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思いがけないウィークポイント

 安西監督のかつての教え子だという海南大女子バスケ部のレギュラー部員・飾利紗夜が、湘北高校バスケ部の臨時コーチを務めるようになってから、およそ一ヶ月が過ぎていた。

「宮城くん、ナイシュー! よく決めたね! 桜木くんのディフェンスも惜しかったよ、次はもうちょっと腰落としていこう」
「ウッス」
「ぐぬぬ……」
「はい、チーム交代して、もう1ゲームいくよー!」

 ホイッスルを天井高く響かせながら、彼女はテキパキと、それでいて穏やかに部員たちへ声をかけていく。その後ろでタオルやドリンクを準備しつつ、晴子と彩子は惚れ惚れとその後ろ姿を見つめていた。

「飾利コーチって、本当に練習仕切るの上手ですよね。かっこいい……」
「わかるわ晴子ちゃん。最初に女子大生のコーチが来てくれるって話を聞いたときは、あの問題児軍団が素直に従うかだいぶ心配だったけど、初日でとんだ杞憂に終わったもの」
「ホッホッホ。飾利くんから久しぶりに連絡をもらったとき、ふと思い立ってお願いしてみて本当に良かったですよ。あの強豪、海南大女子バスケ部の第一線で活躍する彼女の指導が、今の湘北にはとても良い刺激になると思いましてね」

 どこか誇らしげに二人に語りかける安西の表情は、いつになく明るい。かつての師として、部員たちとはまた別の視点から、彼女の仲間入りを喜んでいるようだった。

「……、よし、全員揃ってるな。今日の練習はこれで終わりだ! この後自主練やるのはいいけど、明日に響かないよう程々にしとけよ! ……それでは、安西先生、飾利コーチ、本日もありがとうございましたァ!」
「「「ありがとうございました!!」」」

 キャプテンの宮城が気合いのこもった号令をかけて礼をすると、他の部員たちもぴしっと姿勢よく後に続いた。彼らが深く下げた頭の先で、安西と紗夜は、部員一人一人を心から労うように、それぞれ優しい笑みを浮かべていた。

「ホッホッホ。今日もご苦労様」
「皆さん、お疲れ様でした! 私はもう少し残るから、何かある人はいつでも声かけてくださいね」

 紗夜は、その言葉どおり、その後もしばらく何人かの部員の個人練習に、熱心に付き合っていた。
 やがて、ほとんどの部員が帰った後、なおも黙々と自主練を続ける流川のもとへ、歩み寄る。

「お疲れ様、流川くん」
「……うす」
「自主練中にごめんね。まだ、私が湘北のコーチにならせてもらってから、流川くんとだけ、あんまり話せてないなと思って」
「はぁ」

 紗夜は、相手の出方を伺うように、控えめに微笑む。一方の流川にとってみれば、小さい頃からこの気質なわけで、その手のアプローチは、これまで色んな指導者から受けてきたことがある。ああまたか……と若干表情を曇らせた。

「……あのね、流川くんに一つだけ確認させてほしいことがあって」

 無口な流川に合わせるように、紗夜は少し声のトーンを落としてゆっくり話す。流川にはその気遣いまで正確に汲み取れた訳ではないが、どこか心地良さのようなものを感じた。

「突然コーチになったからって、よく知りもしない相手から、自分のプレイにあれこれ口出しされるのは……嫌じゃない、かな?」

 彼女は、無用な回りくどさは選ばず、正面から直球で問いかけた。そして、それを受けた流川は瞬時に強く思う、決してそんなことはない、と。彼女は同時に多くの部員の練習を見ていながら、それぞれへ投げかける言葉は、いつも的確かつ簡潔であった。
 流川は過去に、くどくどと話が長いくせに根性論や精神論しか言わないような指導者に何度も当たってきたこともあり、彼女との数少ない接点であるそのポイントを、密かにとても高く評価していたのだった。

「嫌じゃない、す」
「! そう、良かった〜。そこが流川くんにとってクリアできているなら、無理に話をする必要はないと思ってるんだ。ありがとう」

 ほっとしたように彼女は胸を撫で下ろし、そう言った。流川は、その言葉の意味を一瞬では理解しかねたが、つまるところコミュニケーション至上主義の指導方針では全くないということだろう。それは流川にとって実に有り難いことだった。きちんと相手の人となりを見定めた上で指導方法を考える、当たり前のことのようだが、実践できる指導者は決して多くないことを流川は知っている。

「先週、流川くんが宮城くんと1on1していたときに、特に身長差のある相手に対して、ゴール下でのディフェンスのコツを教えたの、覚えてるかな?」
「相手の目線の先を見ること」

