いざよふ

http://nanos.jp/izayou/
 京で起こったクーデターにより、江戸城内も上へ下への大騒ぎとなった。場所自体は江戸から遠いが、国の重要拠点のひとつが落とされたとあっては幕府の沽券に関わる。これを機に再び攘夷志士が台頭することになりかねない。
 彼らが茂々を訪ねてきたのは、そんな折だった。表向きは茂々の妹、そよを見舞いにきたとのことだったが、本心は別にあるのだろう。
 側近たちは彼らをこの忙しい時に城内に入れることを躊躇ったが、以前彼らが舞蔵を救ったあの万事屋だと知ると、渋々通してくれた。万事屋以外にももう1人、笠を被った法衣姿の男がいるのが気になったが、彼らが危険人物を連れ込むはずはないのでそのまま通せ、と命じた。
「そよちゃん、大変な時にごめんアル」
 そよの友人――確か神楽といった――は後ろめたそうに謝った。やはり、本題は別にあるようだ。
 そよもそれに気づいたのか、神楽と新八の手だけを引いて無邪気に笑った。
「いいのよ。こんなに陰気臭いからこそ、みんなが来てくれて嬉しいわ。さ、私の部屋で遊びましょう」
 2人は少し躊躇って銀時の方を振り返ったが、その銀時が頷いたのを見てされるがままにそよの部屋へと向かった。
 茂々は残された客人を私室に迎え入れ、人払いをした。茂々が上座、銀時たちが下座に座るやいなや、二人は――一人は笠を外して――平伏した。確かにこの場では相応しいのだろうが、少し寂しかった。
「久しいな、坂田、桂」
 そう茂々が言うと、平伏していた二人が目を見開いて顔を上げた。
「気づいていたのか」
「当たり前だ。余は友人の顔を忘れたりせん」
 一度結ばれた奇妙な縁を思い出しながら、茂々は笑みを浮かべた。
「それに、そちらは――そちは、余に決して害をなさん。特に、このような不意打ちではな」
 だからこの部屋に招き入れた。ただの友人として。
 そう言外に告げると、桂は凛と姿勢を正し、茂々を見つめた。城の中ではめったに見ることのない、濁りのない澄んだ瞳だ。
 それが合図だったかのように、銀時は唯一の出入り口である襖の側へと控えた。
「では、この桂小太郎。徳川茂々公に折り入ってお頼み申す」
 桂は大きく息を吐き出すと、迷いのない声でとんでもないことを言ってのけた。
「この江戸城を、俺に預けてくれまいか」
 さすがの茂茂も言葉を失った。城を預けてほしいとは言うが、実質は国を明け渡すことに等しい。
 茂茂が桂の真意を計りかねていると、突然銀時が音もなく動いた。かと思うと、襖が開かれる前に襖ごと大きく切り裂いた。
 そのまま茂茂と桂を守るように大きく飛び退く。桂も敵襲に腰元へと右手を伸ばした。だが。
――刀が、ない?
 桂も手を伸ばしたのは無意識だったようで、軽く舌打ちすると、すぐさま茂茂を庇うように立ちはだかった。
 襖の向こうから現れたのは、見覚えのある姿だった。死に装束のように真っ白な制服に、長く美しい黒紫の髪。無機質に輝く瞳は赤く、ただ無慈悲にこちらを写している。
「そちは、見廻組の!?」
 確か信女と、異三郎が呼んでいた。何故、彼女がここにいて、あまつさえこちらを襲う事態となっているのだ。
「ったく、盗み聞きなんて趣味が悪ィな」
「そっちこそ、内緒話なんて趣味が悪い」
 瞬間、信女が素早く銀時の懐へと飛び込む。まるで瞬間移動でもしたかのようだ。横薙ぎに振るわれたその刀を、銀時は木刀で受け止めている。表情は険しい。
「っつうか、こっちは話し合いに来ただけなんですけ、ど!」
 銀時が信女の刀を弾くと、それに合わせて信女は後ろに飛んだ。相変わらず彼女の感情は読めない。
「話し合いとかどうでもいい。こちらの計画に支障をきたすから潰す。ただ、それだけ」
 再び信女が動く。その滑るような動きに合わせて、銀時もまた一歩踏み出した。その時。
「その辺にして下さい、信女さん」
 2人の動きがほぼ同時に止まった。刀は互いの首筋に当てられている。まさに危機一髪だ。
「全く、お喋りが過ぎますよ」
 呆れ声でため息を吐いているのは、見廻組局長、佐々木異三郎だった。
