いざよふ

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 松平という男は奇妙な男だった。土方と何の話をするかと思えば、ほとんどが彼の娘がどれほど可愛いかという話だった。写真を見せてもらったが、確かに可愛い。惚れるなよと念を押された。念を押すというよりも、脅されたという方が正しいのだが。どうもこの人も一筋縄ではいかない人間なようだ。
 それにしても、ここ最近で妙な人々と会うものだ。
 近藤たちが松平の下で立ち上げる組織は、『武装警察真選組』というらしい。武装警察という名が付く通り、刀を持って攘夷志士たちを取り締まるという。刀の所持の許可を取るにはとても苦労したと、松平が苦々しい顔で笑った。それに対して土方は、「そうか」と言っただけだった。しかし車で送ってもらう間、どこか嬉しそうにしていた。浮かれていたと言ってもいい。そんな彼を横目に見ていると、突然目が合った。
「お前、字が書けないんだよな」
「え? ああ、うん……じゃねえや、はい」
 突然なんだろうと山崎は首を傾げた。
「だったら、ミツバに習え。俺たちゃ教えるっつうのに向いてねェからな」
 最初は何を言われているのか分からなかった。頭の中がぐるぐるとかき回されているのに、何故か聴覚だけははっきり聞こえているような、不思議な感覚に陥る。
「あいつは総悟(おとうと)もいるし、教えんのは上手い。だから……おい、聞いてんのか?」
 顔をのぞき込まれるように近づけられて、ようやく現実感が湧いてきた。途端に、心臓がバクバクと鳴りだし、指先が熱くなっていくのを感じた。
「俺が、字を……」
 嬉しい。ただ純粋にそう思った。自然と頬が緩むのを止められない。
「お願いします!」
 山崎は土方の手を握り、深々と頭を下げた。今まで抱いていた反感は既に消えていた。現金なものだと我ながら思わないでもないが、今日一日、共に過ごしてきた感想でもある。悪い人ではない。
「そ、ういうことは俺じゃなくて本人に言え。それに、許可すんのはあいつだからな。断られたらそれまでだ」
 そう言って反らされた顔が、うっすら赤く色づいていたことに山崎は気づいた。土方という男は全くもって素直じゃないらしい。感情をあまり面に出さないだけで、案外良い奴なのかもしれない。
 ミツバならきっと引き受けてくれるだろう。何度かしか会っていないが、そんな気がした。
「帰りに頼んでみます」
「……俺も行く」
 一緒に頼んでくれるというのだろうか。山崎はとうとう耐えきれず、「えへへ」と声に出して笑った。
「ちゃんと道場の方にも出ろよ。門下生」
「はい!」
 山崎が満面の笑みで応えると、土方はふんと鼻を鳴らした。これからのことが、少しだけ楽しみに感じた。


◆◇◆


 梅の花が香り始めた頃、山崎はミツバの家と近藤の道場を往復するようになって二ヶ月ほどが経っていた。
 ミツバは優しかった。たまに総悟も乱入してきて、しっちゃかめっちゃかにして帰ることもあったが、それすら楽しかった。
 ミツバとの授業のあと、総悟と時々話もした。そのだいたいが、総悟が山崎を茶化すようなものだったが、たまに真面目な話もした。
 彼が近藤に付いて行く理由を聞いた。初めて友人と呼んでくれた人なのだという。
「だから、俺の居場所は近藤さんの隣なんでィ」
 縁側で茶を啜りながらそう言った総悟の瞳は、土方と同じ瞳をしていた。その瞳を見て、彼もいずれ江戸へ向かうのかと思うと胸がチクリと痛んだ。
「お前は行かねーのか?江戸」
「ええ。俺はここに残ります」
 最初に断ったのは、たんに興味が無かったからだ。しかしその後も、近藤は時折山崎を真選組へと勧誘してきた。それでも断り続けたのは、自分には信念がある訳ではないことに気づいたからだ。侍になりたいわけでもない。国を守りたいなんて大それた志があるわけでもない。そんな中途半端な気持ちでいったところで邪魔になるだけだ。それに彼らとの付き合いも長いわけではない。そう思って近藤からの誘いは辞退した。
 自分を人として扱ってくれて、剣も人としての生き方も教えてくれたことも、本当に感謝いている。だからこそ着いていかないことにした。
「じゃあ、お前。これからどうするんでィ」
「……考え中です」
 お前も来りゃァいいのに、と総悟は言ったが、山崎はただ笑って返すしかできなかった。
「あらあら。二人とも仲いいわね」
 茶を淹れ直したミツバが、盆に湯飲みを4つ乗せてきた。その笑みを見るとどこか安心する。
「あれ、湯飲みひとつ多くないですか?」
「ああ、これ。そろそろかと思って」
 何のことかと山崎が首を傾げると、総悟が嫌そうに顔を歪めた。
――ああ。そうか。
 そろそろ稽古の時間だ。この時間になると、土方がふらりとやってくるのだ。
「オイ、終わったか?」
 何ともタイミングのいい登場で土方が沖田家の縁側へと顔を出した。思わず3人で顔を見合わせ、笑った。
「あ?なんだってんだ」
 土方はムッとして唇を尖らせた。
「ごめんなさい。十四郎さんもお茶いかが?」
「いや、いい。ありがとな」
 めずらしいな、この人が素直に礼を言うなんて。
 そういえば、以前からミツバに対してだけは他の人に比べて優しい気がする。ミツバも、土方に対しては少しだけ態度が気安い。
――あれ? もしかして。
「オイ、山崎。ちょっと来い。総悟は先に行っててくれ」
 総悟に聞かれたくないような話なのだろうか。山崎は首を傾げながら「はい」と返した。一方、総悟は土方と目も合わせずに立ち上がると、姉に「行ってきます」とだけ言って足早にその場を後にした。その後ろ姿をキョトンとした顔でミツバが見送る。土方も「行くぞ」と一言だけ告げるとミツバと山崎に背を向けた。
「あの」
 土方がこちらの話が聞こえない距離まで来たのを確認してから、山崎は声を潜めてミツバににじり寄った。
「これ、俺の勘なんですが」
「なあに」
 ミツバも不思議そうな目でこちらを見返してきた。顔が近くて少しだけだがドキリとする。
「もしかして、土方さんとミツバさんって、付き合ってたりします?」
 ミツバの目が大きく見開かれ、その唇が微かに震えた。
「山崎! 何してやがる!」
 土方の声に、山崎は肩を大きく震わせた。
「変なこと聞いてすみませんでした。じゃあ」
「いいえ、構わないわ。私たち別に、付き合ってませんし」
 そう言って笑った顔は、とても寂しそうで儚かった。山崎は聞いたことを後悔しながらも、ミツバに頭を下げて土方の背中を追った。
 山崎の勘が正しければ、恐らくミツバも土方のことを好きなはずだ。それなのに何故、彼女はあんなにも悲しい顔をしたのか。女性との付き合いが皆無な身にとっては甚だ見当も付かない。
「山崎、あいつと何の話してたんだ」
「いいえ、別に」
 一瞬、聞かれていたのかとドキリとしたが、そしらぬ顔で返した。
 風が強く吹いて、土方の長い髪を揺らす。まだ風が冷たくて、山崎は身震いした。
「お前、これからどうするつもりだ?」
「それ、沖田さんにも聞かれました」
 仲悪いくせに息はぴたりですね、と皮肉を言えば、頭上から拳骨が降ってきた。地味に痛い。
「何するんですか」
「テメーが余計なこと言うからだ」
 だからといって殴ることは無いじゃないだろうか。頭を押さえながら睨み付けると、土方はそれに対して目つきの悪い目で応戦した。
「で、話って何ですか」
「お前を改めて真選組に誘いたい」
 意外な言葉に、山崎は目を見開いた。近藤や他の道場連中が気をきかせて誘いにくることはあったが、土方だけは今まで決して勧誘してこなかった。それなのに、なぜ今になって。
「なんで今さら……」
「ずっと考えてた。お前に監察方を任せたい」
「監察、方?」
 確か密偵のようなものだと以前土方が言っていた気がする。
「なんで、俺なんですか。俺、剣の腕も微妙だし、学もない。もっと打って付けな人間がいるはずです!」
 土方と共に過ごしてきたからこそ分かる。彼がどれだけ真選組の立ち上げに尽力していたかも知っている。寝食も忘れて真選組の組織図を作っていた時、呆れて炊事洗濯を行ったのは山崎自身だ。呆れはしたが、素直にすごいと思えた。人はこんなにも何かに打ち込めるものなのかと。
 だからこそ共には行けないと思った。足手まといにはなりたくない。だから断ってきた。それなのに、今になって山崎が必要だと土方は言う。
「お前のその地味さと素早さは監察方には打ってつけだ。他にも候補はいるが、一番お前が向いている」
 表情ひとつ変えずに土方は言った。しかし、そのいつにもまして熱い声音に、彼が本気なのだと知った。
「お前の力が必要なんだ」
 その一言に、なぜだか泣きたくなった。
 足手まといになるから、などというのは所詮自分に対しての言い訳なのだ。本当はずっと怖かった。周りの足を引っ張り、「要らない」と言われるのが怖かったのだ。
 それが今、必要とされている。その状況に、心がざわつく。
「少しだけ、考えさせてもらってもいいですか?」
「ああ。できるだけ早く頼む」
 心臓がバクバクとうるさくて、そのせいか頭は全然働いてくれなかった。どうしていいのか、どうしたいのか、自分自身でも分からない。
 冷たい風が山崎の体温を奪う。途方に暮れて見上げた空は、どこまでも青く澄んでいた。



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