生まれて初めて自分用の携帯電話、と言うものを持つ事になった。
「俺の番号とメアドは入れてある。毎日ハートのデコメ入れてメールしろ」
「えっ」
「テレビ電話でも良い。風呂の中でも使える完全防水だ」
最新式のスマートフォンはクラスメートからも羨ましがられて、毎日が勉強。今までは噂でしかなかった『デコメ』に四苦八苦、『迷惑メール』が来た時は死ぬほど驚いた気がする。
「着うた、取ってもいいの?」
「デコメも取れよ」
初日は物珍しさに扱いまくり、翌日には充電器に挿したまま持って来るのを忘れ、めちゃくちゃ怒られた。
怖い顔で怒った男は『携帯するからケータイっつーんだ!』と、普段は国語力皆無の癖に尤もらしく説教してきて、涙目になった俺に気付くなり溜め息一つ。
可愛い枝豆キャラがプリントされたスマホカバーと、同じキャラの長いストラップを買ってくれた。
「まめが白、俺のが黒」
「枝豆は似合いそうだけどこの可愛いキャラは全く似合わないよね、お宅」
誕生日でもないのに無駄遣い、と。
嬉しい癖にほっぺを膨らませた俺に、『好きな奴に貢ぐのは無駄遣いじゃねぇ』なんて。あら、イケメン台詞。死ぬ前に一回は言ってみたい。
「また変な奴から誘拐されたら困るからな。四六時中、俺から離れんな」
「はぁ。…ストーカーって言葉、知ってる?」
不良の癖に早起き。
七時には俺の部屋の前で待ってるのに、決して中には入ろうとしない。
一度、お茶くらいどう?
と、誘ってみたのに、曖昧に笑って流された。
「あんま、他人のテリトリーにゃ入りたくねぇ」
好きだとか言う癖に。
そんな事を言うなんて、とムカムカしてたら、訳知り顔の幼馴染みが呟いた気がする。
「Fクラスの表番長ってくらいだら、ヤクザな家柄じゃん?映画の中みたいに命狙われたりするんじゃない」
「えー、まっさかー」
「大阪征服したリスキーダイスの元総長って話だよ。学園復帰するからって、引退したって」
「ほぇえ!さっすが、かわちゃん。不良世界に詳しいねっ、ファンなの?」
「違うよっ。猊下率いるカルマが最強なんだから」
あんな不良に付き纏われても、かわちゃんは何にも変わらない。
疎遠になったクラスメート、元クラスメートは沢山居たけど、B組のお母さん…いやいや、クラス委員長は伊達じゃないんだ。
怖い癖に、真っ青な顔をしながら、『メェを悲しませたら、許さないから』なんて、男前にも程がある。
制服を着崩しまくり、ポケットに両手突っ込んだだらけた美形不良と言えば、そんなかわちゃんにイケメンスマイルを振る舞いながら、
「判り切った事をほざくな、テンカス」
多分、チ●カスって言いたかったんだと思いました。
放課後は掃除の前にやって来て、ホームルーム終了のチャイムと同時にB組の教室のドアを蹴り開ける。
お陰でビビりまくった担任の先生が、近頃パンシロンを愛飲してるらしい。すいません、我が儘ナニサマ不良に育てた彼の両親を恨んで下さい。
だから俺を睨まないでねっ、お願い。
「おい、まめっちゅ」
「俺はそんなハイチュウみたいな名前じゃないんですけど!」
「ベロチューしてぇ」
「今すぐ絶交してもいい?」
「ちっ、ケチな奴」
いつかのお昼休み、購買で一番人気の『ぱんだらけ』のカツサンドとカレーパンに焼きそばパンを食べながら、変態は舌打ちした。
「ケチじゃない!あのね、いきなりそんなこと言って、誰が素直に許すって言うの?」
「俺が誘って嫌がる女も男も居ねぇ。まめこしか」
「…ふんっ。おモテになりますね!」
「妬いてんのか?」
「馬鹿なんじゃない」
「ケチまめた。少しくらい妬いてみせろ、可愛くねぇ」
「格好いいって言われたいから誉め言葉ですぅ」