 紗夜の問いかけに対し、流川は表情を変えずに即答する。自分の指導を真正面から受け止めてくれている証にほかならないその態度に、紗夜のほうが思わず目を丸くして、笑った。

「……! そうそう! ちゃんと覚えてくれてたんだね。せっかくだから、ちょっと練習してみない? 実践の方が効率いいと思うんだ。私は宮城くんより小柄だしね」
「……あざす」

 流川はこくりと頷いて、スリーポイントラインに佇む紗夜に向かってワンバウンドでパスを放った。つい普段の手くせで、男子部員に対するのと変わらない勢いでパスを出してしまったことに気づき、柄にもなく焦ったが、唯はあっさりとそのパスを両手に収めて、事もなさげに続けた。

「とりあえず5本勝負ね。目線の先を見ることを意識して、オフェンスの私を止めてみて」
「うす」

 ゆるやかにドリブルを始める紗夜に対し、流川は腰を下げて小さく息をついた。
 紗夜はしばらく流川を見つめて機を伺っていたが、不意にゴールのほうを見やり、ドリブルのペースをがらりと変え、一気に切り込もうとした。それを見逃さなかった流川がすかさずカットして、ディフェンス成功。ボールはころころと壁の方へ転げていく。

「そうそう、良い感じ!」
「……目、見てたら、確かにタイミング分かる」
「でしょ! もう少し難易度上げていこうか」

 嬉しそうに練習を再開する紗夜を見ていると、流川も何だか気分が乗ってくる。こうして、強豪の海南大学でレギュラーを務めるほどの一流の女性のプレイヤーと一対一で対峙できる機会は滅多になく、洗練された細かな動きや、体格差を補うための様々なタクティクスは、間近で見ると本当に勉強になる。
 男が持っているときよりだいぶ大きく見えるボールが、白くしなやかな指先に、鮮やかに吸いついては離れる様も、見ていて不思議と心が落ち着くようだった。

 あっという間に4本目のマッチが終わり、今のところすべて流川がディフェンスに成功していた。ラスト5本目、紗夜はボールを小脇に抱えて、スリーポイントラインに立つ。

「ふぅ……! ごめんね、流川君の練習なのに、なんだか私のほうがすっごく楽しくなってきちゃったみたい! 最後の一本、本気出してもいい??」

 いつも部員たちを指導するときに見せる仕切り上手の顔はいつの間にやら消え失せて、幼いいたずらっ子のような満面の笑みに、流川は一瞬狼狽える。高校1年生の流川にとって、大学生というものはほとんど大人といっても差し支えないほど遠い存在に思えて、それは紗夜も例外ではなかった。それなのに、今目の前にいる彼女は、自分のクラスにいても何ら違和感がないような、自分と近い存在のように見えた。

「うす」
「ありがと!」

 流川の返事を聞くと、紗夜は嬉しそうに小走りでコートサイドへ行き、何かと思えばいそいそと長袖のジャージを脱いだ。それを近くのパイプ椅子へ置くと、涼しげな素材の半袖Tシャツ姿になって、戻ってくる。

「いやぁ、これだけ動いてると暑くなっちゃうよね〜。……それじゃ、行くよ!」

 ジャージ一枚分、身軽になった紗夜が、ドリブルを再開して走り出す。先程までの指導者モードとは、明らかに彼女を取り巻くオーラが違うのが分かり、流川も気を引き締めた。
 流川との勝負を心から楽しみながらも、真剣そのものといった、彼女の一流選手らしい見事な表情は、流川の闘志にも瞬く間に火を灯した。自分だって、練習とはいえ、バスケでは誰にも負けたくない。まずはセオリーどおり、相手の出方を伺うように腰を屈めて体を寄せ……

「っ……!」

 その瞬間、流川は予想外の光景に、たまらず視線を奪われた。それまでジャージにすっぽりと覆い隠されていた、彼女の形の良い胸が、その細かな動きまでもが、薄いTシャツ越しにはっきりと見えている。普段の男相手の1on1では、絶対に目にする機会のないものだ。
 本気モードの彼女の動きは俊敏で一切無駄がなく、それ故、ワンテンポ遅れてついていくように、それぞれの乳房が、たゆん、ゆさっ、ぽよん、と……。いったいどんな表現が相応しいのだろうか。
 ひょっとしても、しなくても、彼女は大きい方なのかもしれない。しかし流川には、そんなこと判断できる余裕も知識もなかった。
 元々、一般的な同年代の少年よりは、異性に対する興味が薄いという自覚はあった。そもそも他人にほとんど興味がないので、当たり前のことだ。しかし、そんな流川でも、この想像もできなかった光景には目を瞠るほかない。今までそのような目線で一切見たことがないどころか、ほかでもないバスケの指導者として密かに一目置いていた、飾利紗夜が相手であるということも、要素としてはかなり重要なのかもしれない。
 とにかく、今この瞬間、流川の目の前で、世界中の何よりも柔らかそうな彼女の乳房が、流川を嘲笑って翻弄するかのように、揺れている。そのこと以外、何も考えられなくなった。

