いざよふ

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 布団の上で眠るのは何年ぶりだろうか。山崎は居心地悪そうに身をよじった。この道場に来て7日。寒さに凍えることなく過ごせるのは有り難いことではあったが、どこか落ち着かない。
 稽古に来ないかとも誘われたが、断った。親切心からだと分かってはいるが、なれ合うのはごめんだ。
 そっと足首を動かしてみた。少し痛みはあるものの、歩くのには支障は無さそうだ。
道場から稽古に励む声と足音が聞こえる。それを頭の隅で聞きながら、山崎はそっと布団から抜け出した。
 足音を殺して廊下を歩く。まだ少し肌寒い。
 そろそろと開けた障子は、音も無く開いた。山崎は自分の中の警戒レベルを上げながら部屋へと忍び込んだ。
 近藤に対して恩を感じていない訳ではない。だが、だからといって簡単には生き方を変えることはできない。ここを出れば山崎はただの浮浪児だ。徒で返すことになるとは分かっていても、自分自身どうすることもできない。
 タンスに手を掛けて引き出しを開ける。金目の物を探すためにその中へ手を入れた所で、首筋に木刀が突きつけられた。
「テメェ、何やってんでィ」
 聞こえてきたのはまだ幼さの残る声色だった。恐る恐る振り返ると、道場の門下生最年少の沖田総悟という少年が立っていた。ミツバの弟と聞いている。姉に似ず、ずいぶんと不遜な奴だ。
「あ、んたこそ、こんな所でサボっていていいのかよ」
 稽古はまだ終わっていないはずだ。道場からはまだ野太い声が響いてきている。
――コイツ、全く気配無かった。
 寒さのせいではなく、山崎の背筋がぞわりとそばだった。
「オイテメー、山崎とか言ったか」
 木刀の先が喉仏へと向けられた。突きの名手である彼にとっては、木刀すら立派な狂気だ。
「別にテメーが何者だろうが俺には関係ねェ。ただなァ、近藤さんに危害加えるってんなら、タダじゃおかねェぜ」
 その幼い瞳に浮かんでいたのは、純然たる殺気だった。その幼い見た目――といっても山崎と同年代くらいなのだが ――とは不似合いなその鋭い視線に、山崎は思わず息を呑んだ。逃げなければと思うのに、体が上手く動かない。
「ま、近藤さんの邪魔さえしなけりゃ好きにしなせェ」
 山崎がすっかり気圧されていることを察したのか、沖田は刀を降ろした。しかし殺気を収める気配は無い。
「ったく。どうせちょっかい出すなら、あのうざってー長髪にしろィ。むしろ俺が殺す」
 あのヤローとは土方のことだろうか。それにしても殺すとは物騒だ。そんなに嫌いなんだろうか。
「ま、今日のとこは見逃してやらァ。次はねェから覚悟しとけ」
「……はい」
 見た目とは裏腹な真っ黒な笑みを浮かべながら、沖田は木刀片手に道場へと足を向けた。
 山崎は少しだけ肩の力を抜いた。あの人には逆らうまい。そう思いながら。
「あ、そうだ」
 沖田が再びこちらを向いた。思わず背筋を伸ばして気をつけの姿勢になる。
「先輩には敬語使いやがれ」
「は、はい!沖田先輩!」
 山崎がひっくり返りそうな声で返事をすると、沖田は満足そうに笑みを浮かべた。


◆◇◆


 沖田は本当に山崎のことを見逃してくれたらしい。その後、誰に咎められることなくまだ近藤の元にいる。以前と変わったことと言えば沖田にパシられるようになったことくらいだ。
 あの日のことを盾に脅して来ることはないのだが、さも当然という態度で山崎に命令してくるのだ。それに従ってしまう自分も自分なのだが。
 怪我も癒え、足の痛みが完全に引いた頃、再び近藤から稽古に誘われた。
「見学だけでもいい。来てみないか」
 その熱心な勧誘に、見学だけならとしぶしぶ承諾した。
