可視恋線。

台風は中心だからこそ可視不可能です

<俺と先輩の仁義なき戦争>




「起きろジュチェ。いつまで寝ている、つまらんぞ」
「ぐ」

腹を蹴られた拍子に浮上した意識、霞む視界にド派手な毛皮を見付け、重い体を持ち上げた。

「…チーター?」
「ふはは、これは虎だ」

食事を無視し続けた結果、今は起きるのも辛い。連日の漢字ドリルと短歌の暗記で、脳細胞が半分くらい死滅した気もする。

「おはよう馬鹿息子。今日も何と馬鹿面だ、誰に似たのか!ふは」
「オメーに瓜二つだろ、鏡見ろ」

いつの間にか足の枷が外されている様だが、絶好の好機でありながら逃げるだけの余力がないとは、余りにも情けない。

「喜べ、今日は縁談を用意してやったぞ」
「…あ?」
「今や目覚ましい成長を遂げた企業のお嬢さんだ。日本の血を継いで、日本語も堪能らしい。お前に相応しいだろう。先に婚約を済ませて、成人次第式を挙げる手筈は済んでいる。ああ、世継ぎは早い内でも構わんからな」
「は…。馬鹿か、世間知らずで言いなりの処女なんざ、一分も勃たねぇんだよボケ。つまんねーセックスなんざ冗談じゃねぇ、死ねハゲ」
「はぁ、何と汚い日本語だ。我は悲しいぞ息子よ、もう良い、中国語以外喋るな」
「おとこわりだ」
「お断りだ。と言いたかったのか。ふはは、死ね!死ぬが良いわ!ふははははは」

凄まじい電流が体を駆け抜け、悲鳴さえ出す気力なく崩れ落ちる。

「ユエ」
「はい、此処に居りますよ社長」
「このボロ雑巾を飾り立てて、約束の場所に連れて行け。馬鹿息子だが、馬鹿は馬鹿なりに社の役に立てねばならん」

冗談じゃない。
このまま父親の言いなりになってしまえば、見た事もない女と結婚させられてしまう。
よりによって中国で結婚すれば、離婚はかなり難しい。妻の不貞を許さない国だ。自分はともかく、相手に迷惑を掛けるだろう。

「…俺にはもう!惚れた相手が居るっ。他の事は何でも聞くから、親父!」
「ふははははは。お前にそんな相手が居るなど初耳だ」

満面の笑みを浮かべた父親に、しまったと後悔しても後の祭りだ。自分らしくない失態に気付いても、時間は巻き戻せない。今までこんな失敗した事はなかった。

「その相手の名前は何と言う?のう朱雀、我は息子思いの父でありたい。貴様がどうしてもと言うなら、今回の縁談は無かった事にしても良いのだ」

楽しそうな口調に、決して瑪瑙の名前だけは言ってはならない事だけ確信を持てる。
どんなに嬲られようが痛めつけられようが、性根の腐ったこの男にだけは、絶対バレてはならない。

「…へぇ、今まで一度決めた事はやり抜いて来た癖に、珍しいじゃねぇかハゲ野郎」
「飲まず食わずで勉強に励んでいた息子に褒美をやろうと思う。どうだ、選ぶ権利をやろう。お前の愛する者の一族全て消すか、死なぬ程度に内蔵を抜いて、お前の玩具にするか…」

殺意で眼球が燃える。
恐らく真紅に染まっただろう朱雀の双眸を愉快げに見つめた男は、白髪の髪を撫で付けながら背後の長身へ向き直った。

「腐れが…!」
「ふむ、この選択肢では明らかに玩具にした方が良いな?そうだな、まず性具として仕込む必要があるか。然し貴様は清らかな処女との普通のセックスでは満足しないと言ったな」

自業自得。覚えたばかりの熟語が脳裏を過ぎる。自分の嫌がる顔が何よりも好きな男だ、喜んで実行するだろう。

「満足させるまで躾るには、時間と人手が懸かりそうだ」
「冗談、だろ。…ンな事させるかよ、糞ジジイ!殺す、テメェは今すぐ殺、ぐっ」
「騒がしい息子だ。ユエ、愚息の相手は誰だ?知っているのだろう?」
「祭ぇ!言ったら殺すぞテメェ!」
「我に逆らう事はどう言う事か、判るな?」

