可視恋線。

夏場の狐の嫁入りは恵みの雨

<俺と先輩の仁義なき戦争>




「うーむ。…ユエ、マーナオが可笑しいと思わんか」

ぼそぼそと扇子の裏からドイツ語で囁いてきた男に、お茶のお代わりを注ぎながら瑪瑙を見た長身は曖昧に首を傾げた。

「食欲はある様ですが」
「然し、我が何を話し掛けても上の空なのだ。見ろ、先程から同じローテーションで箸をつけておる」

箸を規則的に動かし膳を口へ運んでいる少年は、わざとらしい程に笑顔だ。

「米、カレー、シチュー、肉じゃが、米…。何でも良いと言うから和洋折衷取り揃えたのに…」
「社長の知識にある庶民食でしたねぇ。懐石へは手を付けてらっしゃらない」
「カレーとシチューからの肉じゃがコンビネーション…具が同じではないか…」
「社長が我儘ばかり仰るので疲れているのではありませんか?吾には無理に笑っている様に見えますよ」
「ううむ…」

瑪瑙が帝王院学園の普通科に在籍している事は承知の上、会話が判らない様に異国語を使っている大河社長はチラチラと瑪瑙を窺った。

「やはり中華料理を片っ端から…」
「社長、旅館の朝食は本来8時からです。まだ7時を回ったばかりですよ」

まさか瑪瑙が懐石料理を食べた事がないとは考えず、お品書きを睨みながら、また板前を泣かせようとしている。大金を積まれた女将の哀れな顔が思い出された。

「見た目は普通なのだがのう…」
「ええ、ありきたりな顔立ちです。社長に二度も手を挙げたとは思えぬほど…ああ、一度は手ではなく頭でしたねぇ」
「その普通ではないっ。じっくり見れば中々に愛らしい顔立ちではないか。うーむ、目が零れそうだ」
「おや、吾にはそれでは目の大きさ以外は愛らしくないと仰ってる様に聞こえますが」
「…貴様は我に恨みでもあるのか」
「いいえ、吾は大河家の忠実な家臣です」

可愛げのない朱雀とは真逆の、ふわふわした少年にどうして良いのか判らない様だ。最初は悪ふざけの度を越す悪戯をしていた癖に、今や撫でるのも抵抗があるらしい。
不意打ちとは言え、張り手と頭突きを喰らったのがトラウマになったのか、否か。

「あぁ、何と健気な童子だ。朱雀め、我が子ながら何をしておるのか…。軽いスキンシップさえ不義を犯したと泣く、脆い童子に手を出すとは…」
「おや。軽いスキンシップ?彼が抵抗せねば、あのまま手籠めになさったのでは?」
「ああも初々しく見せて、あの朱雀の相手をしておるのだ。我が少々手を出した所で、」
「彼は清らかな身の上ですよ、社長」

何の感慨もなく口にした秘書の言葉に、ピタッと動きを止めた男は目に見えて青冷める。

「世間一般では、取り立てて長所のない凡人は、三十路まで貞淑を守り妖精になるのです」

にこにこと宣う秘書を驚愕の表情で凝視し、チラリと瑪瑙の横顔を盗み見るなり今にも消えそうな声で、

「何、だと…?」
「ですから、ジュチェは未だ、彼に真の意味で手を出していないと申し上げたのですよ」
「あ、あの朱雀がか!そんな愚かな話、信じられるか…!我をたばかるつもりならば貴様、」
「恐らく本人は気付いていないでしょうが、ナイト様はジュチェの一目惚れではないかと仰られました」
「ひ、一目惚れ?!貴様、今何と言いおった!」
「マーナオは再三の求愛を跳ね飛ばし、幾らジュチェが迫ろうが逃げ回っておりました。吾も度々見掛けましたので、嘘ではありません」
「………ならば、朱雀は嫌がるマーナオを追い掛けた結果、今に至ると?」
「そうでしょうねぇ。ジュチェは己に興味のない人間をいつまでも追う性格ではない。社長が一番ご存じでしょう?」

パクパク言葉もなく口を開閉させた社長は、微笑む秘書の首筋に素早く扇子を突きつけた。

「貴様出鱈目を…!」
「社長は、そんな淡い想いを抱き誠心誠意マーナオを口説いていたジュチェを妨げ、挙げ句いたいけなマーナオを手酷く弄んだ、と。吾の見解ですが」
「っ、そうと知りながら何故言わなんだ!これでは我が極悪人ではないか!何とした事だ、亡き妻に呪い殺される…!我は骨も残らん!あぁ…」
「社長、大きな声に驚いてますよ、若奥様が」
「マ、マーナオ、何でもないぞ、どれ、足りぬ飯はないか?」

甲斐甲斐しく空いた皿を確認してやる社長の顔色は、青を通り越して白い。今更ながらとんでもない事をしたと把握し、いたたまれないのだろう。
微笑みながら愉快な光景に満足した長身は立ち上がり、慌てる社長を放って立ち去った。

「おはようございます、ナイト様。貴方の美月ですよ」
『ぷはーんにょーん。むにゅ…。おはにょ、まっつん。メニョたんはお元気?』
「ええ。それよりも、社長にお仕置きを済ませましたのでご報告致します。言い付けの通り、遊び人だと思っていた息子嫁が妖精である事を伝えたました所、想像以上に堪えた様ですよ」
『ふわん。了解なりん。スゥたんに変装してメニョたんとエロなツーショットも撮ってくれたみたいですし、反省したらならイイにょ』
「ただ、ターゲットが事の最中に目覚めてしまい、誤解している様なのです。どうしましょう、ナイト様」
『……………え?』
「見るに、近い内に自殺しそうな雰囲気でしてねぇ。ただ、誤解を解くには全て一から説明せぬばならなくなりますので」

にこにこと携帯へ笑いかける長身の背後に、全身黒一色の長身が見える。2m近い二人並ぶと、凄い威圧感だ。

「ナイト様がターゲットから心底嫌われるか、ターゲットが自殺するか。どうなさいますか?」
『!』
「吾はどちらでも構いません」

その日の朝、挙動不審に壁へ頭を打ち付ける腐男子が某ホテルで見られたらしい。











「か、かわちー」

漸く口を開いた宇野に、呆けた表情の川田は反応しない。腰が抜けた様に座り込み、塞ぐドアのない玄関を見つめている様だ。

「あーと、ドアどうにかせな大家からどやされるでな。顔馴染みの大工呼ぶし、朝飯でも食い行こか?」
「りんりん、俺は皆の所に行きたい。かわちーは連れてって良いからさ、先に基地があるなら案内して」
「か、海陸、僕も行く。メェが居なくなったのは僕の所為でもあるんだ!」
「かわちー、まっつんは誰の所為でもないよ?荷物があるのに靴がないって事は、本人が玄関から出たって事だろ?」

宇野の台詞で、漸くその考えに辿り着いた川田の目が大きく開く。感心した様に口笛を吹いた村瀬は、大袈裟に肩を竦めて宇野を見た。

「やっぱ、腐っても本校かい。ワシにも昇級の話はあったんよ。ただ、本校に移る理由も興味もなかったしなぁ」
「朱雀の君は多分、最初から判ってたんじゃない?俺とシゲ君が居ないから、まっつんとどっか出掛けてると思ってた、とか」
「あー、成程。そこまで考えが至らんかった…。そこにお宅らが帰って来て、ブチ切れたんやなぁ」
「ちょ、ちょっと、二人だけで納得しないでくれる!僕だけ仲間外れかっ」

はたっと川田を見た二人が、ニヤリと顔を歪めた。宇野は小馬鹿にした表情で、村瀬は孫を可愛がる年寄りの表情だ。

「かわちーって本当、無駄に強気な癖にビビリだね〜。慎重そうに見えて後先考えないし、テンパったら動けなくなるし」
「ゆりりん、はぁ。何で今までこない迸る可愛さに気付かへんかったんやワシ、ユートに取られる前で良かったぁ!」
「ちょ、村瀬っ、離…っ。海陸っ、お前は僕を馬鹿にしてるだろ!大体、お前は根性が捻くれてるんだよ!知ってる癖に知らん振りするその性格っ!」
「はは。わざわざ間違ってるよなんて教えたって、嫌がるかシカトするじゃん。特に帝王院じゃ、Bクラスなんか勢力ピラミッドの最底辺だし」

川田が味噌汁に出汁を入れ忘れたり、ちょっとしたミスをする時、宇野は気付いていても事が終えるまで決して教えようとしない。
引き換えに、瑪瑙が教科書を忘れそうになった時や、何かを度忘れした時などはさり気なくフォローしてやる事がある。

