「松原君、生きてらっしゃいますか?」
「う〜ん…だから…触らないでって言ってるでしょ…変態!」
至近距離から聞こえてきた声音に、もぞりと寝返りを打ちながら重たい腕を持ち上げた。
「おや」
「ん〜」
何かをぱちんと引っ叩いた様な感触にぼんやり瞼を開き、欠伸を発ててから起き上がる。
ぱちん?
「ふわ〜。…ん?ここ、どこ?」
ぱちくり。
瞬いた松原瑪瑙、つまり俺の真正面に、長い足を優雅に組み換える風紀委員長の姿。ああ、大学部の高嶺の花がこんな至近距離に居るなんて。
「高坂、平凡受けの平手打ちを浴びた。宴の用意をしろ、俊に報告せねばなるまい」
「無表情で悶えるな帝王院、テメェ一応理事長だろうが」
「理事長である前に萌えに馳せる男でしかない。私は私である前に俺と言う腐男子なのだ」
「執務室の中くらい生徒会長らしくしろよマジで」
無表情で頬を撫でているとんでもない美形に硬直し、先程何かを叩いた様な感触があった右手をギギギっと眺めてみる。
まさか。こんなとんでもない美形に手を挙げてしまったのだろうか、一般庶民がっ。
「か、かぃ、かぃちょ、神様っ!」
「「神様?」」
しゅばっと黒縁眼鏡を掛けたとんでもない美形に、とりあえず謝ろうとして失敗した。会長すみませんでした、と言うべき箇所で噛んだんだよ。然もしっかり聞いていた風紀委員長と副会長の苦笑い、恥ずかし過ぎる。
「一年Bクラス松原瑪瑙」
「は、はっ、はいっ、ななな何ですか!」
「呼んでみただけだ」
「はへ?」
「因みにネーム作成中の新刊原稿内では、そなたをメニョたんと呼んでいる。気軽に俺の事は旦那様と呼ぶが良かろう」
「え?え?え?」
何処か期待に満ちた表情でしゅばっと正座した人に飛び上がる。
どうしよう、やっぱり話が通じない。何故学園の二代生徒会長は日本語で宇宙語を話すのだろう、頭が良いからだろうか。
「つまり陛下は松原君に旦那様と呼ばれて無表情でハァハァなさりたいのですよ。意外とむっつりですねぇ、流石我が君」
「果てしなく大っぴらじゃねぇか。何回言っても生徒総会で即売会しようとしやがる!」
「ですがこの間の新刊は我々も駆り出されたんですよ?修羅場明けにトーンカスがホッぺに付いていて、大変愉快でした」
にこにこ宣う白百合様にうっかり見惚れ、苛々と無人の一人掛けソファーを蹴り飛ばした副会長に痙き攣りながら憧れるよ。あんな強烈なキックが出来れば、朱雀恐れるに足りずだろうね!
然し先程から敢えてスルーしていたけど、外から凄まじい罵声が聞こえるのは気の所為だろうか。
「メニョたん、早く旦那様と呼んでくれ。裸待機の心境だ」
「え?え?え?だ、旦那様?!」
「もえー」
しゅばっと立ち上がった長い足が、真っ直ぐ最奥の巨大なデスクに座るなり万年筆の様なペンで何かを書き始めた。
慣れた光景なのか誰も突っ込まない。
「創作意欲に火が点いてしまわれましたか。ああ、下書きもなさらず直接ペン入れとは流石我が神!震えるほどどうでも良いですね、頑張って下さい」
「頼むからまともに仕事しろよ…」
「所で松原君、二年Sクラス山田太陽君が私の愛しいプリンスフェアリーだと言う衆知の事実はご存じですよね?」
にこっと笑みを深めた白百合様にうっかり見惚れ、コクコクと光速で首を振る。知らない筈がないくらい有名な話だもん。
但し山田太陽の余りにも平凡過ぎる外見を覚えていなかっただけで、誰もが知ってる。
「まかり間違えて懸想などなさらないように願いますよ?うふふ、もし私の山田太陽君に恋心など抱いてごらんなさい、うふふ、うふふふふ」
本能的恐怖からソファーの上で正座してしまった松原瑪瑙、だから俺は、恐怖の余り固まりまくった表情筋を益々引き締め、
「大丈夫です。白百合様の笑顔が綺麗過ぎて外の騒ぎも気になりません!付き合って下さい!」
「おや、余りにも聞き慣れた賛辞。大変残念ですが、」