目の前が真っ赤に染まった。
なけなしの力で起き上がれば、父親の爪先に蹴り払われる。無表情の祭美月と目が合ったが、答えは見えていた。

逆らう訳がない。
この国で大河白燕に逆らうと言う事がどう言う意味を持つか、知らない者は居ないのだから。

「坊ちゃんの相手は、」
「選択肢は俺に選ばせるっつったな、親父!」
「ああ、我は一度与えたものを撤回する趣味はない。貴様に与えた権利は有効だよ、朱雀」
「判った…!従う、アンタに従って結婚でも何でもする!それで良いんだろ、社長!畜生っ、滅びろハゲが!」

叫べば、折角の楽しみを奪われたとばかりに眉を寄せた父が鼻を鳴らし、靴音を発てながら背を向けた。

「ああ、つまらん。我はもう一つの暇潰しに行ってくる」
「行ってらっしゃいませ社長」
「精々、お嬢さんに気に入られるよう努めよ馬鹿息子」

全身から力が抜ける。
頭の中を駆け巡るのは、何を食べても美味しそうな顔をする少年の、唯一印象的な大きな瞳。

「ああ、そうだ。大河の後継者がニートでは格好が付かん。我は会長へ退き、貴様を社長にするつもりだ。良いな」
「…従うって、言っただろーが。しつけぇぞ…」
「ふん、素直過ぎてつまらんぞ朱雀…。では我は海外旅行に出るので、後は頼むぞ」

母が死んで以降、食事は一人で取るのが当然だった。隙だらけになる時だ。無防備に他人と同席するなんて考えられない。食事だってそう、他人の手料理なんか口にするのも怖い。いつ毒殺されるか判らないのに、疑わず食べるなんて愚の極みだ。

そう、思っていた。


『かわちゃんが作ったんだよ!エビチリ、美味しいのに…!』
『今日のお弁当は餃子なんだよ。俺が作ったんだけど、失敗しちゃった。あ、でも、形が悪いだけで味は多分、大丈夫!先輩、一個食べる?中国人って毎日餃子食べてるんでしょ?』
『ぱんだらけのカツサンドって美味しいよね!遠野先輩も大好きなんだって、高いのにすぐ売り切れちゃうんだよ』
『美味しいねっ、先輩!』
『ずちぇ』

体も精神も限界なのに、頭は律儀にたった一人の声ばかり再生する。だからと言って起き上がる事も、傲慢な父に逆らう事も出来ない癖に。
どんなに強くなっても成長しても、何も変わりはしない。

もう一生、その名前を口にする事はないだろう。
父にだけは決して知られてはならないのだから、記憶の中から抹消するほど全力で封印しなければ。二度目の失敗はない。

「では、準備するので汝は寝ていても構いませんよ」
「…狗が」
「ふ、吾を怒らせて汝に得はありません。いつでも、吾は『彼』の名を社長に申し上げる事が出来ますからねぇ」
「だろうな、…覚えとけよ、糞野郎」

栄養剤らしき点滴を施され、運ばれてきた担架に乗せられる。抵抗する気力は欠片もない。
心残りなのは、せめて一度くらい、好きだと言わせたかった事だろうか。何を食べても味がしない、彼が居ないだけで空腹を忘れた。せめてもの抵抗に拒絶した食事の所為で、今は起き上がる事もままならない。


目尻にキスをされた。一度だけだ。

けれど、もしかしたらほんの少しくらい、好かれていたのかも知れない。
今、改めて考えると最低な事ばかりしてきた気がするが、奇跡が起きていたなら、きっと。
毎晩見る泣き顔の夢は、正夢なのかも知れない。

そんな都合の良い妄想ばかり、毎日。


「…駄目な男だな、俺は。死んだ方がマシだ」

運ばれながら呟いた言葉は誰にも聞こえていなかったらしい。久し振り屋外に出た瞬間、扇子片手に立っていた父親がハイヤーを前に手を振ってきた。

「おお朱雀。お土産を買ってくるから、期待していなさい」
「…勝手に何処へでも行きやがれ、ボケハゲ、ついでに死んで来い」
「そうか。では行ってくるよ馬鹿息子、…松原瑪瑙君が我を待っているからなぁ」

走り出すハイヤーを愕然と見つめ、担架から滑り落ちるのも構わずに伸ばした手は、アスファルトに叩きつけられただけだ。



ああ。
誰を憎めば良いのか。





ただ、見開いたままの眼球だけが、酷く。

















「逃げるな嵯峨崎、テメェが壊した携帯の修理費用は俺様が持ってやる」

ぶるぶる震えてる紅蓮の君を麗しい美貌で捕獲した光王子の台詞に、ピキっと固まった俺は全く動けない。

「ちょ、離せよ!おまっ、少しは羞恥心って奴をだな!」
「煩ぇ、んなもんとっくに捨てた。無駄な抵抗はやめとけ、かなり燃えてくる…」
「ンのっ、最低過ぎるド淫乱発言はやめんか!セクハラ猫がっ!」
「へぇ?お望み通り此処で淫乱っ振りを披露しても良いぜ、俺様は」

え?
中国マフィアってどう言う事?!だって、祭先輩は銀行のお家柄で、それよりお金持ちって事くらいしか知らないんですけど?!
妖しい雰囲気の二人なんか全く見てない俺は、疑問符でいっぱいだよ。どう言う事か誰か教えて下さいっ!