 はっと我に返ったときには既に手遅れで、紗夜はガラ空きになっていた流川の脇を華麗に抜き去り、レイアップシュートを決めたところだった。

「やったー! 私の勝ちっ」

 額に汗を浮かべながら、彼女は子どものように無邪気な笑顔で振り返る。自分のように無愛想で表情の乏しい人間に対して、これだけ満面の笑顔を、100%何の見返りも求めず見せてくれる人が存在することに、少しばかり驚いた。
 そして、勝ったと喜ぶ彼女を見ても、不思議と悔しくない自分がいることには、もっと驚いた。それどころか、その屈託のない笑顔に、どこか心が満たされるような気さえしているのだ。一方、拾ったボールを片腕で抱えているから、少し窮屈そうにひしゃげている片胸に自然と目が行きそうになり、ぐっと堪える。
 子どもなのか大人なのか、どっちかにしてくれ……そんな理不尽な行き場のない気持ちを、流川は生まれて初めて覚えていた。

「流川くん、最後の一本、目線の先、見てなかったでしょう? 油断したね?」
「いや、あれは、違……」

 とっさに弁明を試みるが、まさか真実を話せるわけもない。不本意ながら、結果的に口をつぐむほかなかった。

「気に病む必要は全然ないよ。誰だって最初から完璧を目指すのは難しいから、少しずつ意識してみてね」
「……うす」

 そんな流川の反応を気遣ってか、紗夜は一つ一つ言葉を選んで、優しい口調で語りかけた。流川は、彼女の優しさには何となく気づいた上でなお、本来の自分だったら、というか男が相手だったら、あんなミスは起こりえなかったのに……という複雑な思いを言外に込めながら、小声で応じる。

「飾利コーチ、すみませーん!! ちょっとこっちでシュート練見てもらえますかー!?」

 と、体育館の向こう側から声を張り上げて紗夜を呼ぶのは、ここ最近めきめきと実力を伸ばしている、桑田の声だった。彼女は「はーい! 今行くねー」と負けない元気な声量で返事をした後、流川の方を振り返る。

「それじゃ、流川くん。そろそろ体育館が閉まる時間だし、徐々にクールダウンも始めておいてね。お疲れ様」

 今日一日、全体練習と個人練習に全力で打ち込んだ流川を労るように微笑んで、紗夜はそのまま桑田の方へ駆けていこうとした。流川はたまらず、ぎょっとする。薄いTシャツ1枚の自身の姿が、年頃の男子高校生たちの目にどう映るのか、どうやらあまりちゃんと自覚していないらしい。柄にもなく他人のために焦った流川は、咄嗟に、彼女を呼び止めた。

「……、コーチ! ……そこ、ジャージ、忘れてる」
「あっ、本当だ! ありがとう。皆に体冷やさないようにって、いつもあれだけ言ってるのにね」

 ばつが悪そうに笑ってお礼を言いながら、彼女は従順にジャージを羽織って前を閉めてくれたので、流川は仏頂面の下で人知れず安堵していた。あんな刺激的な格好で動き回られるのは、危なすぎる。オレ以外の他のどあほうどもに見られる訳にはいかない……などと思いを巡らせ、自分のことはちゃっかり棚に上げていた。

 ジャージを着た彼女は、コートの向こう側で早速、桑田のシュートフォームについて、身振り手振り、時に笑顔やジョークを交えて、アドバイスをしているようだった。こくこくと頷きながら、時に質問を挟んだりもしている桑田の表情は、真剣そのものだ。誰がどう見ても、流川よりも桑田のほうが指導のしがいがある生徒だろう。たったそれだけのことなのに、今まで欠片も気にしたこともなかったのに、どうにも面白くない。

 彼女は湘北バスケ部みんなのコーチなのだから、自分以外の部員にも、自分と同じぐらい真摯に、優しく、笑顔で接するのは、当たり前のことだ。そんなこと、頭では、分かっている。
 それでも流川は、胸の奥が、なんとも形容しがたい、嫌な感じにざわつくのを感じていた。
 そんな知らない感情を振り切るように、練習の最後を締めるべく、力一杯、ゴールポストにダンクを叩き込むことしかできなかった。


読んでくださり、ありがとうございました♪
流川推し歴●●年、人生レベルで遅筆を極める私ですが、ついに流川夢を書き上げることができました!やったー!
男子高校生なので、彼もおっぱいには逆らえない(と私が嬉しいな)。。。

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