いざよふ

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 結局、土方も山崎も承認しないままに、松平のとっつぁんとやらに会いに行くことになった。普段着ている服より数段上等なものを着せてくれた。随分と偉い人物に会うようである。気をつけろよと近藤に送り出されたはいいが、この男の同行というのが宜しくない。どうにも苦手だ。
「お前……山崎とか言ったか。近藤さんからどこまで聞いてる」
 聞いているも何も、同行理由しか知らないのだから答えられる訳がない。そのままを伝えると、土方は眉間の皺を更に深くした。
「ったく、何も教えねェまま入門させた上に着いて来させたって訳か。何考えてんだか」
 土方の言葉に嫌な予感しかしない。苦々しい表情を恐る恐る見上げると、土方は大きなため息を着いてから話し始めた。
「奉行所から治安維持の仕事が分離したっつう話は知ってるか」
「えっと、確か警察とかいう……」
「そうだ。今から会いにいくのは、そこの長官だ」
「……ええ!?」
 長官と言えば一番偉い人ではないか。
「一体、何だってそんな人と」
「近藤さんが助けたガキが、たまたまその長官の娘だった。そんだけだ」
「そんだけって」
「強いて言うならとっつぁんが親バカだっただけだ」
 納得できるようなできないような、山崎は更に首をひねった。
「で、今から会いに行く理由は?」
「俺たちがその警察庁に雇われることになったからだ」
「へ?」
「まあ、つまり、幕府の下で働くってこった」
「エエエエェ!?」
 こんなド田舎の、しかもあんなボロ道場に居座る男たちが、警察の一員になるというのか。
「世も末だな……」
 思わずこぼした言葉に、山崎は慌てて口を噤んだ。
「ハ、違ェねェや。だけどなぁ」
 土方は腰に差した木刀へと手をやった。
「そうでもしなきゃ、俺たちは侍で居られねェんだよ」
 そう言った土方の顔は、随分と物騒な表情をしていた。まっすぐに前を向いたその瞳には、一体なにが写っているのだろうか。
「あんた、侍でいたいの?」
「ああ」
 即答する土方を、少しだけ羨ましいと思った。それが当たり前だと思える彼が。
「で、なんで俺まで長官とやらに会うことになってんの」
「とっつぁんへの顔合わせだ。近藤さんはお前も仲間に加えるつもりらしい」
「いやいやいやいや! そんな話聞いてないからね!」
「当たり前だ。今話した」
 さも当然とばかりに言われても困る。こちらとしては、当面の衣食住が確保されればそれでいいのだ。むしろそれだけがいい。
「ま、嫌だっつうんなら近藤さんも無理強いはしねェだろ。あの道場引き払うまでは居させてもらえるだろうしな」
「引き払うって、いつ」
「三月の末」
 もうすぐではないか。そういうことは早く言ってもらわないと困る。
「ま、テメーみたいなガキなんざ着いて来られたって邪魔なだけだがな」
「な、俺はもう十九だ!」
 低身長のせいで幾つか幼く見られやすいことは自覚している。が、分かっていても幼く見られるのは屈辱だ。
 案の定、土方はその目を大きく見開いて驚きを示した。
「ンなもん、まだまだガキだ」
「あんた、俺のこともっと年下だって思ってたろ!」
「気のせいだ。っつうかなんでテメーは総悟には敬語で俺にタメ口なんだ! 俺のが年上で兄弟子だぞ!」
「知ーるーか! 尊敬できるやつだったら使ってるよ!」
「ンだとテメー!」
 土方が山崎の胸ぐらを掴むと、山崎も負けじと握り返した。
 突発的に始まった下らない喧嘩は、ギャアギャアと喚き合いながら松平の所へと到着するまで繰り広げられた。