「煽るだけ煽りやがって…、そんなに欲求不満だったのか。悪かったな、気付くのが遅くて」
「こここ高坂っ、は、話せば判る!第一、あれは俺が11歳の時の話でっ」
「あ?誰がンな事聞いたんだ。人が真面目に仕事してる間、見境なくヘラヘラしやがって糞犬が…」
「待て待て待て、いつ俺がそんな事…!」
「煩ぇ、夏コミまで忙しいっつーから我慢してやってんだ。ンな所で後輩といちゃつく暇があるんなら、待ってやる必要はねぇよなぁ?ああ?聞いた話じゃとっくに原稿仕上げてたらしいじゃねぇか、この野郎…」
「げ、原稿は確かに商業も同人の分も入稿した。俺は優良作家なんだ。…総長命令なんだよ!松原に大河の居場所知られたら不味、」

光王子の腕の中で暴れてた紅蓮の君が慌てて口を塞いで、初めて俺、爪先から凍っていく様な怒りを覚えた。


どう言う事。
紅蓮の君は、朱雀先輩の居場所を知ってる、って事?
じゃあ、遠野先輩も勿論知ってて。ずっと、黙ってたって事?


うーちゃんの謹慎が明けて、何度も何度も山田先輩に会ったし、元気がないって慰めてくれた。
遠野先輩にだって大阪に行く事は話したし、理由も、話したじゃんか。


見つかるとイイね、って。
気をつけて行きなさい、って。


じゃあ、あの優しい先輩は、嘘だったって事…?


「ま、松原、今のは…」
「…酷い、よ。何で教えてくれないの?!何で皆して隠すの?!朱雀先輩は何処!知ってるんでしょ?」

そっぽ向く嵯峨崎先輩に泣きながら詰め寄ったら、呆れた様な表情で舌打ちした高坂先輩から引き離される。

「…コイツに近寄んな。これは俺様のものだ、気安く触ってんじゃねぇ」
「っ、何だよ!今更先輩振ったって、俺は許さないんだからなっ」
「はっ、ただの餓鬼が舐めてんじゃねぇよ」

睨まれて、頭に上ってた血がザッと引いた。
嵯峨崎先輩の陽気な性格に慣れて、光王子が怖い人だって事を忘れてたんだ。そうだよ、不良が怖がるヤクザで、神帝陛下率いるチームの副総帥なんだった。

「許さなきゃ何だって言いやがる、あ?高々、大河如きに目ぇ掛けて貰っただけの一般人が、随分調子乗ってんじゃねぇか」
「高坂!やめろ、コイツは俺らとは違う!」
「ちっ。…知りたけりゃ教えてやる。今回、俺様が此処に来たのも無関係じゃねぇからな。大河の息子の縁談が決まった。それと同時に、奴は後継者として父親の役職を継ぐ」
「止せ高坂、口止めされてる」
「はっ、俺様はされてねぇ。文句は二葉に言え、餓鬼の警護を放棄してグルメツアーに勤しんでる馬鹿に」

何、言ってるんだろう、この人。
朱雀先輩みたいな金髪で、鋭い眼で、俺を見下す身長で。

「ま、松原…、あのな」
「ふん、無駄な慰めは逆効果じゃねぇのか?事実を知る権利は、この餓鬼にもある」
「だからって、つーか大体あれは…」
「姐さん!大変やで、今うちの仲間から連絡が入って来よった。余所者の餓鬼が二人、タチの悪いチームの奴らに連れて行かれた言うとる!」
「何やと?!まさかイレイザやあらへんやろなっ」
「あかんて、奴ら総長を物凄く恨んどるさかいに、万一その余所者が姐さんの連れやったら…!」

ユートさんが肩を揺すってきて。シゲさんが鋭い眼をして、村瀬さんが誰かに電話してる。


「縁談、って…何…?嘘だよね、朱雀先輩…っ」

でも俺は、去っていく光王子と何か言いたげな紅蓮の君を見送るだけで。俺の心はこの時、カチンカチンに凍ってたんだ。


*←まめこ | 可視恋線。ずちぇ→#



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