、特殊な目。
大抵は片側のみの場合が多く、自分も右目だけだ。色素異常だの水晶体の奇形だの血管肥大だの、症状は様々だが、古くから裏のコレクターに狙われてきた曰く付きである。

今の大河が裏社会を牛耳る大家へ成長せざる得なかった最大の理由であるそれを、朱雀は両眼備えて生まれ落ちたのだ。


「朱花、我はどうしたら良いのだ…」

アメリカ人のハーフで、スタイル抜群の美女だったが男勝りを超え、性別を間違えたとしか思えなかった勇ましい妻は、幼い朱雀を狙った組織の手により亡くなった。朱雀が5歳の時だ。
それからすぐ息子を秘密裏に日本へ向かわせ、刃向かう組織を一掃し、歴代最強最悪の冷血漢と言う悪名を轟かせるまでに至る。

忌々しいのは、身を守る為に手元から離す他なかった朱雀に構わず、組織一掃を優先しコミュニケーションを怠った、己だ。

どうせ一過性の好奇心恋愛だろうと高を括り、息子の切ない初恋を見抜けなかった。
その上、健気に朱雀の行方を案じていた瑪瑙を連れ去り、感動の再会を妨げ落ち込ませた。

ああ、彼は寂しさでその小さな胸を苦しめているのだろう。だが然し、朱雀が何処に居るのか調べようがない今、不良高校生である瀬田のアパートへは戻せない。
雄の一人暮らしの元へ、か弱い瑪瑙を放り込むなど朱雀が聞けば怒り狂うだろう。父親心を前代未聞で燃やす社長は、悩んでいた。


「我は我が子の事も判らん、情けない親だ。死んでも死にきれん。あぁ、マーナオを慰める為にはどうすれば…はっ」

弾かれた様に顔を上げた社長は、右目に嵌めたレンズを押さえ、ぐっと扇子を握る。

「何をしておるか、我は。そうだ、今はどうあれ嫁げば情も沸く。健気なマーナオを朱雀から引き離してしまった我だが、二人を引っ付けてしまえば…そうだ、さすれば社長となった朱雀に寄り添うべくマーナオは香港へ来ざる得まい。されば孫も追々…ふは、ふはははは」

へにょんと垂れていた眉を、45度の基本ポジションへ引き上げた社長は高らかに笑い、


「ん…。朱雀せんぱ…やだ…。…変なとこ触らないでよね。…変態なんだから…もう」

長距離移動と連日のドタバタ、加えて夏休み直前の追試の疲労などで疲れ果てていた平凡と言えば、ナレーションも忘れ健やかに眠っていた。


松原瑪瑙15歳、シリアスが続かない主人公である。








「社長の姿が見えない?」

艶やかな黒髪を靡かせる祭美月は、マツリミツキではなくジエメイユエと呼ぶのが正しい、れっきとしたチャイニーズである。
そんな事はどうでも良いとして、彼は目の前で優雅にロイヤルミルクティーを啜る白磁の肌へ、僅かに目を細めた。

社長の姿がないと知らせに来た部下を下がらせ、いつの間にチェックインしていたのか、恋人同伴で大広間の昼食を楽しんでいる相手は、恐ろしいほど浴衣が似合う、中性的な美貌の持ち主だ。
アジアンビューティーを讃えられる祭美月の前に在って、遜色ない所か、何処か野蛮な香りを纏いセクシャラスな雰囲気を漂わせている。

彼の名は祭洋蘭。
中国に居た頃の仮の名であり、欧米ではまた別の名がある。

「おや、そんなに熱い眼差しで見つめないで貰えますか?私も一介の雄ですが、残念ながら貴方にはちっとも欲情しませんのでねぇ」

本名、叶二葉。
6歳で某大学の物理教授まで上り詰めた世界の魔王名高い彼は、黙々と和膳を平らげていく傍らの恋人を満面の笑みで眺めながら、フレンチトーストをフォークとナイフで食している。
見間違いかと思う速さと食欲だ。何故かフレンチトーストとロイヤルミルクティーしか口にしないこの男、全世界を恐怖へ陥れる超大企業の副社長でありながら、19歳の誕生日を目前にして未だ帝王院学園高等部を自由気儘に闊歩している変わり者で有名だった。

理由は単純、山田太陽16歳の傍に居たいが為。

「ハニー。食後にお茶を点てますので、茶菓子のご希望はありますか?」
「昨日カニ食べ過ぎてあんま食欲ないんだよねー。んー、じゃ、お前さんが食べたい。なんつて」
「マイエスペラントハニー、どうぞ今すぐ召し上がって下さい!ふーちゃんの消費期限はお早めですよ」

ガバッと恋人へ抱き付く二葉はわざとらしく浴衣をはだけさせ、周囲の人間の鼻血を誘った。残念ながら美月には全く効かず、逆に怒りを煽っただけだ。

同い年の二人だが、似た者同士と言うか何と言うか、昔から頗る仲が悪い。いや、正しくは美月が二葉を心底嫌っていると言おう。

美月が仕えている大河の息子だからこそ、朱雀を全力で痛めつけた事もある男だ。その上、美月の腹違いの義弟である錦織要に、幼い頃は拷問に近い教育を受けさせた本人でもある。

散々、叶二葉から辛酸を舐めさせられた美月の方が成績は良いのだが、人格崩壊を極めている叶二葉の前では意味はない。

「二葉先輩、益々食欲なくなるから浴衣直して下さいねー」
「おや、いつの間にかふしだらな事に。失礼致しましたハニー、うっかり獣になる所でしたよ」
「何て危ない男なんだい、お前さんは」
「ですがハニー、先程まで見たくもない雄二匹の性行未遂を散々見せ付けられて、挙げ句ハニーの首筋を目前にお預けを受けたんですよ?…ふぅ、少し目を離した隙にホテルから居なくなっていた時は、大阪中の人間を惨殺してやろうかと思いました…」

切なげに宣う男の目は本気だ。シャープな薄い眼鏡の奥、左右非対称の双眸を薄暗い殺意で鈍色に光らせ、鉄製のナイフを片手でへし折る。

「一時間もしない内に突き止めて追い掛けて来た癖に。ま、大河を見掛けてもちゃんと『待て』が出来たのは偉かったねー」
「突入したり他人に危害を加えた場合は速やかに離婚すると言う恐ろしい電文を送ってきた貴方は、何てつれないミストレス…。私のセンシティブなハートがオートミールになるかと思いましたよ。くすん」
「はいはい、イケメン不良×真面目堅物の男前エロスの編集で疲れてるんだから、あんま甘えないでねー」

ぎゅむぎゅむ二葉から抱き締められながら胡麻豆腐を貪っている太陽に、美月の堪忍袋はビリッと破れ果てた様だ。

「…汝らがおめおめ顔を出したならば、社長の行方は把握しているのでしょう?刺し殺されたくなくば、速やかに言いなさい」
「ちょ、先輩先輩っ、祭先輩が怒ってる、本気で怒ってるからー!ひぃ」
「おや、美月如きにこの私が敗れるとでも?気にせず放っておけば宜しいのてすよ。こんな馬の骨はこの私が、眼鏡の弦だけで黙らせますから。ああハニー、口元に美味しそうな胡麻豆腐が…ペロリ」

大広間で魔王が刺し殺された。
犯人は細身小柄な平凡、凶器は割り箸だったとか何とか。


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