「とりあえず詳しい話を聞かせて頂きましょうか。捕まえるのも殺すのも、その後でも十分出来ますからね」
 無機質な瞳で物騒なことを言う異三郎に、銀時は眉を顰めた。だが桂は腹をくくったらしく、再び茂々の前に鎮座している。
「銀時、木刀(かたな)を納めろ」
「へーへー」
 銀時は面倒そうに木刀を引っ込めると、気怠げに腰へと差した。先ほどまで獣のように戦っていた男とは別人だ。
「信女さん、あなたもです。あとでポンデリング買って上げるから」
 こちらもポンデリングにつられたのか、渋々と刀を鞘に納めた。表情の読みにくい赤い瞳は、わずかに不満の色をたたえている気がする。
 二人が納刀するのを確認してから、茂々は居住まいを正し、桂に向き直った。
「江戸城を明け渡してほしい、と申したな」
 こくりと桂が頷く。その態度に迷いはない。
「そちは『将軍職を辞せ』でも、『政権を寄越せ』でもなく『城を明け渡してほしい』という。その真意を、余は知りたい」
 今だって、こんな回りくどいことをせずとも良いのだ。茂々を拘束し、その命を盾にすればいい。何ならここで殺してしまった方が、城など簡単に手に入る。
 しかし、この真摯な男はそうしない。その理由を、桂の口から聞きたかった。
「鬼兵隊の真の狙いはこの江戸城。そこまではいいか」
「うむ」
「なら、その江戸城が幕府のものでなく、同じ攘夷志士の物となれば。彼らに攻める道理はなくなる」
 茂々は目を見張った。異三郎も片眉をピクリと震わせている。
「なるほど、それならばお互いに損害を最小限に抑えられますね」
 確かにそうかもしれない。だが、それだけではないだろう。
 『明け渡す』ということは、抵抗しないと同義。たとえお飾りとはいえ、将軍として護りたいのだ。この国を。この国の民を。その思いに偽りはない。
「今はただ、江戸城が攘夷派によって占拠されたという事実だけがあればいい。ただ頭をすげ替える。それだけだ。それならば不満も最小限で抑えられる。それから」
 桂は一呼吸置いてから断言した。
「茂々公及びその周囲の人間には、一切の危害を加えさせない。茂々公の友人として誓おう。俺は貴公を、必ず護ってみせる!」
 桂と茂々は、ただ無言で見つめ合った。まるで時が止まったかのように。
 その沈黙を破ったのは、茂々のため息だった。
「丸腰で敵城へ訪れて、そこまで言われれば、協力せぬ訳にはいかぬな」
 浮かんだのは苦笑だったが、気持ちはむしろ晴れ晴れとしている。
 隣でずっと息を詰めていた銀時も、安心したのか畳に両手を付いて大きく息を吐いた。
「あー、やっぱこういうのお前向きだわ。俺ここにいるだけでつれーわ」
「何を言う。お前がいなければ、俺はそこの女に殺されていた」
 笑いながら、二人は信女の方に――いや、異三郎の方に視線をやった。
「何ですか、二人とも」
 異三郎は憮然とした表情で二人を見返した。
「だから協力すると言ったでしょう。私は私の利益になり得ることしかやりませんよ。では、とりあえず連絡を取るために携帯を――」
「いや、それはいらねー」
 銀時が心底嫌そうに顔を歪める。よっぽど異三郎のメル友になるのが嫌らしい。茂々は携帯を二人の方に押しやった。
「そんなに嫌がらずとも、異三郎とメールするのも楽しいぞ」
「っていうか、将軍ともメル友なのォォォ!? っていうか将軍も何やってんの!! あのウザいメール楽しいとかどんだけ心広いんだ、将軍!!」
 緊張が解けたのか饒舌になった銀時を見て、茂々は笑った。それは久方ぶりにこぼれた、心の底からの笑みだった。


◆◇◆


「良かったの、異三郎」
 桂たちが去ってのち、信女は異三郎に尋ねた。わずかながらに寄せられた眉間の皺が、納得がいかないという彼女の思いを表している。
「良いんですよ、これで。あの男もまた、幕府を壊そうとしていることに変わりはないですから。それに」
 ニヤリと、異三郎は笑った。
「真の悪役とは最後に登場するものですからね」
 普段見せぬ彼の笑顔は、どこか恐ろしく自信に満ちていた。


prev/next
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -