いざよふ

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 警備することと戦は違う。京から江戸へ向かう道中、土方はそれを痛いほど感じていた。
 戦になれば士気の差が大きく物を言う。やる気のない者が隊の中に一人でもいれば、それだけで成果が大きく変わってしまうのだ。
 だというのに、江戸も目前という所で最悪の事態が起きた。
『将軍による無血開城』
 天導衆というしがらみがあるにも関わらず下した決断だ。きっと何かしらの意図があってのことだろう。
 だが、ほとんどの者は将軍の人となりを知らず、おまけに今まで彼の警護に振り回されてきた。また気まぐれだと思い込む者や、売国奴と罵るものが出てくるのは、仕方のないことだった。
「俺達が守るべきは将軍じゃねェ。江戸だ!なのになんで、その江戸を棄てた奴の警護をしなくちゃなんねェんだ!」
 そう近藤に食って掛かったのは、武州の道場時代から共に過ごしてきた永倉だった。近藤の襟首を掴み上げ、今にも絞め殺さんばかりである。
「それが俺達の役目だからだ!」
 近藤も負けじと掴みかかる。その勢いで乱闘となり、それを止めようとした隊士も含め、多くの負傷者を出す結果となった。
 これがきっかけだった。
 隊から脱走を図る者が急増した。それはもう、切腹などさせている暇などないほど。
 あと数日で江戸へと帰還できる。それすら待てぬほどの不満が、目に見えて渦巻いている。
「――限界だ」
 土方は煙草の煙と共に大きくため息を吐いた。
 これまで真選組の基盤になっていた『江戸の守護』。そのために将軍を守ってきた。
 だが将軍が江戸城を手放したことにより、その基盤が揺らいでいる。完全に崩れる前に手を打たなければならない。
「近藤さん、これ以上はもう無理だ」
 そう言葉にした土方の声も疲弊していた。まるで退陣のような進軍。勝ちも敗けもない消耗戦。
 皆が疲弊しきっている。こんな状態で戦い続ければ、いつか真選組は崩壊してしまう。
 それは近藤も分かっていたのだろう。
「……もう、他の選択肢はねェんだな」
「前に進むには、それしかねェ」
 それを近藤が望んでいないのは分かっている。しかし、もうこれ以外に手段が思い浮かばぬのだ。
「真選組を、解体する」
 土方の煙草の火が揺れる。それは暗い冬の室内で、蛍のように揺らめいていた。



***



「真選組は、将軍と共に北へ向かう」
 その決定が隊全体に告げられたのは、江戸に着いて二日目の朝のことだった。
「納得いかねェ!」
 そう叫んだのは案の定、永倉だった。それに呼応するように、幾人もが反対を叫ぶ。予想通りの反応に、土方は煙草を灰皿に押し付けながら立ち上がった。
「着いてこれねーってんなら、着いてこなくていい」
 その言葉に誰もが絶句した。永倉だけでなく、原田や鉄、他の隊士たちにも動揺が走る。
「出立は明日の夜。それまでに出てった奴については咎めねェ。抜けたい奴は好きにしろ。以上だ」
 淡々と告げた言葉に、どよめきはあっても反論はない。永倉は拳を震わせながら下唇を噛み締めている。
「これは、決定なんだな」
「ああ」
「従えない奴は、出ていけってか」
 今にも噛みつきそうな眼で睨み付ける永倉に、近藤はただ、「そうだ」とだけ応えた。
「だったら!俺は出ていく!俺のやり方で江戸を守る!」
 永倉は床が抜けるのではないかという勢いで立ち上がって叫んだ。その目に涙が浮かんでいることに、きっと近藤も気づいただろう。それでも引き留めなかった。
 永倉は砕けるのではないかというほど奥歯を噛み締め、周囲の隊士を押し退けるようにして部屋を出た。
「と、止めなくていいんですか?」
 鉄之介が怖々と土方に尋ねた。
「従えねェってんなら仕方がねェ」
 ただそれだけを淡々と告げる。隊士たちに動揺が走るのが分かった。しかし、ここで揺れるような奴は、戦場で真っ先に死ぬ。それならば、抜けてもらった方が足手まといがいなくなって助かる。
「お、俺も抜ける。俺は武士になるためにここに来たんだ。将軍と心中するためじゃねェ!」
 怯えた眼で立ち上がった隊士が、逃げるように部屋を後にした。それに続くように、我も我もと脱退を申し出ていく。
――こりゃ、半分も残らねェかもな。
 それでも構わない。真選組という組織が、近藤という大将が残るなら。減ったならもう一度集めればいい。そう自分に言い聞かせながら、去っていく隊士の背を見送った。
「悪いが俺も抜けさせてもらう」
 そう言って立ち上がったのは、十番隊隊長の原田だった。さすがの土方も、これには目を見張った。
「あんたのやり方に口出すつもりもねェし、腹を立ててるわけでものェ。ただ俺には……俺には女房も、産まれたばっかのガキもいるんだ」
 原田が所帯を持ったのは、一昨年の春のことだった。茶店の娘に一目惚れしたことから始まった恋。それを冷やかしながらも見守ったものだ。
 子どもが産まれてからは、誰もがことある毎に写真を見せられ、辟易していたことが昨日のことのようである。
 だからこそ、誰もが口を出すことが出来なかった。今の女房を意地で口説き落としたことも、子どもが出来て泣いて喜んでいたことも、全てを知っているからこそ。
これから戦場になるだろう江戸に、女子どもだけ残してはいけまい。
「近藤さん。あんたには恩がある。最後まで着いていきてェ。そんでも……そんでも、あいつらのこと放っておけねェんだ」
 そう告げる武骨な声が、拳が、震えていた。原田という男は、口は悪いが義理堅い。その彼がここまで言うのだ。よほどの覚悟なのだろう。土方はただ、煙草のフィルターを噛み締めた。
「すまねぇ、近藤さん。すまねぇ、みんな――」
 厳めしい顔を歪めながら、原田がその場に額を擦り付けた。その姿に、近藤は少し困ったように微笑んだ。まるで幼子をあやすように。
「……右之。顔上げろ」
 近藤は原田の側へ寄り、膝を付いて原田の肩に手を置いた。原田はまだ顔を伏せたままだ。そんな彼の心を解すように、近藤は静かに言葉を紡いだ。
「右之、今までありがとな」
 弾かれたように顔を上げるた原田は、その視線を肩に置かれた手に向けた。その手もまた、小さく震えている。
「今まで江戸を守ってくれたんだ。だから今度は、おまさちゃんと茂くんのことを守ってやれ」
「局長……っ!」
 二人の目からは止められぬ涙が溢れている。
「すまねぇ、すまねぇ!」
 原田は刀を掴んで立ち上がり、再び深々と頭を下げてから部屋を出た。
 それをどこか空虚な気分で見送りながら、土方は煙草を携帯灰皿に押し付けた。そんな感傷を引きずるように、近藤が涙を拭いながら立ち上がった。
「みんな、すまねェ」
 近藤の顔は涙と鼻水まみれで、威厳とはかけ離れた姿だ。しかし部屋に響くその声に、不思議と迷いは感じられない。
「これは俺のわがままだ。お前らに付き合わせるワケにはいかねェ。着いてけねェってんなら抜けてもらって構わねェ。だが俺は、真選組っつう居場所をくれた、俺たちを武士にしてくれた、その大恩に報いたい!」
 涙声で訴える近藤に、部屋の中はしんと静まり返っている。誰も言葉を発さなかった。発せなかった。
「将軍のため、ねェ」
 その沈黙を破ったのは、一番後ろでアイマスクをしながら刀に寄っ掛かっていた沖田である。いつもの飄々とした顔で、刀を両手で持ちながら、気だるそうにため息を吐いた。
「だったら、俺らを武士にしてくれたのは近藤さんだ。それに、この刀の使い方仕込んでくれたのも」
 沖田は刀を半ばまで抜き、再び鞘に戻した。パチンッと小気味良い音が響く。
「俺の大将はガキん頃から近藤さんだけでさァ。どこまでも着いていきやすぜィ」
 いつものふやけた声とは違う、熱のこもった声。
――ああ、そうだった。
 武州の道場を後にした日のことを思い出す。あの日、土方も誓ったのだった。将軍でも松平でもなく、近藤勲という男に着いて行こうと。
 沖田に倣うように、土方も誓いの金打を鳴らす。それに続いて、あちこちで刀と鍔が合わさる音が奏でられた。
 辺りを見てみれば、抜けたのは三分の一程度。思ったより残ったな、と思わず頬がニヤけた。
「みんな、感謝する」
 近藤は泣きながら頭を下げた。普段なら、トップが簡単に頭下げるもんじゃねェと文句のひとつでも言うところだが、今日のところは止めることにした。
 彼は我らが近藤局長なのだ。だったらこれでいい。
土方は新しい煙草を箱から取りだし、肺の奥まで吸い込んだ。その一本はいつも以上に土方の心を満たしていた。

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