星降る夜に君に逢えたら(3)


Chapter3:星降る夜に君に逢えたら


HAYATOのための曲を作る。今回は詞先――歌詞を先に書き、それに曲を付けるやり方で作ることになった。つまり、歌詞ができなければ先に進めない。
そして案の定、一ノ瀬トキヤはその第一関門でさっそく行き詰まっていた。

「HAYATOに向き合うと言ったって……」
寮のベッドに寝転がりながら唸る。思い浮かぶのは兄のハヤトと過ごした日々。
スマートフォンを取り出して、昔の写真を眺める。父が撮ってくれた写真には、満面の笑みのハヤトと、恥ずかしそうに俯くトキヤばかりが写っていた。引っ込み思案だったトキヤの手を、いつだって兄が引いてくれた。兄についていけばそれでよかった。その安心感にずっと甘えていたのだ。

おもちゃのマイクを持って歌うハヤトの写真があった。小さい頃からハヤトは歌うことが好きで、目についた言葉に片っ端からメロディーをのせて歌っていた。お菓子のパッケージに載っている「今だけ20グラム増量!」の文字だとか、パイナップルジュースの側面にある「エネルギー48kcl たんぱく質1g」だとか、道路の案内表示板の「この先3km」だとか、どんなものでもハヤトの手にかかれば歌に変わった。読めない漢字は適当に鼻歌でごまかすから、そのいい加減なところがおかしくて笑ってしまうのだ。

ハヤトの周りには歌が溢れていた。――いや、ハヤト自身が身近なものを歌に変えていくのだ。まるで魔法使いのようだった。
そして、ハヤトはいつもトキヤに手を伸ばす。「トキヤも一緒に歌おう」と笑って。
トキヤは音痴であることを気にして、自分からはあまり歌いたがらなかった。けれどハヤトに魔法をかけられると、自然と歌声がこぼれてくる。ハヤトと一緒に歌うのは本当に楽しかった。ハヤトとなら歌が好きになれた。
そんな兄が誇らしくて、大好きだった。



写真を見ながら思い出に浸っていると、メッセージの通知が画面上にポップアップしてきた。驚きでスマートフォンを取り落しそうになるのをなんとかこらえて、通知に目をやる。
『歌詞まだか』
差出人は四ノ宮砂月。たった五文字の素っ気ないメッセージは歌詞の催促。つい数時間前、顔を合わせてミーティングしたばかりなのにこれである。トキヤは思わずスマートフォンを床に叩きつけたくなった。寸でのところで振り上げた腕を元に戻し、返信を打つ。
『まだです。』
向こうが素っ気ないメッセージを送ってくるのだから、こちらも素っ気なくしてやろう。敢えて短い言葉を送ると、すぐにまた返信が返ってきた。

『遅い もう一週間経つぞ』
『もう少し待ってください。まだ納得がいかないんです。』
『あと何年待てばいいんだよ 亀か?』
トキヤはぴくぴくと顔を引きつらせた。スマートフォンを持つ手が苛立ちで震える。面と向かって貶されるのも嫌だが、こうして文字化されるなおさら腹が立つ。

連絡先を交換して以来、砂月は数日に一回くらいの頻度でメッセージをよこすようになった。案外まめなところがある。しかし素っ気ないのは相変わらずで、原稿を催促する編集者のような文面はもう見飽きたほどだ。気の利いた言葉掛けができないなら最初から送ってこなければいいだろうに。
『亀の方が可愛げがあってましですね。』と文章を打ち込んだが、送信ボタンを押そうとして指が止まる。可愛げがないのは自分の方ではないのか。メッセージのやり取りでさえこんな不毛な言い合いをしていて、何になるだろう。

連絡先を教えろと言い出したのは砂月の方からだった。もともと互いに連絡先を知らなかったのだが、週刊誌報道の一件があってから、半ば強制的に交換させられた。「勝手にいなくなられると困るからな」と余計な一言を添えられて。言い方は癪に障るが、心配をかけてしまったのは事実だ。こうして数日おきにメッセージを送ってくるのも、きっと彼なりの不器用な優しさなのかもしれない。
「…………」
トキヤは少し考えた後、既に打ち込んだ文章を削除して、代わりのメッセージを送信した。

