いざよふ

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 江戸城が落城して早半月。鬼兵隊は善戦してはいるものの、戦況が芳しいとは言い難かった。
 桂たち攘夷志士が江戸城を落とすだろうことは予想できた。そうなれば嫌でも幕府側の人間や、その残党と戦うことになるだろうことも。そうなれば江戸を戦火へと巻き込み、その混乱に乗じて現将軍を暗殺することもできた。
 しかし実際はどうだ。桂は将軍さえ籠絡し、最低限の争いで事を納めてしまった。挙げ句、将軍は身を隠してしまっている。更に、鬼兵隊とは結ぶ気も敵対する気もないときている。
――やはり、まだ時期尚早だったか。
 このままこちらから攻めてもいいのだが、戦力の大部分を天導衆の方へと割いてしまっている。
 更に、未だ抵抗を続ける真選組を始めとした幕府側にも戦力を割かなければならない。
 今戦えるのは、高杉の護衛として残ったまた子の部隊くらいだ。
「時間がねェ……」
 高杉は胸元に爪を立てながら呻いた。
 息が詰まり、嫌な咳が込み上げてくる。
 必死に堪えたが、抵抗むなしくそれは喉元をかけあがり、高杉の口許を赤く染めた。
 それを、忌々しく懐紙で拭う。こんな姿は誰にも見せられない。常に人払いをし、隠してきた。しかし、そろそろ限界のようだ。
 だが、高杉がふたたび口許を拭おうとした瞬間、部屋の襖が開かれた。
「おんし、病んじゅうんか」
 突然の来訪者に虚を突かれ、高杉は懐紙を握り潰した。
「誰も部屋に入れるな、と言ってあったんだがな」
「ああ、じゃから勝手に入ってきた」
 事も無げに言ってのける姿は、いっそ感嘆に価する。そういえば、昔から勝手な奴だった。勝手に戦場を捨てたくせに、戦が終わってからも、突然ふらりとやって来ては、どうでもいい世間話や昔話をして帰っていく。
 高杉が煙管を燻らすと、坂本はその前にどっかりと座り込んだ。付き合いはそれなりに長いが、未だに距離感の近さに慣れない。
「おんし、ちゃんと医者に見てもらっちゅうか」
「ああ、未だ治療法のねェ厄介なヤツらしい」
 高杉はクツクツと喉で笑った。己が病で死につつある。それが無性におかしかった。
「診断受けたあと、全然医者にかかっとらんがやろ」
 坂本の目は、普段バカ笑いしてる奴とは思えぬほど真剣だった。ああ、怒っているのかと、まるで他人事のように納得した。
「治らねーもんに金と時間を費やしても無駄なだけだ」
 これでこの話は終いだと告げると、坂本はいきなり高杉の両肩を掴んだ。
「金が無い言うなら、わしがどんだけでも貸しちゃる。時間が無い言うなら、わしが医者をここに連れてきちゃる!」
 ギリギリと指先が高杉の肩に食い込む。サングラスの奥の瞳はよく見えないが、泣いているようだった。
「今俺が不治の病だなんて知れたら、隊が動揺する。それに、敵もここぞとばかりに攻めてくるだろう。それは避けてェ」
「……」
「お前も艦隊率いてんなら、分かるだろ」
 坂本は何も言わなかった。ただ、サングラスの隙から見える瞳が悲しみをたたえていた。
 そういえば、彼の目を見上げずに見るのは初めてだな、とどうでもいいことを考えながら、高杉は坂本を引き剥がした。
「なら、この戦が終わったら、おんしは医者にかかるがか?」
「治るならな」
 おそらく治らないだろうことは実感していた。何度か大きな病をしたことがあるが、そのどれとも違う。じわりじわりと体力を削ぎ、着実に死にちかづいて行くのを感じる。
 だからこそ、この戦いを早く終結させなければならない。こんな所で立ち止まっている訳にはいかないのだ。
「わしはおんしの病を治せる医者を探す。じゃから、死ぬな」
 坂本は、馬鹿馬鹿しいほど底抜けに明るい笑顔を高杉に向けた。
「生きとうせ、高杉」
 言いたいことを言い尽くしたのか、坂本は「じゃあの」と部屋を後にした。
「本当に、勝手な奴だ」
 高杉は立て掛けていた三味線を手に取り、爪弾いた。
「俺ァまだ、見てもらってもいいなんて言ってねーだろうが」
 そう一人ごちた高杉の口元には、うっすらと笑みが浮かんでいた。


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