冷たい風




 夏も終わり一段と冷たくなった夜風と海から聞こえる波の音が、ガロットとベルホルトの二人を包んでいた。


 掴まれている腕の部分から悪寒がぞわりと広がっていく。夜風が寒いからという訳でもなければ、勿論ベルホルトに掴まれている事が嫌だという訳でもない。今ベルホルトが身に着けている、ガロットが以前誕生日の祝いにと渡した魔除け効果のある銀糸の編み込まれた手袋が原因だった。

 しかしガロットは今そんな些細な事に構っているどころではなかった。



(……主様に、見透かされている。私が路地で蹲っていた事も、明らかに口を閉ざしている事にも疑問の声を欠片も上げないのが証拠だ)



 少なくともあの女が私なのであろうという事は感の良い己の主の事だ。推測されているだろう、とガロットは目の前に佇むベルホルトを見下ろす。困ったように柳眉を下げ、柔らかな笑みを浮かべていた。
 ここ最近、よく見掛けるようになった表情だ。その表情はガロットの目には酷く辛そうに映る。


「……悩んでいることがあるのなら、伝えて欲しい。ガロット、私は君の主である前に、もっと近しい存在になりたい…」
「………主様……」


 そう告げるベルホルトの言葉は優しく、優しくガロットの胸の中に落ちて広がっていく。
 その従者に向けるようなものではない優しさに、いっそ全てを投げ捨てここで泣いて縋り付ければどれだけ幸せな事かと思える程だった。


(……主様ならば、全てを受け入れて下さるのかもしれない。しかし)


 ガロットは口を開き、しかし再度閉ざしてしまう。
 その心中にはクリオール家には魔族への酷い差別があるという問題と、ガロット自身が過去、魔族の血を引いているということで当時の想い人に罵詈雑言を浴びせられた事があったのが何よりも引っかかっていた。



 ガロットはベルホルトに己を否定されてはしまいかと、怖いのだ。
 
 ただでさえ今までもう二十年以上、ベルホルトが産まれる前からひた隠しにしてきた事だ。それだけでも後ろめたいというのに、それを告白したことで真正面からベルホルトに否定の言葉を投げつけられたらそれこそもう立ち直れないかもしれない。

 それになによりもまず正体が判明すれば、ガロットがクリオール家の敷居を跨ぐことなどもう二度と出来なくなるだろう。








「……ガロット……?」




 ベルホルトの不安げな呼びかけに、ガロットの意識が一気に引き戻される。






 そう、あれこれと考えたところで最早今のガロットに逃げ場はないのだ。




 ガロットは意を決してベルホルトの手をそっと握り、己の胸元へと引き寄せる。その腕には先程魔力を失った腕輪がふらりと悲しげに揺れていた。
 もう片方の空いている手に着けていた手袋を咥え取り去るとそのまま手袋は地面に捨て、ガロットは素手でその腕輪に触れる。そして暫くすると魔力を取り戻した腕輪に光がまた灯り始めた。
 ベルホルトが僅かではあろうが視界を取り戻し、目を丸くしてガロットの顔を見上げている。かちりと互いの視線が合った。
 今度は先程とは違い、確かに己をベルホルトの金の瞳が捉えているとガロットは判断した。その眼は酷く困惑で揺れていたのはそっと見えていないフリをして。


「ガロット……君が、どうしてこんなことをできる……?」
「……主様、こちらを」


 動揺を隠せないでいるベルホルトの問い掛けには返答をせず、ガロットは大切なネクタイピンを外し、未だに掴んでいた贈り主の手にそっと握らせる。
 一瞬その手が強張ったように思えたのは、自惚れだろうか。


「……ガロット、君はまだ、私の問いになにひとつ答えていない……」
「主様、良いですか?剣の鞘をお握り下さい。何があっても対処出来るように」
「……何、を……?」

 
 ふわりと、諭すようにガロットが微笑む。もしかすると真正面でこのような笑顔を見せたのはこれが初めての事かもしれない。
 思考が追い付かず体の動かないベルホルトに代わり、ガロットがその手に鞘を握らせる。いざとなれば武をその身で学んでいる主の事だ、反射的に動くであろうとガロットは判断したのだ。


「ガロット……!」
「良いですか?けして、目を離さないで下さい」


 ベルホルトの焦りに反比例して、ガロットは何故かいたって落ち着いていた。長年抱えていた荷を投げ捨てると決めた途端こんなにも気持ちが軽くなるものなのかと内心苦笑する。あぁいっそ行った事のない魔界とやらに向かってみるのもありなのかもしれない、とガロットはぼんやりと思った。




 そして不意に、一陣の風が吹き抜ける。
 咄嗟の出来事にベルホルトは思わず目を閉じてしまった。慌てて目を見開くとそこには、暗闇だというのに己の手元の腕輪以外に灯りがひとつ、ぼんやりと紅く発光していた。足下に、普段ガロットが愛用している眼鏡が落ちている。




 魔力に満ち溢れ灯る、鉱石のような紅い角。

 
 羽ばたかせるだけで強い風を巻き起こすような、大きな紫の翼。


 揺れ動く、長い尾。



 そしてにたりと笑うその顔は、変わらないのに明らかに何かが違って見えた。



「主様、これが貴方様の知りたがっていた私の正体でございます。私は魔族と人間の混血。人を惑わす魔。クリオール家に居てはならぬ存在。あぁ、それでもこんな私に『近しい存在になりたい』とおっしゃって下さいますか?そして、またそのネクタイピンを、私に着けて下さいますか?」



 目の前で、ただただ呆然と立ち尽くす主に、ガロットは悲しく笑って見せた。






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(るる様宅に移動します)












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ベルホルト様(@lelexmif)お借りしました


2015/09/22


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