可視恋線。

真の恐怖は近くの嵐ではありません

<俺と先輩の仁義なき戦争>




鯉。
青い漢字スタンプを頬にくっきり貼り付け、不機嫌な男は街中を全力疾走している。

「青蘭の野郎…!マジでいっぺん犯す!」

合格判定のスタンプを捺されるのは初めてではないが、この塗料、何を使っているのか暫く落ちない。
以前、よってたかってペタペタ捺された時は、風呂に半日浸かっても落ちず苛々したものだ。
特に神出鬼没の天敵・遠野俊が現れ、許可なくパシパシ写メって行くから堪らない。

『…ぶっ殺すぞテメェ』
『ひょーっひょっひょっ、チミの動きは見切ったにょ!ひょーっひょっひょっ、萌えに駆けるオタクを侮るなかれ!』
『死ね!マジで死んでくれ!泣いて喜ぶから、本気で!』
『ぷはーんにょーん。泣き顔のスゥたん、萌ぇえええ!!!ハスハス』

殴ろうが蹴ろうが、カメラ小僧はオタクらしからぬ身軽さで躱し、ついでに朱雀の尻や脇腹を撫でて去っていった。

あの時の筆舌に尽くしがたい怒り。
瑪瑙の秘蔵隠し撮り写真をオカズにティッシュの山を量産しても、未だに冷めてはいない。

「畜生、大河総出かよ!明らかにアジアンじゃねぇのも混じってやがる!」

今回の試練第二関門は、錦織要に渡された場所までの『鬼ごっこ』。

無事到着すれば、一時間足らずで日本に辿り着く乗り物を与えられるそうだが、当てにならない。
だが、香港中にマフィアが蔓延っている今、空港へ真っ直ぐ向かっても無意味なのは判る。

性悪父が手を打っていない筈がないからだ。

「畜生…!覚えとけよ腐れ遠野!テメェだけは全力で潰す…!マジ泣かす!」

この先、無事に目的地へ辿り着いても、そこがゴールではない。

ただの人外オタクだと思っていた腐男子は、父親など全く可愛いほど性根が腐っていた様だ。
心底、あらゆる意味で腐っていた。

錦織要から聞き出した話で、大河朱雀は人生最大の怒りに燃えている。

『総長が貴様だけに試練を与えていると思っているのか?』
『甘えた考えを捨てろと言っているだろう、本来の彼は、甘さの欠片もない方ですよ』
『寧ろ、気に入った者を悉く傷付ける傾向がある。言っておきますが、我々は全員、あの人に手酷い仕打ちを受けています』
『目に見えるもの全てが根本から覆るほどに、騙されていた』
『あの神帝陛下すら例外ではありません』
『貴様がその甘えを捨てない限り、松原瑪瑙の身は保証出来ない』

『彼は己の楽しみの為なら自分を殺す事も厭わない、…最早人間の枠組みから遠く離れた生き物です』

思い出す度に怒りが増していく。
一度殺すくらいでは足りないほどに、あのドエム根暗眼鏡を叩き潰してやりたくて堪らない。

『山田君は陵辱か服毒を提示しました』
『松原君を不特定多数に輪姦させ、植物人間にすると』
『この程度でそう熱くならないで下さいますか、鬱陶しい』
『引き換えに、総長はハッピーエンドを提示しました。但し、世間一般の考えは捨てなさい』


『松原君は十中八九、精神崩壊する』


『試練は、それを乗り越える為のものです』

タクシーもバスも選べない今、頼りになるのは己の足だけ。うじゃうじゃ増える追っ手を振り払い、目的地を目指す他に術などない。

『貴方は最初の関門を越えました。けれどほんの準備体操の様なものです。少しずつ確実に、今回の試練は貴様らを追いつめていく』
『それこそ総長の求めるものであり、限りなく皆無に等しい確率の、ハッピーエンドを賭けた試練』

許す筈がないだろう。
傷つけないと、もう泣かしたりしないと、誓ったのだ。


それが誰であろうと、松原瑪瑙を悲しませる者は全て、葬ってやる。


「居たぞ!ターゲットだ!」
「捕まえろっ、誰でも良い!ターゲットの子供を女に孕ませろとの御命令だ!」
「精液だけでも採取し、速やかに遂行する!」

とんでもない会話が聞こえ、走りながら眉を寄せた。どうやら子供を作らせたい様だが、一体どう言う事だろう。
そもそも錦織要は、追っ手が居るなどとは一言も言っていない。

