分水嶺2






 





















どうしてこんなことになってしまったんだろう




消えた筈の灯が点り、ガロットの背中に巨大な羽根を映した。それだけではない、角、尾、それから、彼の表情とは到底思えない、悪魔の様な微笑み―――――
それは、ベルホルトが生涯で最も近づいてはならない種であった。それが、まさか、側近に居ようとは。やっと彼が好きなのだと、気付くことができたというのに、こんな顛末になろうと誰が予想したことだろう。


『人を惑わすもの…』
『こんな私に近しい存在になりたいと仰って下さいますか?』
そしてあの唯一たる証を、授けてくれるのか

ガロットの問いはずるかった。
鞘を握れといい、もう片方にネクタイピンを持たせる。
答えはどちらかでしかないとでも言うように、この身に迫ろうとは
ベルホルトにとっては、許容できない選択だった。右手も、左手も、どちらも震えが止まらない。
不思議なことに、ガロットが怖いとは思わなかった。だが、悪魔という種の性を借りて守るべき民に危害を加えていたのかと思うと、今までの記憶が鮮明に浮かび上がり、相反した感情ばかりが絡み合う。茫然と見上げすぎて渇き始めていた瞼が熱くなり始めて、この後は頭痛がけしかけてくるのだと解った。叫びだしたくなるほどの何かを堪えきれなくてネクタイピンを握りしめたまま口元を抑えると、胃が掴みあげられたかと思う程にぎりりと痛んだ。鞘から手を離すと、カランと音を立てて街道に転がる。綺麗に楕円を描いた鍔がころりと円を描いた。

「……なんで、」

痛みの波が引いたところで、俯きながら絞るようにして声を出した。潮風に煽られ乍らも、その声は彼に届いだろう。
「……なんで、―――――そんな大切なことを、黙っていたんだ」

 言わずにはいられなかった。答えなど初めからわかっているのに
ガロットの立場からして、言えるはずがない。孤児として拾われて、初めから選ぶ権利などなかった男が、自分の居場所を顧みずに打ち明けるはずがないのだ。魔族を嫌悪するクリオール家において、それは絶対の禁忌なのだから。けれど、自分にすら黙っていたという事実が、どうしても許せない。自分にだけは、打ち明けてくれたって良かったはずだと、子供のように溢れ出てくる癇癪の折り合いがつけられなかった。
 脳裏で蘇る、庭先での記憶。胸元に指を突きつけられ、父に言われたのは「驕り」の一言だった。言葉の通り、驕っていたのかもしれない。良かれと思ったことすべて、望まれていなかったんだろうか。けれど、差し出されたネクタイピンは、突っ返された訳ではない。選択権は、こちらに委ねられているんだろうか?それともただの皮肉か。
 問うたというのに答えが返ってこない。顔をあげることができずにいつまでも俯いているからだろうか。けれどあまりにも酷い顔をしていて見られたくない。そのまま黙っていると、ガロットの悲しげな表情が色濃く写った様な声が降りてくる
「……申し訳、ございません。」
 何と言葉を繋いでいいのか、どう伝えたら良かったのか、わからないような困惑具合を滲ませたつぶやきだった。そのまま息を飲んで何事か伝えようという意思を汲み取れたが、それよりも先にカっとなり自分の拳を止めることができなかった。思い切りガロットの頬に右拳を叩き込む。ガロットは避けることをしなかったが、聖族の末裔とはいえ、腕力は人並みの男の拳などで、傾倒するはずもない。手袋を脱いだ手のひらでそっと赤みを抑えようとしていた。
「こんな狼藉が何度も通じると思うな!!」
 力一杯殴った後に見せるのは、酷い泣き顔だった。21歳にもなって子供のように大粒の涙を落としながら、前屈むガロットを見下ろし、次にはその胸ぐらを掴んで歩道の柵に背中を打ち付けた。ガロットの羽がばさりと前に折られ、まるで姿を隠す檻の様に包まれる。無理やり顔を持ち上げて目を合わせると、彼の赤い瞼に映る自分の顔を見つけた。激昂しているが潤んだ瞼、歯を食いしばっていてその先の言葉が出てこない。いや、言葉に詰まっているから嗚咽を堪えるしかなかった。何かを言おうとして、けれど何かを告げることもなく、ガロットの肩に額を押し付けてすすり泣くことしかできなかった。
「ばかもの、」と消え入るような声で漏らしたのを最後に、潮風だけが吹き抜けていく。


 Yesともnoとも言わず、答えることもないまま、時間だけが過ぎていく。時計の針は日付を跨ぎ、海岸線を彩る街の灯りも消えていく。海沿いだからなのか、さっきから虫一匹姿を見せない。月だけが男二人を見下ろしている。
「帰ろう、ガロット」
 潮風が止んだ一瞬の合間に、それまで黙っていたベルホルトは口を開いた。
「私たちの家に帰ろう。シャンを待たせすぎている……。」
 柵の根元に腰を下ろしたガロットの膝の合間に収まり、肩に寄せていた額を離す。だいぶ気分が落ちついて、冷静に話せるようになってきた。掴んでいたガロットの襟元を離し、つけていた白手袋を脱いでポケットに仕舞い込む。動きやすくなった指先で崩れた身なりを整えてやりながら、ネクタイの位置を直す。あとは、タイピンを付けてやるだけだが、その手元はもたついていた。
「それは、……私の正体を知っても、そばに置いて下さるということでしょうか?」
 掬い上げられたネクタイの先を指先で撫で、ガロットは問う。顔を上げると、酷く困惑している瞼と視線が絡んだ。
「君が悪魔だろうと…、関係ない…。一緒にいた時間が嘘でないなら…私は自分の言葉を撤回するつもりはない…。」
 一緒に別邸の敷居を跨いだ時から、二人で過ごした穏やかな時間。拠り所は其処にある。彼はいつも支えてくれた執事で、過保護なほどに世話を焼く兄の様で、もっと緊密に、蜜月を迎えられることを、何所かで期待していた。
「君を手放すということが、私には考えられない……。もう、執事だと思って割り切っていない…だから、君がそうやって私に判断を仰いでいる間は、引き離すような真似はできない…。
 けれど、君がもし、……私の伺い知れぬところで罪を重ねる真似をしていたとしたら、」







( 私は、)


それ以上喋るまでには、まだまだ、時間が掛かりそうだった。


Fin,


-------------------------------------------------

いりこ様宅【目の前にいる者は】

画像、父との会話はこちら【ジレンマ】の記憶
http://nanos.jp/passionista/novel/2/22/




[ 12/52 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]


















「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -