main | ナノ


-----main-----



5.逆さま夢物語

こうして、非日常の一週間はジェットコースターのように慌ただしく過ぎていき、気づけば今日が最後の火曜日の朝となっていた。

当事者のナックルも、トリップの期限が切れる正確な時刻までは解らないらしく、私たちは先に準備やお別れを済ませることにした。格式ばったムードは三人ともあまり好きではないので、あくまでフランクに、これまでの感謝をお互いに一言二言で告げる程度のものだ。
それから、いつ戻ることになってもいいように、二人はこちらの世界に飛んできたときと同じ格好をし、持って帰るべき荷物はあらかじめ手元に置いている。

そんな二人に、私から、出過ぎた真似だとは思いつつ、白と紫のミサンガを贈った。実は密かに編んでいたのである。

「ミサンガ、って何だ?」
「簡単に言うと、お守りだよ。手首とか足首に結んで着けておいて、自然に切れたときに願いが叶うの。さらに、切れた後のミサンガもなくさないで保管しておくと、より御利益があるんだって」
「なるほど……どんな願いをかけたんだ?」
「もちろん、二人がずっと元気にハンター活動を続けられますようにっていうお願いだよ。……あの世界、危険なことがたくさんあるから。私がお願いしたところで大して変わらないかもしれないけど、結んで帰ってほしい」
「つまり、げん担ぎって訳だな。ありがたく使わせてもらうぜ」

ナックルは手首に、シュートは足首に。それぞれ受け取ってすぐに結んでくれた。

「逆に言えば、これがいつまでも切れずに着いていたら、早死にするということか?」
「あっ……! ま、まあそんなに頑丈な作りじゃないし、大丈夫だと思うんだけど」
「シュート、お前どんだけ空気読めねェんだよ」
「……ふ、冗談だ」
「えぇ……解りづらっ」

私が思わずそうこぼすと、たまらず三人で顔を見合わせて笑った。

この一週間の間に私が何より思ったのは、意外にも私はこの二人と気が合うということだ。この漫画に登場するキャラクターは、ご存じのとおり、やたらと個性的だったり、頭のネジが一つ二つぶっ飛んでいたり、そもそも人間ではなかったりして、私のような凡庸な人間と気が合いそうなキャラクターなんて、本当に数えるほどしかいなかった。ナックルとシュートのファンである私でさえ、二人を気が合いそうなキャラクターだとは全く思っていなかった。
これは、ほんの短い期間であっても一緒に過ごさなければきっと解らない、重大な発見だろう。
おかげで、私は二人のことを、今までよりもっともっと、好きになってしまった。
三次元の男性にいよいよ興味が持てなくなってしまいそうで、少しばかり怖いぐらいである。

そして、もう一つ思うこと。この世界と、二人が帰るあちらの世界は、どっちが本物なんだろう、という問題だ。
あくまで、私たちから見れば、ナックルとシュートが帰る世界は、漫画の世界だ。その考えは必然的に、私たちの世界の方が優位に立っているという意識に基づくものである。
しかし私は、今となっては、二人を、単なる(というと語弊があるかもしれないが)漫画の登場人物に過ぎない存在だと、とても思えなくなっていた。今こうして私が色々な思い出を振り返っている間も、二人は私の目の前で、ああでもないこうでもないと言い合いながら、おとといオカルト展で撮った三人の記念写真について話している。こうしてちゃんと、存在しているのだ。手を伸ばせば、直接触ることだってできる。写真にだってしっかり写る。

