「松原ー、ちょっと来い」
普通科普通クラス、A〜CクラスはAクラス以外平和なもんだ。
担任に呼ばれた俺はBクラスで、Aクラスみたいに熾烈な勉強合戦もない。
「せんせ、何かご用?俺今から昼ご飯なんですっ」
「あー、悪い。ちょっと職員棟までそこの教材持って来てくれんか?先生、このまま中等部に行かなきゃいけなくなってな」
「えー?!」
面白味なんてこれっぽっちもない社会の授業、昼ご飯前の気怠い気分で受けた罰か。
クラス人数分のノートが乗った教卓をチラリ、のほほん気質の担任は白髪を掻いて宜しくなと他人事。お腹空いてるのに、酷過ぎる。
「中等部の安川先生、知ってるだろ?お母さんが亡くなったとかで、お休みなんだ」
「やっちん先生が?」
「中等部は先生が少ないから、今からお手伝いしなきゃいけないんだよ。だから松原、先生を助けてくれ」
基本的に良家の子息が多い帝王院学園は、教師の大半がOBだったりする。因みに目の前のオッサン、失礼、担任も帝王院出身だそう。
然も特別進学Sクラスに居たと言うから不気味だ。とてもSクラスのオーラが無い。平凡なオジサマだ。
「ちぇ、判りやーした。ノート職員棟まで持ってけば良いんですねっ」
「うん、お礼に購買新メニューのカツサンドをあげよう」
「ありがと、せんせ大好きっ」
カツサンド一つで高校生の腹は膨れない。然しどちらかと言わずとも庶民の家に入ってしまう、ラーメン屋の息子である俺にとっては、馬鹿高い食堂なんて滅多に使えないし、少ないお小遣いを週末の遊びに使いたい為、買い食いも高嶺の花だ。
自炊。
帝王院の庶民に許された生きる術は、これに限る。
「えへへ、貰っちゃった。購買のパン、一番安くても200円なのにっ。太っ腹っ」
「…呆れた奴。メェ、職員棟っつったら寮まで行かなきゃなんないんだぞ?」
「かわちゃん、だってカツサンド貰っちゃったしさ」
「まっつんはお人好しだよねぇ、寮往復で十分、雑用十分。昼休み無くなっちゃうよ」
「うぅ、うーちゃん、走って来るから待っててよっ」
一部始終を見ていた友達二人、川田有利(かわたゆーり)と宇野海陸(うのかいり)から呆れた様な眼差しを注がれて、俺は涙目だ。
仲良かった中等部時代の友達はこの二人を除いてクラスが別れてしまって、特に体育科や工学科とは授業時間が違うから顔を合わせない。
進級してまだ半月も経たないのに、独りぼっちの昼ご飯なんて嫌だ。悲し過ぎる。
のに。
「やーだよ。何で僕らが待ってなきゃなんないの。メェが安請け合いしたんだろ?因果応報だね」
「か、かわちゃん!ひどっ!」
「まっつんのお弁当は置いたまま行くから。早く帰って来れそうだったら、いつもんとこおいでよ」
「うーちゃんっ」
比較的利己的な有利の台詞はいつもの事だが、外交的で明るい海陸まで手を振って出ていくのに崩れ落ちた。
酷過ぎる。あの二人は本当に初等科から十年来の友達なんだろうか。俺は泣いた。
ぐぅ。
「あ、お腹の音…」
腹も鳴いたからにはとっとと片付けて、カツサンドを楽しみに手作り弁当を淋しく食べよう。
ノートを纏めた段ボール箱の上に弁当とカツサンドを乗せて、男らしく腕まくりする。帝王院共通の白ブレザーは俺のお気に入りだ。
中等部はネイビーブルーのブレザーだったから、凄くお洒落に見える。
「つか、おもっ」
歩き始めて数分で挫折しそうだった。
職員棟は寮の南にあって、校舎からは大分離れてる。ただでさえデカイ校舎の端っこにある普通科からは、どんなに走っても5分は懸かる道程に泣いても良いだろう。
「うぅ、近道するとAクラスの近く通らなきゃ行けないんだよなぁ…」
Bクラスは比較的平凡だらけだけど、Aクラスは違う。特に二年生のAクラスは不良だらけで、工学科の不良もビビる最強クラス揃いらしい。
特にカルマ、ABSOLUTELYって言う二代組織には近付くなと初等科の時から教えられるそうだ。
「やだなぁ、でも、重いし…」
きっとAクラスも授業中だ、と。
ビビる弱気な心を奮い立たせて、健気に抜け足さし足忍び足、今なら忍者になれるかも、と。
廊下、階段、廊下を経て裏庭に出た俺は油断していました。
「ふぉっ?!」
寮まで真っ直ぐ続く並木道まではまだ距離があるから、植え込みを突っ切ろうと勇敢にも後先考えず足を踏み出した俺、松原瑪瑙15歳。
「…あ?」
何かに足を引っ掛けて、舞い踊るカツサンドのパッケージを見つめながらすっ転んだ。
40人分の大学ノートごと。
「ぐっ」
「きゃっ」
「ふにぃっ」
因みに上からとんでもない美声、可愛い悲鳴、俺の間抜け声です。
勿論だが平凡な俺には、生まれ持っての美声や可愛い声など有り得ない。
「な、何なのお前っ?」
「痛ぇ、つかテメー重い、うぜー引っ付くな」
「ぎょふ!」
起き上がろうとして植え込みに埋まり込んだ俺を余所に、二人分の声が喚く。
ゴツッと言うからには余りに痛い音が響いて、泣きながら逃げ出す可愛い声を聞いた。然し鼻に突き刺さった枝が地味に痛い。
もしかしたら鼻血出てるかも…、
「おい、コラ。そこのテメー」
「ふわぁい、…ぎゃっ」
「死んでみっか?あ?」
上半身が茂みに突き刺さった俺の首を掴んだ凄まじい握力が、ぐいっと俺を引っこ抜く。
鼻の穴から出ていった枝が地味に痛い。
ぷはっ、と大きく肺呼吸、
「ひぃ、ひぃいいいっ」
目の前に明らかな不良一人。
然も俺、浮いています。いや、空気的な話ではない。比喩でも何でもなく、浮いています。爪先が。カツサンドの真上に。
「チビスケ、テメーこの俺の性欲タイムを良くも邪魔してくれたな」
「ふぉっ、ひ、せせせ、せーよくっ?!」
頭を掴まれ吊されている俺、だから松原瑪瑙15歳。
目の前には痛々しいくらい脱色された金髪の、眉毛皆無などっからどー見てもヤンキー。見た事はないから何処のチームの人かは全く判らない。
段ボールの中身がどうなってるかも判らない。
「き、金髪だぁ…」
「あ?俺の話聞いてんのかよ、チビスケ」
「う?…あれ、社会の窓が開いて………何かそびえてる…」
然もボタン全開のシャツ、ネクタイなんか勿論してないし、スラックスのファスナーも全開の満員御礼。
中心にデカデカ聳えてるそのブラックタワーは何ですか、凶器ですか。
「誰がリーサルウェポンだ、オメガウェポンだろうがどう見ても」
「ふへ?!あっ、いやっ、ななな、何でそんなに元気溌剌?!」
「一発ヤっとく?」
「オロナミンC、いやいやいやいや」
乗りかけて頭を振ろうとした俺は今更ながら気付く。振りたい頭を掴まれていました。
もしかしなくても、ピンチ。
金髪、チンコ丸出しで恥ずかしげもない態度、意味不明な言葉遣い…これはもしかしなくても、
「せっ、星河の君っ?!」
二年生で一番ヤバイと超有名な極悪不良、神崎隼人ではないのかーっ?!