ドアが開く音と同時に一瞬だけ廊下の騒ぎが音を増したんだけど、それに振り返るより早く俺の頬スレスレを飛んでいった何かが、麗しい白百合の首に巻き付いた。ひぃ。
「後輩ビビらせて何やってんだろうねー、叶二葉せんぱーい」
「わ、わわわ、」
「おや、ハニー。いつも以上に愛が苦しい気がします」
「脇腹刺されても気付かない無神経野郎が何ほざいてんの」
呆れ混じりの溜め息が俺のすぐ後ろから漏らされる。鞭の様な長い革縄を首に巻き付けられ、ぐいぐい引っ張られている白百合様は相変わらずにこにこ麗しいよ。
恐々振り返った先、僅かに開いたドアの向こうで赤いロン毛の美形さんと、嫌に見慣れた変態が殴り合っていたのを見たけど、
「あ、ややや山田先輩…」
「や、松原君。苛められたりしなかった?いきなり押し倒されたりしなかった?ごめんね、変態の巣窟に放り込む様な真似して」
「山田先輩…」
「でも大丈夫」
にっこり笑った先輩の右手の鞭がしなって、ついでにブレザーの胸元を漁ってた左手から銀の刃物が目に見えない早さで飛んでいくのを見ちゃった俺と言えば、
「君と大河君のベストエンディングを邪魔するカス共は一人残らずぶっ潰してあげるからねー」
「やっやっ山田先輩ぃいいい!」
ぐるぐる巻きなのに微笑みを絶やさずミルクティー飲んでる白百合様よりも、頬すれすれでナイフが刺さってるのに無表情で足を組み替えてる神帝陛下様よりも、山田先輩の方が恐かった。
「泣かないで松原君、いい子いい子」
「山田先輩ぃいいい!」
俺は知ってるよ。かわちゃんよりも、うーちゃんの方が怒ったら怖いんだ。普段にこにこしてる分、怖いんだ。
「あのっあのっ、ベストエンディングって何ですか?ゲームですかっ?」
「ん?もしかして松原君もゲームやったりする口かい?」
「えっと、あんまやった事ないです。ドラクエくらいかな」
「名作だね」
ずかっとソファーに座った山田先輩に、いそいそとお茶とお菓子を持ってきた役員さんが震えながら頭を下げてた。やっぱり、山田先輩は怖い人だったんだ。
でも俺には優しいから気にしない!
「テメェっ、コラ嵯峨崎ぃ!逃げ回ってんじゃねぇよ!」
「先輩に対する礼儀を知らねぇみてぇだな、雑魚が。相手して欲しけりゃきびきび動け、ノロマ」
「上等だ…!」
うん。
聞かない振りしてたけど、丸聞こえだなぁ。すんごい顔した変態と、さっきお菓子差し入れしてくれた真っ赤な髪の人が扉の向こうで弾けてるよ。
鼻歌でも歌いそうな余裕っぷりで変態朱雀のパンチ避けてる人は、確か紅蓮の君だった気がする。カルマの副総長ってくらいだから、超強いんだろうな。
「頑張って下さいっ、紅蓮の君!こてんぱんにしちゃって下さいっ」
「あー?おう、応援しやがれ」
「まめた!」
うっかり声援飛ばしたら、俺に気付いた変態が真っ直ぐ駆け寄ってくる。
「おま、ズリィぞ大河ぁ!」
「おまめは無事か!」
しまった、何か知らないけど山田先輩は満面の笑みでビシッと鞭を振って、怒りの形相の紅蓮の君を一瞬で正座させてた。
だから変態が俺をがしっと抱き締めてむにむにお尻を揉みしだいても、無表情超美人の神帝陛下がデジカメを光らせても、光王子が眉間を押さえても、白百合様が紅茶のお代わりしても、誰も助けてくれない。
「やっ、め!」
「何された?まさか食われてねぇだろうな、俺もまだ突っ込んでねぇのに!まめこ、大人しくおまめと穴を見せろ!」
「はい?!何ゆってんのっ?つかお尻揉まないでよー」
「良いかまめりーな。妻は浮き輪したら死刑なんだぞ、つまりこの穴もおまめも俺以外には触らせんなっつー事だ」
「浮き輪?!」
「ああ?!おいっ、ここ怪我してんじゃねぇか!」
お尻の境目をつつつーっと撫でられて、鳥肌が立った瞬間、変態の股間目がけて蹴った。
叫んだ瞬間、前に目の前の変態に殴られて切った唇の端から血が出たのが判ったけど、それをぺろんと舐められて俺もう泣きそうです。
あとちょっとでチューしそうだった!やだもう、ばっちい!