『あなたなら何年でも待ってくれるでしょう?ではまた明日。』


◆◆◆


「……で?まだできてないのか」
「だから待ってくださいと言ったじゃないですか……」
「待つにも限度があるんだよ!」

放課後のSクラスの教室。苛立ちを丸出しにした砂月が、シャープペンシルの先で何度も机をコツコツと叩く。四度目でとうとう芯が折れたが気にする様子もない。
あれだけ威勢よく啖呵を切っておきながら、肝心の作詞作業は完全に行き詰まりを見せている。砂月が苛立つのも道理だ。しかし、有り合わせの言葉を繋ぎ合わせただけの歌詞を提出したところで納得する砂月ではないだろう。
中途半端は許されないし、時間がかかりすぎるのもまた然り。クオリティと締切の折り合いをつけなければならない。デビューを見据えているからには、プロの世界と同じ基準の意識をもたなければならないということだろうが――トキヤが向き合わなければならない問題は、締切に追われたからといって簡単に解消できるものではない。砂月もそれを分かってるはずだが。

「うだうだ悩んでても始まらねえ。とっとと腰据えて向き合えよ。とりあえず一行だけでも書き出してみればいいだろ」
「その一行が書き出せればこんなに悩んでいませんよ……」
これでは堂々巡りだ。砂月がまたシャープペンシルの芯を折った。カチカチと新しい芯を繰り出す。

「ええと、お取り込み中ですか?」
険悪になり始めた空気の中、砂月によく似た声が風のように入り込んできた。二人は同時に顔を上げる。砂月の双子の兄――四ノ宮那月が、教室のドアから顔を覗かせていた。すかさず砂月が駆け寄っていく。
「那月!どうした、何か用か?」
「はい。ちょっとお話がしたくって……」
「分かった。すぐ用意するから待っててくれ」
「あ、いえ、僕がお話したいのは、さっちゃんじゃなくてトキヤくんです」
「はあ?」
「えっ?」

思いがけない言葉に二人は目を丸くした。砂月は、当然自分が選ばれるだろうという期待が裏切られたショックで硬直した。トキヤは、この状況をきちんと把握できずに、そっくりな双子の顔を交互に見比べた。だが那月の言葉は聞き間違えようもない。予想外の指名を受けたトキヤは、「私でよければ……?」と生ぬるい返事をした。


◆◆◆


「いきなり声をかけてしまってごめんなさい。でも、どうしてもトキヤくんとお話したかったんです」
「それは、どうも」
西日が差し込むカフェテラスで、トキヤは眩しそうに目を細めた。眩しく感じるのは西日のせいだけではない。目の前でにこにこと笑う那月がまるで違う世界の生き物のように思えたからだ。
どうぞ、と差し出されたクッキーに一瞬どきりとするが、見た目や匂いからして手作りではないようだ。おもむろに一枚口に入れると、バターの甘い香りが鼻に抜けた。

それにしても何故自分がお茶の相手に選ばれたのだろうか。トキヤの頭の中は疑問符でいっぱいだった。その疑問を見透かしたように、那月はまた笑う。
「トキヤくんは今、さっちゃんと曲を作っているんですよね。順調なのかなあと思って。どうですか?さっちゃんに意地悪されてないですか?」
「意地悪というか、毎日こき下ろされてはいますが……」
「さっちゃん、好きな子のことはいじめたくなっちゃうタイプみたいなんです。あんまりひどいようなら僕に言ってくださいね。ちゃんと言っておきますから」
「はあ……」

好きな子、という部分が引っかかったが、そこを深く突っ込むと墓穴を掘りかねない気がしたので黙っておく。
那月はトキヤを心配しているらしい。一応双子の兄としての役割を果たそうとでもしているのだろうか。それなら砂月とペアを組むことになる前にいろいろ取りなしてもらいたかった気もする。

砂月に意地悪をされていないか、と那月は言うが、那月の「心配」の本質は別にあるのだろう。きっと、トキヤの作詞作業が思うようにいかないことを砂月から聞いているのだ。普段あまり交流のない彼にさえ、こうして心配されている。自分の不甲斐なさに呆れてしまう。
「砂月は言い方こそきついですが、何も間違ったことは言っていません。いつまでも一歩を踏み出せない私が意気地なしなんです。だから作詞もままならない……」
「意気地なしなんて言わないでください。トキヤくんは頑張ってるって、さっちゃんはいつも言っていますよ」
「……本当ですか?あの砂月が?」
「はい!」
満面の笑みで頷く那月がやはり眩しくて、トキヤはまた目を細めた。そっくりの顔かたちをしているのに、表情筋の動かし方はまるで違う。砂月はこんなに柔らかい表情で笑わない。――ただ、一緒にいて安心できる感じは少し似ている。

