いざよふ

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 いつも通りの日常とは、時に残酷なものだ。新八はテレビのワイドショーを見ながらため息を吐いた。
 将軍が江戸城を明け渡してから半月が経っていた。
 桂から話を聞かされた時は、これしかないと思ったのは事実だ。だがいざ実現してしまえば、もっと他に方法があったのではと悔やまれる。
 江戸城の明け渡しの日、神楽は泣いていた。そよ姫の帰る場所を奪ってしまったと。肝心の姫君は、やっと堂々と城を出られると、気丈に振る舞っていたのが余計に二人の涙腺を弛めさせた。
 銀時はというと、驚くほどいつも通りだ。桂と将軍との間で、どのような会話が交わされたのかは分からない。彼らの会見が終わったあとも、
「仕事はこれでしめーだ」
と、自らの天パを掻き回すだけだった。
 ただ、あとでポロリと『桂と将軍は友人だった』という衝撃の事実を告げられた。一体、彼はどういう人脈をしてるのだ。
 これから江戸はどうなっていくのだろうか。己のような未熟者が憂うことではないのだろうが、この町に漂う不穏な空気は、幼い子どもですら不安にさせた。
 それを更に決定的にしたのは、真選組が反逆軍として指名手配された、というニュースだ。
 トップがすげ代わり、実質的に新政府となった今、ほとんどの警察組織は新しい体制に従っている。そうすれば今の地位は安泰だと告げられたことが大きかったようだ。
 そんな中、新政府に納得がいかないと声を荒げるものたちもいた。その筆頭が真選組だ。以前は攘夷志士たちを捕らえる立場だった真選組が、今やお尋ね者である。
 新八は喉と胸の辺りが苦しくなるのを感じて、テレビの電源を切った。
 自分が携わった出来事によって、多くの人の人生が変わっていく。その重さに耐えられず、新八はソファの上で膝を抱えて小さくなった。ふと神楽の方を見ると、彼女も何かにすがるように新八の方を見つめていた。
「なあ、新八。私たちのしたことは、正しかったアルカ?」
 安堵を求めて揺れる眼差しが求める答えに気づきながらも、新八はその問いに答えられなかった。それはずっと新八自身が自らに問い続けている問題だからだ。
「あん時、おめーらはそれが正しいって思ったんだろうが」
 沈む二人に向けられた声は、気だるい雇い主の声だった。事務机にだらしなく足を上げながら鼻くそほじっている姿は、いっそ腹立たしいほどいつも通りだ。
「将軍も一緒だ。自分が正しいって思ったからああした。俺たちが悩むことじゃねーよ」
「っ、でもっ……!」
 他人の人生を変えてしまった。その事実が己を攻める。それは愚かな選択だったのではないか、と。
 そんな後悔を嘲笑うかのように、万事屋の扉が開かれた。
「邪魔するぜ、万事屋」
 聞き覚えのある低い声と煙草の匂い。
 躊躇いもなく開かれた戸の向こうには、闇に消えてしまいそうなほど黒ずくめの男が一人。いつもと服装は違うが、間違いない。
 万事屋を訪れたのは、現在指名手配中の土方その人だった。


◆◇◆

 雨が降っていた。身に凍みるほど冷たい冬の雨。今まではそれが嫌いだった。
 京から江戸に戻る間に、真選組は逆賊の汚名を着せられた。それを晴らさんとすればするほど、立場も形勢も悪くなっていく。
 江戸に着いても屯所に帰る訳にいかず、山崎がこちらで用意してくれていた隠れ家に身を寄せている。念のために、と山崎を残しておいて良かったと、心底思った。
 だが、このまま江戸に止まっている訳にもいかない。
 そんな中、将軍が城を抜けて北へ向かっているという情報を得ることができた。ならば、真選組もそれに同行しようということになり、今日の午後には密かに江戸を立つことが決まっている。
 土方が万事屋を訪れたのは、数時間後には出立さる、まさにその時だった。ある情報が山崎によりもたらされたのである。
『江戸開城に、万事屋が関わっている』
 それは俄に信じがたく、同時に納得もしてしまえるものだった。
 桂が武力もなしに将軍と謁見など出来るはずがない。だが、格別の恩を抱いている万事屋となれば話は別だ。彼らの手引きがあれば城内に入り込むことも可能だろう。
 このことは、近藤は知らない。知っているのは土方と沖田、そして情報を持ち帰った山崎だけだ。
 それが事実だったとして、彼らが敵対を表明しない限り、これからの動きに関わりはない。むしろ隊内に無用な混乱を招くだけだ。
 ならば今聞いたことを忘れろと、沖田と山崎には厳命した。
 それなのに、そう命じた己自身が万事屋を訪れている。全く笑えない冗談だ。知る意味などない。それでも、確かめずにはいられなかった。それがどうしてだかは分からない。ただ体が動いた。止めることができなかった。それだけだ。
 自分の感情すらおいてけぼりにして、土方は万事屋の戸を引いた。


◆◇◆


「で、あいつら追っ払ってまで俺に聞きたいってことってなに。くだんねーことだったら叩き出すかんな」
 面と向かって言われると、案外言葉が出てこないものだ。本当に、何をしに来たのだろうか。土方はソファには腰掛けず、立ったまま万事屋の主人へと目を向けた。
「今日の夜、江戸を発つ。俺たちは最期まで戦うつもりだ」
「……そうか」
 お前は、と聞きかけて、止めた。そしてようやく腑に落ちた。己がこの男に何が聞きたかったのか。
――お前はどうするのか。
 江戸城開城に銀時が携わっていると聞いた時から、ただそれだけを聞きたかった。
 いつも誰かを護るためだけに動いていたこの男が、何のためにそんなことをしたのか。そして、これから何のために動くというのか。ただそれだけが知りたかったのだ。
「――俺は、これ以上この件に関わるつもりはねェ」
 まるで土方の思考を読んだかのように、銀時は気だるそうに答えた。
「俺ァ元々、この国良くしてやろうとか、幕府倒してやろうとか、そんな志みてーなもんは持ち合わせちゃいねェ。目の前のモンを全力で護る。ただそれだけだ」
「……てめーらしいな」
 今までの非日常の中で、この男だけがいつも通りだ。それだけのことが妙におかしくて、土方は久方ぶりに笑った。
「うっわ、気持ち悪!お前が笑うとかマジ気持ち悪いんですけど」
「うるせー!俺だってたまには笑わァ!」
 笑ったことを指摘されたのが何処か気恥ずかしくて、土方は新しい煙草に火を点けた。ゆっくりと紫煙が天井に昇る。その煙の行方を見上げながら、銀時がポツリと口を開いた。
「……クーデターのとき、オレは江戸城にいた」
「――ああ、聞いた」
 土方は自らの吐き出す煙越しに、ぼんやりと銀時を見つめながら答えた。
「別にヅラ……桂を手伝ったわけじゃねェ。オレはただ、この江戸を、かぶき町を、壊したくなかっただけだ」
 ゆっくりと、ただゆっくりと、紫煙がゆらゆらと漂っている。
 土方は肺の奥まで吸い込んでから、大きく息を吐き出した。万事屋の中が煙で満たされていく。
「――そうか。安心した」
 土方は煙草を指で挟んだまま膝に置いた。
「あ?」
 不意を突かれたように銀時がこちらを見た。その顔があんまりにも間抜けで、土方はまた少し笑った。
「テメェが変わってねェことに」
 変わりすぎてしまった日常の中で、この男の信念は変わらない。あの屋根の上で土方の刀を折った、あの日のままだ。
 それを、嬉しいと思う。
「オレは北へ向かう。だから、江戸はお前らが守れ」
 土方は刀を腰へ差しながら立ち上がった。それをソファに座ったまま見上げながら、銀時は鼻に皺を寄せた。
「むちゃ言いやがるな」
「てめー万事屋だろうが。依頼くらい受けやがれ」
 わざと偉そうな態度で言ってやると、銀時はガシガシと頭を掻きながら立ち上がった。
「ったく、しゃあねェな。そん代わり依頼料は高くつくぜ?」
「ああ。幾らでも払ってやらァ」
「ま、今は厳しいご時世だし?特別に後払いにしてやるよ」
 その言葉に、土方は虚を突かれた。それは土方が生きて帰らなければ果たせない約束だ。
 もしや銀時なりの激励なのだろうか。だとしたらお互い素直じゃない。
「ぜってー払いに来いよ」
「ああ、利子付けて払ってやらァ」
 柱に体を凭れかけながら見送る銀時に、土方は鍔を鳴らして応えた。
 外に出ると、雨はまだ降り続いていた。凍りつくような冷たさは、これが直に雪へと変わることを告げていた。


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