「お前が殴ったんじゃんか!馬鹿っ、変なとこ触るな!ほろびろ!」
ほろびろ!が漢字で書けないから、なんか片言っぽくなったら白百合様が爆笑した。なんか光王子様も肩を震わせてる気がする。
因みに変態はちんちん押えて崩れてるよ。もうちょっと蹴ってやろうとしたら、がしっと足を掴まれた。
苦しそうに顔を上げた朱雀の、緑色の目が爛々と輝いてる。何か、赤くなってきた。目が。
「畜生…良い蹴りだ!」
「気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い」
「な、なんだその蔑む目は!いつ覚えてきた…!はぁはぁ」
怪しい息遣いになってきた変態の手をゲシゲシ踏み付けて、俺は涙目で走った。山田先輩が親指を立ててた気がするけど、走り帰ってかわちゃんから説教一時間の刑を食らってた俺がそれを確かめる方法はない。
「ふむ。とりあえず、二年Fクラス大河朱雀。スタンプカードを出せ」
「ああ?」
「悪者を蹴散らし平凡受けを華麗に救出して好感度を上げよう作戦は、残念ながら成功とは言えまい。然しながら平凡受けの尻に敷かれるその溺愛傾向は評価に値するだろう」
因みに、『神』と言うスタンプを構えた神帝陛下が無表情でうんうん頷きながら、股間の痛みと戦ってる変態の手の甲にポンッとスタンプしていた事も、
「嵯峨崎にすら勝てねぇようじゃ、先は険しいだろうな」
疲れた表情の光王子が『俺』と言うスタンプを変態の手の甲にポンッとスタンプしていた事も、
「所でハニー、仕事が終わったので食事に行きませんか?」
「んー、奢りなら行く」
「愚問ですよ」
山田先輩に縋り付いて押し返されながら微笑を絶やさない白百合様が『美』、ゲームの電源を入れながら白百合様を蹴りまくる山田先輩が『山』のスタンプを変態のホッペにポンッと押してる事も、
「あ、総長っスか?予定通り大河の実力測ってみましたけど、そこそこやると思います。いやてんで雑魚ですけど、隙がないっつーか」
携帯に話し掛けながら『犬』のスタンプを取り出してた赤い髪の犬…じゃなく、嵯峨崎佑壱先輩が、
「然し本気っスか?
次の相手が総長直々なんて」
股間の痛みから復活して暴れ回る変態朱雀を一瞥、同情めいた表情を浮かべた事も、
「全くお前はいつもいつも問題ばっか起こして!連絡くらい入れろって言ってるだろ!判ってるのか!返事は一回!ご飯抜きにされたいの?!」
「うぇ、うぇーん、かわちゃんっ、ごめんよぉう!反省してますー」
「反省してるならトイレ掃除と勉強三時間しろっ」
「ひっく、ひっく、ごめんなさぁい」
「って言うか、まっつんはいつから大河先輩と知り合ったの?」
恐怖のかわちゃんからネチネチ怒られた挙げ句、ちんぷんかんぷんな教科書を前に泣きながらうんうん唸ってた俺は、勿論知らない。
遠野会長は何処に行ったんだろ。