お揃いのスマホを眺めていたと思えば、いきなり変態発言だもん。まぁ、前みたいにいきなりキスしようとしたり、勝手に服脱がしたりしなくなっただけマシだと諦めてるけどね。
遠野会長とか山田先輩とかから、何かの本?みたいなものをしょっちゅう借りて、サボリながら読んでるらしい。
近頃、何だか紳士的になって来た様な気がするから、会長と先輩のお陰だ。
「裸エプロン」
「は?!」
「は、萌えねぇな…。中途バンパーだろ、素っ裸が一番手っ取り早ぇ」
「何の話か判らないけど、それ中途半端の間違いじゃない」
指摘したら、スマホから目を離した朱雀がゴロリと膝に乗ってきた。ちょっと驚いて身じろぎすれば、ガシッと腰を掴まれる。
「膝貸せ、膝」
「えー…」
「セックスさせろっつってんじゃねーだろ、たまには優しくしろ」
「だって」
痛みまくった金髪が、スラックス越しにチリチリ当たってて。
食後のポカリを飲みながら、案外髪が固いのかも、なんて考えた。
「やだよ。何か、…恋人みたいだもん」
「良いね、早くそうなりてぇわ」
寝返りした朱雀の前髪が風に靡く。誰も居ない屋上、梅雨に近付く春の風は生暖かくて。
「恥ずかしくないの?…羞恥心が足りてないよね、本当」
「マーナオ、アイラヴユー」
「っ」
暑い。
熱い。
焼け焦げちゃうんじゃないかってくらいに、ほっぺも心臓も、騒がしかった。
「どっ。どこがいいんだよっ。自慢じゃないけど誰からも告白された事ないんだよ!」
「良いじゃねーか、寧ろされてたら相手殺す」
「頭悪いしチビだし童貞だし、目ぇ悪いんじゃないっ?!馬鹿にされてるみたいで、いや!だから理由を明確にっ」
「さぁ、何処だろうな。最初は俺相手に弱々しいパンチ喰らわせて来たチビ、っつーくらいだった気がすっけど」
伸びてきた長い指先の、切りそろえられた爪。
他の不良みたいにジャラジャラ指輪とかブレスレットがある訳でもなくて、朱雀の手首にはいつも、リストバンドしか付いていない。
「けど今は、全部可愛く見えて仕方ねぇ」
「な」
「あの時、殴った傷。もう見えなくなったな」
乾いた親指が唇の端を撫でる、感触。
今頃あれを謝るつもりかな、と。首を傾げた。
「まめの金魚の糞じゃねぇが」
「え?」
他の皆には無愛想な癖に、俺の前じゃちょいちょい笑う朱雀が珍しく無表情で。
何だかいつもより、格好良く見える不思議。
「次、もしお前を傷付ける奴が居たら、例えそれが俺自身でも許さねー。どんな手ぇ使ってでも殺してやる」
呟く様に、噛み締める様に。
少しだけ赤く変化したアレキサンドライトの瞳が、揺らめくのを見た。
「お前を幸せに出来る男が俺だけなら良い。そうなる様に頑張る」
「な、なっ」
「知ってっか?この俺が真面目に教室行ってんだぞ、主に日本語授業」
誉めろ、と俺のお腹にグリグリ頬擦りしてきた朱雀はきっと、真っ赤な俺に気付かなかっただろう、と…思いたい。
今、思い出しても恥ずか死ねる。
あの時の俺はどっかがきっと可笑しかったんだ。じゃなかったらあんな事なんか、絶対、一生、する筈がない。
「ずちぇ」
相変わらず下手な呼び方で、振り向こうとした朱雀の頭を両手で挟み込み、右目の端っこにチュッ、なんて。
固まった朱雀が油の切れた柱時計みたいに、ギギギって感じで顔をずらしたから、サッと顔を上に向けた。
死ねる。後悔。逃げたくても足痺れてきたし、どうせ足遅いし。
「…在做什公ロ尼?(何した?)」
下から微かな声が聞こえる。
「は、ずかし」
真っ青な空を見上げながら、顔を戻せない俺のほっぺに節張った大きな手が伸びてきて。
「う、わ!」
「瑪瑙イ尓給我的愛最多!(どうしようもないくらい好きだ)」
「ちょ、待っ。なに言ってるか判んな、」
「我相信我イ門千万(何があっても、これだけを信じる)」
「ぅ、んっ」
恋人同士みたいに。
コンクリートを背中に、真上に金髪と遥か広い青空。
キスをした。
キスを、された。
初めて抵抗しなかった。
初めて抱き締める為に回した両腕、まるで映画の中のカップルみたいに長いキス。
口の中でうねる他人の舌が、気持ち悪いと思えない。それは何故なのか、なんて。
「瑪瑙」
余裕の欠片もない朱雀が日本語で呼ぶのを、泣きたくなる気持ちで聞いていた。
何度見ても惚れ惚れする男前な顔が、苦しそうで可哀想になる。ぎゅってしたい。いっぱいいっぱい、撫でてあげたい。
でも俺にはそんな勇気も余裕もなくて、実際は抱き締められた腕の中でほっぺを赤くするばかり。
「あ、足に。当たってる…よ」
「…悪ぃ、何もしねぇから」
「ん」
「もうちょい、このままが良い」
暑い。
熱い。
髪を撫でる手は確かに男のもので、太股に当たる熱い塊に嫌悪するより先に沸いたのは羞恥心。
「…ま、また、遠野会長が見てるかも知れない、よ」
「見せ付けとけ。カルマだか何だか知らねーけど、アイツはただの変態だ」
暑い。
熱い。
恥ずかしい。
だけど離れたくない。
「朱雀の癖に、遠野会長の悪口言わないでよ。…ちょっとだけ、俺も思っちゃうけど」
「可愛い」
ああ、どうしよう。
「可愛い」
「ゃ」
「弱い癖に気が強ぇ所も、何でも美味そうに喰う所も、友達思いの所も、手が早い癖に殴った後しょんぼりする所も、全部可愛く見える」
気付きたくなかった。だからまだ、気付かない振りがしたい。
「ぜん、ぶ」
「部屋に飾ってずっと見続けてぇ」
「病気、だよ。何で俺なんか好きになるの?…格好いい、癖に」
額。
目尻。
鼻先。
耳、ほっぺ、眉間。
立て続けにキスされて、太股にはやっぱり、固くて熱い何かが当たったまま。
不思議と怖くなかった。
初対面の時に見たブラックタワーだって判ってるのに、危機感なんか、どこにも。
「まめ」
「…なに?」
「ゆっくり待てっつーから、焦らせるつもりはねぇ」
「ぇ?」
「一年でも十年でも待つから、よ」
押し倒されたまま、おでこの前髪を掻き分けられながら。
やっぱり無愛想な、でもやっぱり格好いい顔で、不良の癖に変態の癖にスケベな癖に。
「いつか、お前も俺を愛してくれ」
なのに不安げな顔で、大河朱雀と言う一つ年上の彼は、言った。
「いつまででも、待つから」
吹き抜けた穏やかな、けれど力強い風を覚えてる。
その翌日、彼は学園から姿を消しました。
残ったのはワープロで印字されていた退学届けと、お揃いのスマートフォンだけ。
何処を探しても姿はなく、何度掛けても繋がらない携帯、手掛かりも心当たりもない俺が、一週間泣きはらしても戻って来ませんでした。
「うっ、うっうっ、朱雀せんぱぁい、うぇ、すざくせんぱぁいっ」
謹慎が解けたうーちゃんも、エビチリばかり作ってくれるかわちゃんも、心配してくれてるのに。
だって、居なくなるなんて知らなかったから。
だって、一年でも十年でも待つって、言ってたから。
溢れるほど愛されて、お腹いっぱいになったら伝えればいいんだ、なんて。甘えてたんだ。
「やっとテストも終わったし、後は終了式か。夏休みの旅行、何処に行きたい?」
「今回は、まっつんが決めて良いよ」
梅雨に入って毎日雨が続いて。
紫陽花が散って夏服に代わって、台風が日本列島を脅かしても、
「…中国がいいな」
「メェ…」
「そ…れは、パスポートとか要るし、第一、金額がね?」
「うん、うーちゃんごめん。ちょっと言ってみただけ。えへ!かわちゃん、なんて顔なのっ?冗談だよ、冗談!」
涙が枯れ果てても、
毎日毎日つまらなくて、死んでしまいそうになるくらい寂しくて、やっぱり夜になると布団の中で涙が零れてしまって、…それでも。
「…大阪なら、お金、足りるかな?」
大好きな人は、どこにも居ない。