「…チビスケ、セーガっつーのはもしかしなくても腐れ神崎の事か?あー?」
「痛っ、あ、あのあの、すいませんすいませんっ」
「あの野郎を犯し殺そうとした素敵に無敵な俺を、まさか神崎のボケナスビと間違えたなんざ言わねぇよなぁあ?」
「はぃっ、すいませんすいませんすいませんっ、ぶっちゃけ間違えましたごめんなさいぃいいい!!!」
「死んでみっか?あ?」
ぎりぎり軋む頭に涙が止まらない。
痛みで何が何だか判らないし、爪先は浮いてるし、段ボール持って行かなきゃいけないのに、カツサンド拾いたいし、痛いし、極悪不良じゃないなら命だけは助かるのかもしれないとか、ああ、でも皆がビビる不良を殺すとか何とか言ってなかったっけとか、
とにかく、
「ご、めんなさ、」
頭が砕けちゃう。
「ふぅぅ、ひっく、…めなさ、」
「チビスケ…お前…」
「痛、…ごめんなさ、」
「その泣き顔、かなり良いな」
ぺろり、と。
何かが目尻を撫でる。
涙でぼやけた視界に赤い唇と濡れた舌先が見えた。
何でチンコ丸出しのヤンキーに吊されてるんだ俺は、とか。
余りに余りの状況に泣きたくなって、でももう泣いてるから手遅れで、頭を掴んでた大きな手から力が抜けた途端、地面に崩れ落ちても意識は霞んだままだった。
「街まで出るのも面倒だし、神崎の野郎最近大人しくなりやがって面白くねぇし」
「…ぅ」
「テメーのお陰で折角見付けた男でも喰えそうな奴逃がしちまったし…うん、体位名分ばっちりだ」
大義名分じゃないのか、なんて突っ込みも言えなかった。
何だか胸元がスースーする気がする。あ、そっか脱がされてるのかと思った。
カチャカチャとベルトが外される音、ジーっとファスナーが下がる音、全部きっと俺の股関節。
「ゃ、だ」
男子校だからってホモは流行らない。不良犇めく帝王院は外国人や金持ちが多くて、でもだからこそ風紀委員会が凄い取り締まりやってて、困った時に駆け込めば自治会も中央委員会って言う生徒理事会も助けてくれるんだって。
「さわ、んなっ」
「うるせぇ」
殴られた、と、思う。
頭もほっぺも痛くてもう判らない。崩れ落ちた時に打ち付けた脇腹もジクジク痛いし、土臭い様な気もするし鼻水だらけで鼻も痛いし、枝が地味に突き刺さった穴もヒリヒリする。
全身が痛い。掴まれてぐいっと持ち上げられた両足も動かない。股関節が外れそう。カツサンド何処行った。
天皇猊下のオススメ、カツサンド。
590円もするのに。
「ひっく、」
「面倒臭ぇな、このまま突っ込むか」
小さい袋を咥えた唇がニヤケた。
痛々しいくらい脱色された金髪に梅雨前の陽光が反射して、眩しい。まるで焦がされるみたいだ。
「ぅ、」
お尻に何か当たる。
見なくても何となく判った。もう嫌だ、何でヤンキーのブラックタワーが着陸態勢整えてんだ。
俺は羽田空港か。いや、違う。抵抗しないといけないんだ。男だから。泣き寝入りしちゃいけない。
始業式の時に見た、あの人みたいに。
「ぅ、うーっ」
「暴れんな、っ、…テメー」
「ぁ、」
必死で動かした右足がヤンキーの腹に当たった。会心の一撃には程遠くても、相手を怒らせるには充分だったに違いない。
鋭く睨んできた眼がきっとカラコンだろう深い深い青で、なのに燃え狂ってる炎みたいな赤に見える。殺されちゃうんじゃないかと思った。
濃紺の眼差しがギラギラ輝きながら残虐な色を帯びる、赤い唇が開いて真っ白い犬歯が剥き出しになる、食らい付く様に近付いてくる光景は、きっと、ライオンとか狼とか、猛禽類を前にした草食動物が最期に視る映像なんじゃないのかな、と。
「そこの不良攻めっ、ハァハァ強姦は薄暗い教室か体育館と相場が決まってるにょ!ハァハァ」
「なえー」
「ひぅ?」
「─────あ?」
諦めに似た気持ちで呆然と無抵抗を演じていた俺達の頭上から、つまり散った桜の木(多分)から何か落ちてきた。
「何だテメーら」
お尻に当たったままのブラックタワーが震える。貞操の危機に瀕しながら何処か他人事の俺も目を見開いた。
黒髪、分厚いレンズの星形眼鏡、とんでもない長身。
長ったらしいボサボサの黒髪に葉っぱを散らした、分厚いレンズの黒縁眼鏡。
明らかに秋葉原の匂いを撒き散らした二人組が同時に眼鏡を押し上げた。
「つまらん余興だったな。…すっぱ抜く気力も湧かん」
「初めての強姦に青姦なんてベストチョイス…じゃないっ、攻めの風上にしか置けないにょ!ハァハァし過ぎてうっかり心臓が止まるかと!うっかりオタクも木から落ちるっ」
「それ即ち、萌えの風上にしか置けん。潔く手合わせ願おう、…新しき俺様攻め候補よ」
「いっそ僕の眼鏡の前で襲ってェエエエエエ!!!」
ぽかん、と。
間抜けな顔をしていた不良が、星形眼鏡に連れ去られて行った。
「ハァハァハァハァハァハァ、じゅるり」
残ったのは怪しげな黒縁眼鏡。
何だそれ。