 バシンッという竹刀の音と、甲高い掛け声が耳をつんざく。いつも遠くから聞いていたが、近くなるとその迫力は何とも言えない。熱気が辺りを包み、気迫が山崎に襲いかかってくる。
「その辺で適当に寛いでいてくれ」
 近藤はニカリと爽やかな笑みを浮かべると、壁から竹刀を取って手空きの者へとそれを構えた。
 その瞬間、近藤の表情が変わった。いつもの人の好さそうな顔から、真っ直ぐな剣士の顔へ。その変化に山崎は目を見張った。
 相手は近藤と同じように大柄で、髭を生やしたハゲの男。2人の間にはピンと張り詰めた空気が漂う。中段に構える近藤に対し、男は普通のものより幾分長めの竹刀。その切っ先を相手に向けた状態で頭上へと振り上げている。
 お互いに何か合図があった訳ではない。しかし、まるで息を合わせたかのように同時に大きく一歩を踏み出した。
男の突きを近藤が切っ先でいなす。そのまま籠手を狙う近藤に、男は長刀のリーチを生かして下部から振り上げた。それを近藤が柄で弾き、再び間合いを取る。
 一進一退の互角の勝負に、山崎はいつしか拳を握りしめて見入っていた。
 勝負が決まったのは一瞬のことだった。突きを放った男の剣先を払い、そのまま男を真正面から打ち据えた。
「すご……」
 意識せず口から漏れたその言葉に、近藤が満面の笑みを見せた。
「どうだすごいだろ――」
「隙有り!」
 近藤の言葉が終わるか否か、先ほど剣を交えていたのとは別の男が近藤の頭目掛けて竹刀を振り下ろした。完全な不意打ちに油断していたのか、近藤はその攻撃をモロに食らった。
「おいおい、近藤さん。ンな腕じゃこの道場継げねェぜ?」
 バンダナを付けたその男は、悪びれることもせず不敵に笑った。
「ちょ、永倉くんなにすんのこれ、ちょ、痛っ」
「手加減はしたはずだぜ?師範代」
 永倉と呼ばれた男は尚もニヤニヤと笑っている。が、その後頭部をハゲの男がはたいた。
「っつ! 何すんだよ右之さん!」
「よけられなかったお前が悪い」
「なんだよ!やろうってのか!」
 険悪なムードが2人を覆う。どちらからともなく竹刀を握り直すと、お互いの頭上へと振り下ろした。
 折れるのではないかというほど激しく竹刀がぶつかり合う。何度も竹刀が競り合う音は、道場の中で一際響いた。
「お、なんだ?右之と新七がやってんのか」
「俺、右之が勝つのに千円」
「じゃあ俺、新七に二千円」
 その言葉に驚いて振り返ると、先ほどまで稽古をしていた連中が2人を取り囲んでいた。そのほとんどが彼らをはやし立て、止める者は皆無だ。
「と、止めなくていいのか?」
 これは稽古ではなく喧嘩だ。不安になった山崎は隣で同じように2人を見ている近藤を見上げた。
「なぁに、いつものことだ。それよりお前、どっちが勝つと思う?」
 俺は右之だな、と近藤は呑気に答えた。
 こんなにも緊迫した打ち合いであるのに、それが日常だというのか。山崎は胸の奥が締め付けられるような感覚と共に心音が速くなるのを感じた。
――俺は、新七って人の方かな。
 山崎は言葉には出さずに2人の仕合いを見つめた。新七と呼ばれたバンダナの若者の方が、勢いもあるし押しているように見える。
「今日は右之だな。新七の野郎、今日は随分と剣が浮かれてやがる」
 自分の脳内とは真逆の意見が頭上から聞こえてきた。声の主は以前、山崎をぶん殴った男だ。確か土方と言ったか。
「おう、トシ。時間はまだいいのか」
「ああ、あと少ししたら出掛けるがな」
 土方は首筋に手を当てながら気だるそうに言った。
「俺は、新七さんが勝つと思います」
 山崎は思わず口に出して対抗した。
「ああ、なんだ居たのか」
 まるで山崎に興味が無いのか、土方はただそれだけを素っ気なく返した。存在を軽く見られているようで、腹の底から何か嫌なものがせり上がってくる。