◆◇◆


 松平の元へと到着したのは、約束の時間を少し過ぎた頃だった。
 先ほどまでの喧嘩などどこ吹く風な土方に対し、山崎は所々青あざが出来ている上に、借りた服も少し着崩れていた。要するに、山崎の完敗だった。
「1時間歩き詰めって聞いてない」
「安心しろ。帰りは車で送ってもらえる。っつうか敬語」
「はーい」
 気に食わないが負けたのだから仕方がない。本当に不本意なのだが。
 なぜ沖田には抱かぬ反感を土方には感じてしまうのか。そんなものは分かりきっている。人目を引くその顔とスタイルだ。ここに来るまでに何度となく女性の視線を感じた。その度にイライラが募るのは男として仕方ないのではないか。
 思い出したらまたムカムカしてきたので、土方を思い切り睨みつけると、ちょうど土方と目が合った。
「なんだ?」
「別に」
 膨れっ面で目を逸らしてから、土方の後について行く。
 「襟元正せ」と小声で囁いた彼が向かう先は、如何にも高そうな料亭だった。門をくぐると同時に山崎は慌てて襟元を整え、埃を払った。こんな場所とは縁遠い生活を送って来た身としては、緊張を通り越して吐きそうだ。
「いらっしゃいまし。御予約の方でしょうか?」
「松平公と約束しているものだ」
「伺っております。こちらにお名前をご記帳願います」
 土方が慣れた様子で女性の差し出した帳面に名前を記した。
「おい、お前も書け」
「え?」
「え、じゃない。てめーも中に入んだろうが」
 土方は帳面を山崎の方へグイと押しつけた。山崎はそれをじっと見つめただけで受け取ろうとはしない。
「俺は外で待ってます」
 目も合わせずに言う山崎に、土方は怪訝そうな表情を浮かべた。当然だろう。ここまで来て会いたくないという意思表示を初めて示したのだから。
「いいから書け。ここまで来てわがまま言ってんじゃねェよ」
「……無理です」
「お前なあ」
 土方どころか記帳を願い出た彼女まで困惑した表情でこちらを見ている。どうにもならないことを肌で感じた山崎は、不本意ながら重くなりそうな口を開いた。
「……けない」
「は?」
「書けないんだ。その、文字が」
 物心が付くか付かぬかという頃に天涯孤独となった山崎には、文字を覚えている暇などなかった。似たような境遇の者たちと、時に寄り添い、時に奪い合って生きてきたのだ。その日その日を生きるのが精一杯で、スリの技術を磨いて食い扶持を稼いでいた。ここに来て余計に思い知らされる。自分とは生きる世界が違うのだと。
 女が少し笑ったのが見えた。土方の顔は見られなかった。
「……外で、待ってる」
 それだけ告げると、山崎は二人に背を向けた。自分がとても惨めに思えた。悔しさと惨めさに押しつぶされそうだ。胸が苦しくて、うっすらと涙すら浮かんできた。
「おい、やまざき…だっけか?下の名前なんてェんだ」
 まるで何事もなかったかのように尋ねる土方に、進みかけた山崎の歩みが止まった。振り向くと筆で帳面に何やら書き付ける土方の姿があった。
「おら、早く言え。待たせちまってんじゃねェか」
「さ、さがる」
「なんかずいぶんとネガティブだな」
「一歩退いて冷静に見、ことにあたれって、父ちゃんが」
「ふーん。いい名前じゃねェか」
 土方は帳面を女性に渡した。困惑した顔をした彼女を尻目に、土方は山崎の腕を掴むと、ズンズンと廊下を早足で進んだ。引きずられるようにして土方の後を歩きながら、山崎は困惑した。どうして彼がそんなことをしたんかは分からない。どちらかというと土方は自分のことを快く思っていないはずだ。
「オイ」
 急に土方が歩みを止めた。目的の部屋に到着したのかと思ったが、襖を開ける気配は無い。土方は山崎の方へと体を向けながらわずかに言い澱み、ポンポンと頭を叩かれた。
「堂々としてろ」
 それだけ言うと、土方は再び歩き出した。何に対して、とは告げられなかった。何なのだろう、この人は。なぜか急におかしくなってきて、山崎は土方に気づかれないように微笑った。
 先ほど叩かれた箇所にそっと手を添えてみる。土方の手つきは乱暴だったが、暖かかった。




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