いざよふ

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 桂たちが江戸城を訪れたその日に、江戸城の開城は行われた。 幕臣のほとんどが反対したが、茂々は辛抱強くこれが策であることを説いた。 家臣たちを蔑ろにするつもりではないこと。これは敵に屈する降伏ではなく、民たちを護るための策なのだということ。
 中には怒りに震える者もいた。売国奴と罵る者もいた。 攘夷志士の言うことなど信用できぬと、みな正面切って怒りをぶつけることはなかったが、その思いは茂茂に深く突き刺さった。
 それでも茂茂は、城を明け渡すことを撤回しなかった。共に国を憂う者として、桂を信用していたから、ということもある。それ以上に、この選択以外に城下を火の海にしない方法が思いつかなかったのが一番の理由だ。
 ことは一刻を争う。茂茂はすぐさまマスコミを集め、松平に城の明け渡しについて対応するよう命じた。
「正気か?」
 周りに人がいないからか、フランクに問い返す松平に、茂茂は深く頷いた。
「これしかもう、道はない」
「あのなあ、将ちゃん」
「もう、決めたのだ」
 茂茂は駄々をこねる子をあやすように微笑んだ。その決意を曲げることなど、誰にも出来ぬと諭すように。
「なら、お前のために戦ってきた馬鹿どもはどうする 」
 いつもと違う、真剣な眼差し。それは友としてでも、保護者としてでもない、部下としての問い掛けだった。
「確かにこの国は腐ってやがる。自分の保身ばっか考えて動くような輩は大勢いる。そいつらにとっちゃ今の状況は良い薬になるだろうな。だがな、おめーを信じて、おめーに命預けてきた連中にとったら、こりゅあ裏切りだ」
 片栗虎が言ったことを、考えない訳ではなかった。将軍が城を攘夷志士(テロリスト)に明け渡す。それはつまり、将軍が国を捨てたも同じ。
「ならば、最後にその責任を取るまで」
 最初からそのつもりだった。国内で紛争が起きれば、その隙に天導衆がこの国を乗っ取ろうとすることは明白。そうなる前に、紛争の元を断つ。
 だが、この一連の出来事に、天導衆は激怒するだろう。誰かが責任を取らねばならない。ならば。
「後追いも敵討ちも禁じる旨をここに記した。念のため、映像にも残してある。……介錯はいらぬ。ただ、見届け人をそちに――」
「ふざけんな!」
 茂茂が言い終える前に、松平の怒号が部屋中に響いた。こんなことは初めてだ。
「てめー1人で全部しょいこむだあ?ガキがナマ言ってんじゃねェよ!」
「だが、余は将軍なのだ」
 ただ飾りとして必要とされていたこの身だが、この両肩には沢山の責が課されている。最期にその為に死ねるというのは、本望というものだ。
「分かってくれ、片栗虎」
 松平の眼には涙が浮かんでいた。
 時に父のように、時に友人のように接してくれた。そして今、己の死に涙してくれる。これ以上に嬉しいことなどあるだろうか。
「お前は勝手だな」
 松平の肩においた手に、彼の手が重なる。その手はとても温かい。
「なら、おじさんも勝手にさせてもらうぜ」
  その時の松平を、茂茂は生涯忘れることはないだろう。
 重ねられた手に力が込められたかと思うと、腕を絡めとられ、そのまま松平の肩に担がれた。もう、五十路を過ぎたとは思えぬ力だ。
「おい、何を!?」 
「言っただろ、好きにするって」
 松平は茂茂と城を抜け出す時と同じ顔で笑った。
「生きろ」
 その一言は腹を斬る以上に難しく、重く、そして温かい。
 茂茂は松平の肩にしがみつきながら、何度も頷いた。その頬は流れる涙で濡れていた。


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