 もう一度何か言い返そうと口を開いた瞬間、こぎみ良い音と共に辺りから歓声が上がった。どうやら決着が着いたらしい。
 勝ったのは原田だった。永倉の竹刀はその手から弾かれ、喉元には原田の長い竹刀が突きつけられている。
「ほらな」
 土方は山崎を小馬鹿にするように口の端をニヤリと歪めた。
――ムカつく。
 『何に』かは分からないが、山崎は自分の腹の中で急速に何かが湧き上がるのを感じた。
「お、見慣れねェヤツだな。もしかして土方さんの隠し子?」
 感情が爆発するというまさにその瞬間、間延びした脱力するような口調で、随分と色素の薄い男が割り入ってきた。
「おう、藤堂。お前は山崎くんに会うの初めてか」
 藤堂に対して近藤が快活な笑みで応えたのに対し、土方は今にも斬り殺しそうな視線で応えた。
「藤堂、てめーぶっ殺すぞ」
「やだなぁ、冗談ッスよ。っていうか、あれでしょ? 例の土方さんが怪我させちゃったっていう」
 そういえばそんな理由でここに引き止められたのだったか。山崎が藤堂を見上げると、人懐っこい笑みを向けられた。どう返していいか分からず、とりあえずこちらもへらりと笑ってみた。
「ここに居るってことは入門したのかぁ。っつうことは俺の弟弟子だな。年下いねェからなんか新鮮。総悟は一応先輩だし。まあ、良かったじゃないスかトシさん。松平のとっつぁんのとこに一緒に連れてく奴ができて」
 立て板に水とはまさにこのことを言うのだろう。のんびりとした口調だというのに、土方にも山崎にも否定する隙を与えない。これではまるで肯定しているようではないか。
「近藤さんはそのつもッスよね」
「そうだな。元はと言えばトシのせいだもんな。ということで、山崎くんの世話は頼んだぞ!」
 まだ入門するとは一言も言っていないはずなのに、あれよあれよと決まっていくのは何故なのだ。山崎は頭を抱えた。
「……お前、時々総悟よりタチ悪ィな」
 土方とは意見が合わないようだが、そこだけは同意する。
「そんなことないッスよー。そういや沖田さんは?」
「……姉貴が熱出しちまったらしい」
「あの人が」
 山崎は激辛雑炊の味と優しい眼差しを思い出しながら眉を寄せた。
「なんだ。お前、ミツバ殿のこと知ってんのか」
 藤堂の問いに頷くと、何故か頭をバシバシと叩かれた。結構、痛い。
「稽古が終わったら見舞いに行くつもりだったんだが、凹助も来るか」
「あ、行く行く。トシさんは?」
「とっつぁんに呼ばれてるからパス」
 土方がそっけなく返事をすると、藤堂はニヤニヤしながら土方の肩に腕を回した。
「冷たいッスねェ」
「うるせーよ」
 土方はその腕をすげなく振りほどいた。
「稽古になんねーようだし、そろそろ行くわ」
 土方の言葉に改めて辺りを見回すと、稽古というよりも喧嘩という言葉が相応しいような有り様だった。騒がしいとは思っていたが、何がどうなればここまで混沌とした状態になるのだろう。
「止めなくていいんですか?」
 先ほどと同じ問いを、半ば投げやりに問いかけた。
「なあに、いつものことだ。ほっとけほっとけ」
 これが普段通りというのも如何なものだろうか。山崎は諦めに似たため息をついた。
「ああ、そうだトシ。こいつもとっつぁんのとこ連れてけ」
 突然近藤に肩を叩かれ、山崎の思考が停止した。
「ついでにこれからのことも話してやってくれ。じゃあ、任せたぞ」
「ちょっと待ってくれ近藤さん!アンタまさかこいつを連れてく気じゃ……」
「なかなか見込みのあるやつだと思ってな。じゃあ、任せた」
 何がなんだが分からないまま、厄介なことに巻き込まれている気がするのは気のせいだろうか。
 山崎は頭を抱えた土方の隣で、ただポカンと立ち尽くすことしかできなかった。



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