「さっちゃんはほら、あんなふうにぶっきらぼうでしょう?相手の前だと、素直に褒めたりできなくなっちゃうんです。心で思ってることと、表に出す言葉が食い違ってしまって……だから誤解されることも多いんです。でも、トキヤくんのことだって、僕にはいつも良いところばかり話してくれてるんですよ。……本当に、僕の前では素直なんですけど……」
那月をもってしても、砂月の不器用さはフォローし切れないらしい。懸命に砂月を擁護しようとする様子がなんだか微笑ましくて、トキヤの唇からは自然と笑みがこぼれた。
「大丈夫ですよ、あの人の不器用なところはちゃんと分かっていますから。でも本当にあなたたち二人は仲が良いんですね。喧嘩なんてしたことがなさそうだ」
「喧嘩ですか?確かにしたことがないかもしれません。さっちゃんは優しいし、何か不満があっても、それを僕にぶつけることはしませんから。いつも我慢させてしまっている気がします。……だから、ちょっとトキヤくんが羨ましいです」
思いがけない言葉に、トキヤは驚いて瞬きを繰り返した。那月から「羨ましい」という言葉が出るとは思わなかったのだ。

「羨ましい?」
「だって、さっちゃんはトキヤくんには本音を包み隠さず伝えているでしょう?もちろんそれで喧嘩になってしまうこともあるけど……お互いに遠慮なく、真正面から言い合える関係って、いいなあと思うんです」
砂月に余計な一言を言われたり、正論をぶつけられたりして苛立ったことは数知れない。だが、嘘をついたり誤魔化したりしたことはなかった。当たり前のように、剥き出しの本音をぶつけ合っていた。それがいかに得難い関係かということにまで思い至らなかった。

――そうか、この関係は、「特別」なのか。

そして、トキヤは自分の双子の兄の存在を思い返す。
「一緒に歌おう」と手を引いてくれたハヤト。いつも笑っていた。自分はその手を握り返すだけでよかった。喧嘩なんて一度もしたことがなかった。だけど、もしかしたら、ハヤトにだって兄弟が嫌だと感じることがあったのかもしれない。声を荒げて拒絶したい時だってあったはずだ。
それでも、ハヤトは笑っていた。兄弟が仲良くいられるように。いつまでも一緒に歌っていられるように。時には我慢をして、本音を飲み込んで、誤魔化すように嘘をついて。そしておどけながら笑っていたのだ。

トキヤは、ティーカップの水面に映る自分の顔を見つめた。自分とよく似た顔の双子の兄。ずっと前にいなくなった片割れ。大好きだったという思い出だけを残して。

「……でも私は、喧嘩をしたことがない関係も、素晴らしいと思います。本音を言い合うことだけが正解ではないでしょう。傷つけないように努力し合えるのは、互いが互いを大切に思っているからこそです。私はそう思います」
那月は呆けたようにトキヤを見て、それから二度、三度、瞬きをした。ゆっくりと時間をかけてトキヤの言葉が那月の内側に染み渡っていく。
「……トキヤくんも、優しいですね」
そうしてにっこりと笑った。西日が那月の柔らかな髪の毛に吸い込まれ、きらきらと輝いている。トキヤはまた目を細めたが、今度は那月から目を逸らさなかった。


◆◆◆


夢を見た。子供の頃の記憶だ。

その日は十二月の寒い夜だった。ふたご座流星群が見られるというので今か今かと待っていたら、「明日も学校なんだから早く寝なさい」とベッドに押し込められたのだ。それでも流れ星が見たくてたまらず、寝る時間になってもずっと頭が冴えていた。
「……ねえトキヤ、おきてる?」
小さな声で名前を呼ばれた。ぱちりと目を開けると、二段ベッドの上からハヤトが顔を覗かせていた。

「……おきてるよ」
「ねえ、こっそり抜け出して、流れ星見に行こう!」
「でも……だめって言われたよ。夜ふかしはいけないって」
「トキヤは見たくないの?ふたご座流星群」
「……みたい、けど」
「だったら決まり!ほら、早く行こう!」