だからきっと、どちらも本物だ。
だからこそ、ナックルもシュートも、自分たちはこの世界では漫画の登場人物なのだということを知ったところで、少しもショックではなかったのだろう。
それ以上のことは、いくら考えてもよく解らないし、きっと解らなくていい。哲学は学生時代から苦手だ。目に見えないもののことをあれこれ夢想し検討するのは、想像力の足りない者には難しい。
それより私は、今ここにある現実を、私の中に確かに存在する記憶を、何より大事にしたいと思った。二人が腕によりをかけて作ってくれたご飯の味。アニメで聞くよりも遥かに臨場感のある二人の声。主任から私を守ってくれたナックルの男らしさ。キッチンで滑った私を支えてくれたシュートの力強い手のひら。いつも私に『ありがとう』と向けてくれた笑顔。どれも、私の宝物だ。紛れもなく、全て『本物』だ。フィクションの一言で片づけるなんてことは、今となってはもう出来ない。
だから、この先この漫画の続きが永遠に描かれなかったら彼らがどうなるのか、なんて恐れる必要はないのだ。ナックルとシュートがいる世界も、私たちの世界と何ら変わらない本物の世界として、今日も明日もずっとずっと、ちゃんと続いていくに違いないのだから。あとはそれを、こちらの世界に住む件の作者が、どこまで私たちに伝えてくれるか、というだけの話なのだ。

「「っ!」」

そのとき、記念写真についてあれこれ言っていたナックルとシュートが、同時にうめくような声を上げた。

「、どうしたの、二人とも? どこか痛いの?」
「大丈夫、全然痛くねェよ。どうやら、そろそろ時間切れみてェだ。ポットクリンのコールが頭の奥で聞こえてきた」
「オレもだ」

次第に、二人の周りの空間が歪み始めた。私の部屋の中のはずなのに、上手く眼の焦点が合わず、彼らの周りだけが、違う世界のように見える。やがて、そこだけ切り取ったように、緑色の森の光景がはっきり見えてきた。

「そう、なんだね……」

ついに来てしまった、別れの瞬間。覚悟していたとはいえ、あまりにも突然で、何と言っていいのか解らなかった。ただ、何かの拍子にリミッターが外れてしまったように、涙が溢れて止まらなくなった。可愛げのある気の利いた言葉なんて、これでは出てくる訳がない。笑って見送ろうとずっと決めていたのに、笑顔なんてちっとも浮かべられない。どうしたらいいのか。

「おめェ、今の顔ひどいぞ。今日は仕事休んだ方がいいんじゃねェか」
「う、そ……そんなに?」
「ふ、そうだな。後で鏡を見て判断するといい」

「逆さま夢物語(トリップ・イリュージョニスタ)!」

二人のさりげなく残酷な言葉の後で、高らかに響く男の声が聞こえる。きっと、ナックルとシュートをこの世界に飛ばした張本人の声だろう。正確な理屈は不明だが、おそらく今、ナックルとシュートが向こうの世界に帰るために、一時的に二つの世界はリンクしているのだろう。彼が叫ぶ「逆さま夢物語」とはきっと、相手を別世界に飛ばすことができる念能力の名前だ。

風を切るような音が部屋中に響いて、思わず耳を抑えた。まともに立っていられなくなる。

それでも、とにかく、最後にちゃんと届けたい。渇いた喉を引き裂くように、私は声の限り叫んだ。

「ナックル、シュート、本当にありがとう!」

ちゃんと、届いているだろうか。伝わっているだろうか。トリップは、始まってしまえばあっという間で、二人は、森の中に吸い込まれていくようにして消えていく。

「二人のこと、この一週間のこと、私、絶対に忘れないよ!」

振り返った二人が、最後に笑って頷いたのが見えた。

***

以上で、彼らの話は終わりである。言いたいことも言いたくないことも、全てこれまでの話の中で散々言ってしまったので、今更新たな話など、何もない。期待してくれた方、申し訳ない。それでもあえてひねり出して言うのであれば、今の私には、大変おこがましい願いが二つある。一つは、いつか、私の渡したミサンガを着けた二人の姿を、見てみたい。もう一つは、この日記でもなく備忘録でもなく伝記でもない、拙い手記を最後まで読んでくださった皆様が、これを読む前より少しでも、二人のことを好きになっていただければ――と、切に願っている。

←前の作品 | →次の作品


トップ : (忍者) | (稲妻) | (スレ) | (自転車) | (その他) | (夢)

いろは唄トップ
×
- ナノ -