他人の失敗は嘲笑する癖に、瑪瑙の失敗には仕方ないなぁと言った笑みを浮かべるのだ。

これが宇野の、判り易い贔屓。

「まっつん以外は有象無象だと思ってるしさ、俺〜」
「お前は…!」
「はぁ、案外シャイやな宇野はん。さっき総長に、俺と川田は特別だ〜言うた癖して」

カァっと赤くなった宇野が川田へ背を向け、ポカンと目を丸めた川田の頭に村瀬の手が乗る。

「こんな所で言い合ってても始まらへん。喰わねば戦は始まらぬ…て御先祖様も言うてはる事や、旨い定食屋教えたるで、行こか」
「んー、でも俺お邪魔でしょ?村瀬君は二人っきりの方が良いんじゃない?」
「えっ」
「わはは。やー、本心はせやけど、将を射んとするならまず馬からて格言あるしやな」
「そっか、俺は馬かー」
「ななな何を言ってるんだお前達は!僕は行かないからっ、いや、行くけどそうじゃなくて…!」
「あのさぁ、かわちー。キスマーク見えてるよ」

呆れた表情の宇野が指摘し、あちゃーと言う表情の村瀬が苦笑い一つ。硬直した川田はそのまま放心したらしく、ひょいっと村瀬に抱えられても身動きしない。

「ほな行こかー」
「俺ご飯食べたいなー。昨日は焼き肉だったし、その前はかわちー宅でご馳走頂いちゃって。ネカフェでお好み焼き摘んだから、胃がさぁ、淡白なもの求めてるの」
「此処は日本の台所や、なんほでも旨いもん喰ったらええ」
「で、村瀬君のデザートはかわちーって訳ですか。食事の前からご馳走様です」
「おー、こら一本取られたわ」

似たり寄ったりな性格の二人が朝日の下を闊歩する中、今にも死にそうな表情でブツブツ呟き続ける川田を救う者は居なかった。










「お久し振りですっ」
「元気そうで何より、早う入って下さい!」

廃れたビルへ一歩踏み込めば、中には溢れるほど人相の悪い少年らで埋め尽くされている。真新しい顔触れが警戒も露わに睨み付けてくるのを軽く見返しながら、走り寄ってきた少年らに片手を挙げた。

「正月以来だから、半年ちょい振りだな和樹。んだよ、傷だらけで不細工な面だ」
「へ、へい、えらいすいません、ヘマやってもうて…。副総長から殴られました…」
「おう、茂雄達はどうした」
「総長なら中で総長を待って…あ、いや、松田さんと瀬田さんが、」
「俺ぁもう抜けてんだから、オメーらは茂雄と侑斗を立てろ。俺を頭扱いする必要はねぇよ」
「あきません!抜けた言うたかて、松田さんも瀬田さんも、勿論村瀬の兄貴も総長が戻って来るの待ってます!」
「面倒臭ぇ事言いやがって、」
「何ですかコイツ、カズキさんに偉そな態度晒しとるやないですか。いてまいましょか?」

中学を卒業したばかりなのか、体格は良いがあどけなさの残る男が睨み付けながら朱雀の胸倉を掴み、朱雀に言い寄っていた男達の表情が青冷める。
慌てて止めようとした少年を片手で制した朱雀が唇を歪め、胸倉を掴む少年の顎を掴み返した。

「餓鬼ぃ、年上に対する言葉遣いがなってねぇ。俺ぁ、ンな小せぇ事でガタガタ言う性格じゃねーが、凛悟辺りは気にすんじゃねーのか?」
「テメ、村瀬の兄貴を呼び捨てにすんなや!何やねんこの馬鹿力…!」
「このまま砕いてやろうか?ちったぁ見られる顔になるんじゃねぇか」
「野郎…っ」
「堪忍してや総長。そないな餓鬼でも、ワシの可愛い舎弟やねん」

レスラー張りに体格の良い松田が痙き攣り笑いで姿を現し、興醒めしたとばかりに少年から手を離した朱雀が長い足で松田を蹴る。先程まで威勢が良かった少年は忽ち青冷め、兄貴分らから叩かれた。

「そ、総長が総長言うてはる…?!じゃ、こん餓鬼…っ、いや、この人が大河朱雀?!」
「阿呆っ、総長を呼び捨てにすんなや!殺されてまうど!」
「カズキ、馬鹿が益々馬鹿になるでその辺にしときや。…改めて、お帰りなさい、初代」

深々頭を下げた松田に、周囲の少年らも慌てて頭を下げる。無表情で服の乱れを整えた男は、しゅばっと瑪瑙の写真を取り出した。

「この世界一可愛い俺の嫁を探せ。…万一見つからなかったら、テメェら全員ぶっ殺して俺も死ぬ」

真紅の双眸が、本気と書いてマジだ。
その写真の何処に可愛い子が映っているのか、最大の謎は、まずその一点だろう。


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