パジャマの上にジャンバーを羽織って、こっそりと部屋を抜け出した。父と母を起こさないよう、忍び足で廊下を歩く。玄関のドアを開けると満天の空が広がっていた。
「うわあ……!」
冬の冷たい空気が肌を刺す。鼻先が冷たい。しかし、そんなことは星空の美しさがすべて忘れさせてくれた。二人は庭先に座り込み、肩を寄せ合いながら流星を探した。
広い広い夜空をじっと見つめ続ける。時折流れる星に小さな歓声を上げた。流れ星が見つかるのはほんの一瞬で、あとは待っている時間の方が長い。星が流れるのを待っていると、ハヤトが鼻歌を歌い始めた。聞いたことのないメロディーだ。

「ハヤト、その歌なに?」
「ふたご座流星群の歌。今作ったんだ。つめたいつめたい冬の夜、流れ星きらきら待ってるよ〜♪」
「ふふ、また適当に歌ってる」
「いいでしょ、ほら、トキヤも一緒に歌おうよ!」

ハヤトにつられて、トキヤも同じように鼻歌を口ずさみ始めた。歌詞はその場の思いつき、メロディーも気分で変わるし、音程なんて気にしない。流れ星を見つけたら即座に中断して歓声を上げる。そんな適当すぎる即興の歌だったけれど、二人で歌うから楽しかった。
冬空に二人の子供の歌声が響く。いつまでもいつまでも、この時間が続けばいいと願いながら。


◆◆◆


夜明け前の、薄暗がりの中で目が覚めた。見慣れた天井はここが寮のベッドの上だと教えてくれる。実家ではない。二段ベッドでもない。今まで見ていたあの冬空は夢の中だ。
――夢なんて久しぶりに見た。
起き上がり、目尻に溜まっていた雫を指で拭う。空気を肺いっぱいに吸い込んだ。

トキヤはベッドから抜け出すと、顔も洗いに行かないまま一目散に机に向かった。そしてペンを白い紙の上に走らせていく。
部屋の向かい側で寝ていた音也が何か寝言を言っていたが、ペンの音は決して止まなかった。


◆◆◆


這々の体で砂月に紙を差し出すと、砂月は目を丸くしながらそれを受け取った。
「珍しく学校休んだと思ったら……できたのか、歌詞」
「ええ、なんとか……」
砂月はまじまじとトキヤを見る。髪はセットが甘く、ところどころ寝癖が跳ねているし、いつもはぴしりと着こなしている制服も、今日はなぜかよれている。完璧をよしとする一ノ瀬トキヤにあるまじき様相だ。そもそも今日欠席したのも、病欠というわけではないらしい。おそらく丸一日かけて作詞にすべてを費やしたのだろう。放課後こうして砂月に歌詞を渡すために。

渡された紙に目を落とす。何度も何度も消しゴムで消しては書き直した跡があった。歌詞の後半になると、疲れからか字もがたがたになっている。よほど神経をすり減らしながら書いたのだろう。
曲のタイトルは「Gemini」と書き記されていた。ジェミニ――双子座を意味する英単語だ。歌詞も、失われた片割れと星座をリンクさせるような内容だった。難しい表現は使われていない。まるで子供に語りかけるような歌詞だ。そこで砂月は、トキヤの双子の兄が亡くなった時期を思い出した。確か小学二年生の頃だと言っていた。

「……よし。ここからは俺の仕事だな」
砂月が頷くと、トキヤは拍子抜けしたように「えっ」と声を上げた。まさか歌詞が修正も入らずにそのまま通るとは思っていなかったのだ。
「い、いいんですか?字数の調整もきちんとできていませんし、字余りもありますけど……」
「いや、これでいい。お前が考えに考えて作った歌詞だ。字数を揃えるより、お前の表したいことを優先したんだろ。なら俺が詞に合わせる」
当たり前のようにそう言い切ると、砂月はトキヤの頭に手を置いた。

「よくやった」
寝癖の残るトキヤの頭をわしゃわしゃと撫でる。いつもなら「子供扱いしないでください!」と瞬時に手を掴まれるところだが、今日はそれがない。おや、と思ってトキヤの顔を覗き込むと、トキヤは心地よさそうに目を閉じていた。集中力を使い果たしたようで、このままだと立ったまま眠りかねない。
慌ててそのあたりに置いてあった椅子にトキヤを座らせる。トキヤはとろんとした目で砂月にもたれかかってきた。いよいよ寝る態勢になってしまった。
本来ならすぐさま作曲作業に入りたいところだが、こんな状況ではそれも無理だろう。砂月は仕方なくトキヤの肩を抱き寄せ、思う存分もたれさせてやる今日ぐらいは特別サービスしてやるかと思いながら、自分も静かに目を閉じた。




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