「あーっ、もうっ、意味判んねー!糞っ、まめ子以外に俺の餓鬼産ませて堪るか!退きやがれゴルァ!」

障害を華麗に蹴り払い駆けるタキシード姿の金髪は、


「朱雀と瑪瑙だろ?…スノウ?メザクはねぇか。ジュナオ?マーチェ?ピンと来ねぇな…。あー、英語だとフェニックスとアゲート…。うーん、俺が鳥で、まめが石の名前だから…ブツブツ、ブツブツ…」

それから暫く、子供の名前を考えるので忙しかった様だ。

「ブツブツ…。まめた似の女の子だったら翡翠…俺の目が遺伝したら似合うな、良い、翡翠にしよう…。もし俺に似てたら祭に育てさせて…、育児に新婚生活邪魔されたら堪んねーからな…。あ、でも、まめっちゅ似だったら男でも良い…。その場合は…やっぱ翡翠にすっかな…ブツブツ」

大河朱雀の頭の中には、都合が悪い記憶は残らない仕組みになっている。

「だが、まめこの腹から産まれた餓鬼を祭にやるのは気に喰わねー。…ちっ、平和なセックスライフと育児…どっちを取るか…。良し、子供は追々考えっか…」

彼の名誉の為に言っておくが、成績的には馬鹿ではないので、悪しからず…。








せーの。
松原君は男の子ですよー。








と言う皆々様のアドバイスは完全に届いていないだろう朱雀が、よれよれながら漸く目的地へ辿り着いたのは、夕陽が目に染みる時間帯だった。

「はぁ、はぁ…。やっと、着いた…。父さんは辿り着いたぞ翡翠!待ってろ、今から帰るからな…!母さんと飯は食わずに待ってろよ…っ、ぜぇ、ぜぇ」

一体、此処までの道のりで彼が何を想像していたのか。甚だ謎だ。知りたくもない。

「…待ってろ瑪瑙、お前の朱雀は今から真っ直ぐ帰宅するからな。何の土産もねぇ不甲斐ない亭主を許してくれ…。父さん、今夜は母さんを寝かせねーから。はぁ、はぁ…」

…それはともかく。
某デパート最上階、昔の日本で良く見られた子供向けテーマパークの名残が残る古びたアトラクションに紛れ、『お疲れ様スゥちゃん!萌は此処から始まるYO!』と言う横断幕が靡くセダンがある。


『目的地はメニョたん☆』
『早漏なチミにぴったりなマシン!』
『一家に一台!』
『お求めはステルシリーカンパニー、対空情報部または対陸管制部まで☆』

何処からどう見ても、ト●タの誰もが馴染み深いだろう、自家用車だ。間違っても高級ベンツでも、エコな軽自動車でもない。
極々一般的な、お父さんの愛車だ。

「何だぁ、こりゃ…。俺はワゴンタイプのRVにするってさっき決めたんだ。子沢山にピッタリだからな…」

デパート直前まで幾ら振り払っても付いて来た追っ手も、デパートに入るなり居なくなった。
途中、追い詰められ脱がされそうになったものだが、全力を以てあらゆる体液を死守した男は、今や滴る汗の一滴さえも無駄にしてなるものかと鬼気迫っている。

「いかん、零しそうだった…。俺の体液は嫁のもんだ。嫁と子供の為に、汗だくになって稼ぐぞ俺は…!」

くわっと目を見開き、無人の屋上で拳を握る彼に何があったのかはもう、考えない事にしよう。
極度の緊張と走り回った事による過度の疲労だ、そう言う事にしようではないか。


「…クソ、腹減った」

苛立つ横断幕を引き破り、セダンの癖にガルウィングらしいドアが上に開くのを見やり、運転席へ乗り込む。
ハンドルの向こう側にメモを見つけ、ネクタイを外しながら手を伸ばした。

「あー?シャドウウィングへようこそ、だと?この車の事かよ」

操縦方法が書かれている様だ。ついでにポテトチップスとダイエットコーラが阿呆みたいに後部座席を埋めている。
何日分あるのか甚だ謎だが、この際文句は言ってられない。喰わねば戦は始まらないものだ。

「ふ、何か日本語が上達してやがる…。ハゲ親父め、糞ハゲだがたまには良い事するじゃねぇか」

この自家用車、どうやらただのセダンではないらしい。説明によると、空陸両用と示されている。
試しに起動させ、アクセルを踏みながらウィンカーに付いているボタンを押してみた。

「う、ぉ!…マ、マジで飛びやがった」

ぎゅんっと急上昇した車体に、シートベルトを締めていなかった朱雀の体が大きく揺らぐ。
実はまだまだ日本語を読むのは苦手だったので、正しく読めているのか不安だったのだが…。メモを握ったままハンドルに齧り付き、窓の向こうの夕焼けを横目に、恐る恐るシートベルトを締めた。

「ほ、本当に日本まで行けんのか、これ…。メモ、メモをうっかり読んでおくか!」

しっかりしろ。うっかりしてどうする。
必死にハンドルを掴みながらメモを凝視する朱雀は、今まで無免許運転などした事がない。何処に行くにもお抱えの運転席が居たし、大阪時代はタクシーを愛用していた。
荒っぽい関西タクシーは中々スリルを味わえ、気に入っていたのだ。

「来年、速攻免許取ってやる…」

オタクから渡されたホモ漫画に、平凡な恋人をスマートにドライブに誘う資産家のシーンがあった。
お約束のカーセックスはさらっと流し読んだものだが、今になればあれも、男心を擽るではないか。

「普通過ぎてつまんねーと思ってたが…。シートベルトで身動き出来ねぇまめりーぬを、こう、押さえつけるっつーのが良いな…。普段ンな事やったら、殴られるか蹴られるし…」

遊園地の上空を横切ったらしく、車窓から巨大な観覧車が見える。
ああ、観覧車に乗ってドキドキエッチに励むカップルも、小説で読んだ様な気がした。
造語だらけの不可解な漢字が多すぎて、挿し絵をパラパラ捲っただけだが…、その挿し絵が余りにも生々しいイラストだったので覚えている。

「や、やだ、ばか朱雀…っ。恥ずかしい、よぅ!やぁ、焦らしちゃ、いや…ぁ!」

甲高い声で呟いた男は無表情で悶え、やはり無表情で鼻血を拭いながらキリッと顔を引き締めた。

「BLが俺を殺す。…おい、俺の体、保つのか?まめこがエロすぎて絞り取られそうだぜ…!クソ、待ってろまめっくす!お前の穴と言う穴を舐め回してやっからな…!」

それはお前の妄想だ。
今のコイツに何を言っても余りに無駄すぎる。鬼気迫る表情で前屈み気味な変態に、人間の声などまるで届かないのだ。


「ぶっ飛ばせ、うおらぁあああああ!!!このまま、まめこの穴に突っ込めや、ゴルァアアア!!!」


ビュンビュン空を駆け抜けるシルバーフォルムの中で、変態の変態による変態過ぎる茶番劇が繰り広げられた様だが、幸い、それを見ている者は誰も居なかった。










「………」
「ボスー、お箸止まってるよお?どうしたにょ、さっきから黙り込んでさあ」
「…ほぇ?!ふぇん、何でもないにょ。ただ…ちょっぴり、本当の変態さんを知ってしまったと言いますか…修行が足りなかったと申しますか…はァ」
「俊、レストランの食事が口に合わないなら直ちにシェフを解雇させ、別のホテルに移ろう」
「んーん。カイちゃん、違うにょ。僕の知らない世界があって、思わず萌えを忘れちゃっただけなりん。…はァ、真の変態さんを舐めてたにょ。まさか、まさかあんな事までするなんて…っ!恐ろしい子!」
「えー?変態って、誰のこと?隼人君はノーマルプレイで満足する燃費のよいイケメンだよお?」
「よもや、私の事を言っているのか…?済まない、体位が気に入らんのであらば善処する。何が気に入らなかったんだ?風呂でやった松葉崩しか?ああ、脱衣場で行った流鏑馬か?ベッドの中の何の捻りもない対面座位が駄目だったのか?」
「てんめー、ボスにそんな事までやらせてんのか!表に出やがれっ、ぶっ飛ばす!」
「んーん、二人共そんなに気にしないでちょーだい。ご飯が冷めちゃうにょ。…はァ、ご飯中はイヤフォン外しましょ。オタクの耳には毒過ぎますにょ」

切ない表情で唐揚げ8キロを貪るオタクに、撮影後のメイクそのままで首を傾げるモデルが見られたらしい。

「ハァ」
「ボス、だいじょーぶ?」
「俊、どうした」
「まさか、あんな事まで………はァ…」

最強オタクを怯えさせた変態が誰であるかは、各々方のご想像にお任せするとしよう…。


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