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気づいて、気づいて、気づかれて(1)

 
 かつて、久遠冬花には幼い頃の記憶が無かった。“憶えていない”という感覚は何より自分自身が一番よく解っているのだから、その疑いようのない事実に常に着いて回る、“皆が当然に持っている物を自分は持っていない”という拭いきれない自己否定の思いは、いくら父が必死で取り去ろうとしてくれても、心の奥底から消えることはなかった。普通に暮らしていれば、他人が彼女の記憶喪失に気づくことなど、まず有り得ないと言っていい。記憶喪失者だからといって外見に特別な変化が現れる訳ではないし、そもそも特有の特徴なんてものは最初から存在しない。そんな客観的事実は百も承知で、それでも冬花は、自分の記憶喪失が何らかの形で外部に露呈することを、ただひたすらに恐れながら生きていた。
 その結果、明るかった彼女の口数は極端に減り、親しい間柄の友人というのも、居なくなった。そして冬花は同時に、相手が自分の記憶喪失に気づいた素振りを見せることへの恐怖に常に苛まれていた。いつしか彼女は、他人の些細な感情や振る舞いの変化に、極めて敏感になっていった。

 そうして身に着いた彼女の敏感さは、晴れて記憶を取り戻した後も、そう簡単になくなるものではなかった。むしろそれは、選手の変調にいち早く気づくことを求められるイナズマジャパンのマネージャーとしては、必要な感性だともいえる。ある日、そんな冬花の瞳に不意に留まったのは、鮮やかな青い髪の少年だった。

「……風丸君?」

 チーム内での練習試合で、親友・円堂とのチームワークを遺憾なく発揮し、ディフェンダーでありながらロングシュートを決めた風丸一郎太。

「今のシュート、本当にすっげーな! 風丸!」
「お前のパスがあったからだよ、円堂。鬼道もナイスアシストだ!」

 円堂らチームメイトと共に喜びを分かち合う彼の爽快な笑顔は、端正な顔立ちとも相まって、眩しいほどの輝きを放っている。だがその笑顔の中に冬花は、一抹の闇を見た。ほんの僅かでしかなかったけれど、それでも彼の瞳の奥には確かに、陰があった。程度はどうあれ、その陰の存在は、冬花の心に見過ごせない大きさの波紋を広げるには、十分過ぎるもの。
 イナズマジャパンのメンバーたちはマネージャーも含めた全員が、常に努力し続け、晴れ晴れとした表情を浮かべる者ばかりだったのだ。だからこそ、輝く皆の笑顔ばかりが映る冬花の視界の中で、微かにでも悲哀を内に秘めるその表情は、あまりに目立った。

「風丸君……何だか、寂しそう……」
「え? 風丸君が?」

 コート脇のベンチで、休憩中に配る予定のタオルを秋と準備していた冬花は、その瞬間、思わず口に出さずにいられなかった。その呟きに、意外そうな反応で答える秋は、そんなこと思いもよらないという表情。

「うーん……少なくとも私には、皆と変わらず、楽しそうにプレイしてるように見えるけど」
「えっと……私から見ても、楽しくなさそうっていう訳ではなくて、でも……」

 懸命に説明しようと思ったのだけれど、続きが上手く言葉にならなくて、冬花は仕方なく口を噤んだ。それにしても、中学生顔負けの気配りの細かさを誇る秋でさえ気づかなかった領域に、今自分は足を踏み入れかけているのだと冬花は今更ながら震える思いがした。
 しかし、知ってしまった以上、見て見ぬ振りをする訳にはいかない。選手の悩みの解決を共に試みるのはマネージャーとしての重大な役目であると、冬花は風丸の陰について探ることを決心した。

「アキさん」
「?」
「風丸君は確か、元々は陸上部で、人が足りなくて困っていた守君のために途中からサッカー部に入部してくれたんでしたよね」
「ええ。円堂君とは小学校からの付き合いよ。そうして雷門中サッカー部に入ってからは、FFで優勝したときも、イナズマキャラバンで全国を駆け回ったときも、風丸君は私たち皆と、ずっと一緒にいたわ」
「ずっと……ですか。でも、FFIが始まってからに関しては、思い当たる節がないんです。アキさん、どんな小さなことでもいいから、何か心当たりがあれば教えてください。風丸君のことで、私が来る前に起こったことを」

 そう詰め掛ける冬花の眼差しは真剣そのもので、秋は目を逸らすことができなかった。そして冬花は再び、後天的に身に着けることになった、相手の振る舞いに対する人並み以上の感応力を発揮した。秋の視線の微かな揺らぎを捉え、見逃さなかった。


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