※2011年の春インテ用に書いた山崎話。過去捏造
わくらば
それは時代だったからとしか言いようがない。五つの時に戦火で焼き出され、家も家族も失った子どもが、どうしてまともに生きていけよう。生きていれば腹は空く。その辺の食べ物と言ったって、草木すら焼けた所に何がある。
だから山崎は街へと降りた。街へ降りて店頭の商品をかすめ取ったり、間抜け面の裕福そうな奴らから財布をかすめ取ったりもした。この7年ほどそうやって生活してきたし、きっとこれからだってそうだろう。
その日もいいカモがいた。ゴリラ顔でがっしりとした風貌をしているが、頭の方は鈍そうだ。雰囲気で浮ついているのが分かる。ここからは色街も近いし、女でも買いに行くのだろう。ああいう輩は盗まれたことすら気づかない手合いが多い。
先回りして正面から近づく。ふらふらとよろけたふりでぶつかると、面白いほど簡単に財布が抜き取れた。
「おお、大丈夫か?」
「あ、大丈夫です」
心配そうに覗き込んでくる男が気づいた様子はない。
――ちょろいな。
せいぜい店であたふたすればいい。山崎は何食わぬ顔で角を曲がろうとした。その時だった。
「おい」
肩を強く引かれ、呼び止められた。かと思うと、次の瞬間には視界が反転し、激痛が走った。
意識を失う前に視界をかすめたのは、高く結われた長い黒髪と瞳孔の開いた鋭い眼光だった。
*** 次に目を覚ました時、山崎の視界には広い天井が広がっていた。
「あら、気がつきました?」
枕元で柔らかな声が響き、視界には天井の代わりに栗色の髪をした女性が入り込んだ。
「大丈夫ですか? 起きられます?」
心配そうに覗き込む彼女をぼんやりと見つめながら、山崎はなぜ自分がここにいるのか記憶の糸を辿った。
確か、頭を振ったらカラコロと音のしそうな男から、財布を擦ったのだ。仕事は上々。その後に誰かに呼び止められた。
――ああ、そうだ。
その後すぐに殴られたのだ。山崎の体は宙を舞い、そこから先は覚えていない。
「っ、そうだ財布!」
思わず飛び起きた途端、右の足首辺りが悲鳴を上げた。見ると濡れたタオルが置かれている。手当てしてくれたのだろうか。
「まだ起き上がっちゃ駄目ですよ。ヒビは入ってないみたいだけど、挫いてるみたいだから」
彼女の言葉などお構いなしに、山崎は半身を起こして体中をまさぐった。少し体がきしんだがそんなことは気にしてられない。
懐にしまったはずの財布はどこにもなかった。落としてしまったのか、はたまたあの男に盗られてしまったのか。恐らくは後者だ。これで飯にありつけると思ったのにツイていない。
「どうしたんですか? 突然、踊り出して」
この女にはこれが踊りに見えるのか。山崎は半ば八つ当たりで自分を見上げる女を睨みつけた。そこでようやく、自分が見覚えのない一室にいることに思い至った。
「あの、ここ……」
「近藤さんのおうちです。私、びっくりしてしまって。突然、十四郎さんたちがあなたを連れてきたんですもの
」
――コンドウさん……トオシロウさん……。
どちらも聞き覚えのない名前だ。
「2人とも、まだ道場にいると思うんだけど。呼んできますね」
彼女が腰を上げるのと同時にバタバタと騒がしい足音が辺りに響き渡った。
「ミツバ殿! 奴の調子はどうですか」
足音の主によって、潔いほどスパンッと障子が開かれた。
「お、何だお前、目ェ覚ましたのか。いやぁすまんかったなァ。トシはすぐに手が出るから」
そう言って乱暴に山崎の髪を掻き回したのは、山崎が財布を擦った張本人だった。ミツバというのは、彼女のことらしい。口元に手を当ててクスクスと笑っている。
いまいち事態が飲み込めずに硬直していると、ゴリラ顔の男が障子の方を振り仰いだ。
「ほら、トシ! お前も入ってきて謝れって」
そう促され、渋々といった様子で部屋に入ってきたのは、長い黒髪を高く結んだ目つきの悪い男だった。
「お前っ」
見覚えがあるなんてものではない。意識を失う直前に見た、忘れたくても忘れられない輩だ。
「オレの財布返せ!」
「テメーのじゃねェ。近藤さんのだ」
トシと呼ばれたその男は、全然懲りてねェなと吐き捨てて額に血管を浮かばせた。
「おいトシ、落ち着けって」
「あのなァ、あんたもなんでわざわざ自分の財布盗んだガキなんかを連れてくんだ」
「そりゃトシが意識飛ぶまでぶん殴ったからだろうが」
反論出来ないのか、長髪の男は口をへの字に曲げてそっぽを向いた。
「それにしても派手にやられたな。目のとこ痣になってるぞ」
近藤は山崎の目の辺りを優しくなぜた。触れられた部分が少し痛い。
それにしてもこの男は、自分をスリと知った上で連れてきたのか。山崎は内心、舌を巻いた。底抜けのお人好しか、それとも器の大きな人間か。前者ならばそれは世間一般でいう阿呆だ。
「腹は減ってないか? 饅頭があるんだ」
近藤が懐から取り出したのは、数日ぶりの食料。山崎はそれを見た瞬間、ひったくるように受け取った。
「なんだ、そんなに腹減ってたのか」
「あらあら、それじゃあお昼の残り持ってきましょうか?」
地獄に仏とはきっと彼女のことを言うのだろう。ミツバの言葉に山崎は全力で頷いた。
「じゃあ取ってきますね」
柔らかい笑みを残して、ミツバは部屋を後にした。
「オイ」
彼女の姿が見えなくなると同時に、黒髪の男が山崎を睨みつけてきた。
「さっきみたいに余計な真似したら、次は容赦しねーからな」
「トシ」
窘めるように近藤が名前を呼ぶ。だが土方は逆に近藤に噛みつかん勢いでまくし立てた。
「これからなんだ、近藤さん。こんな所で何かあったら……」
「だったら余計にこんな所で見過ごす訳にゃいかんだろう。困ってる奴では誰だろうと手を貸す。それが俺たちのこれからの役目だ」
山崎はペロリと手を舐めながら2人を見上げた。何の話をしているのかさっぱりだが、何かしら偉い人物だろうか。
――困ってる奴とか言ってるから、町方同心?
見た感じただのごろつきにしか見えないが。
「お前、名前はなんて言うんだ?」
「……やまざき……やまざき、さがる」
「そうか山崎か。俺は近藤勲。で、こっちは土方十四郎。さっきの美人さんは沖田ミツバ殿だ。足は大丈夫か?治るまではうちにいてくれていいぞ」
「近藤さん!」
土方が噛みつくように叫んだが、諦めたのか何も言わずに山崎を睨んだ。思わず体がすくむ。
「他にも色々と面白い奴らがいるんだが、おいおい紹介するさ。まあ、今回はトシのせいで怪我したようなもんだし、しばらくトシに面倒を見てもらえ」
「はァ!?」
山崎と土方の声が綺麗なハーモニーを奏でた。そんなもの奏でたくもないのだが。
こんな無愛想で乱暴な男に面倒を見てもらったら、更に傷を増やすことになりそうだ。
「よし、じゃあ決まりだ」
嫌そうにお互いを睨み付け合う姿が、近藤には見えないのだろうか。パタパタとこちらへ戻ってくるミツバの足音をBGMに、山崎は頭を抱えた。