8、口元にある手は誤魔化しのサイン───────----‐‐‐ ‐
「葵が心配なので帰ります」
「は?」
及川の野郎は他校との練習試合が終わるとすぐに片手を挙げてそう言った。
気持ちは分かるがとりあえず待て。
「及川、ミーティングが終わってからだ」
「えー、仕方ないな。じゃあ早くミーティングを始めよう」
意外にも素直に従った及川に少し驚いたが、及川は葵が体育館から出て行ってから今まで一度もへらへらと笑っていない。
ミーティングが終わると及川はすぐに着替える為に部室へと向かって行ったが、体育館を出ればすぐにファンの女の子達に捕まっていた。
「ごめん、今日ちょっと急いでて」
そうは言っても、ファンの女の子はなかなか喰い下がらない。
「あの、さっきの女の子って誰だったんですか! 試合を邪魔するなんてヒド過ぎます!」
「でもボール当たって良かったんじゃない?結果的に体育館から出て行ったし」
ファンの女の子が言っているのはおそらく葵の事だろう。葵を知らないという事はきっと彼女らは1、2年生なのかもしれない。
「(……やべぇな)」
及川の顔から完全に笑顔が消えた。
女の前ではどんな時も作り笑顔だった及川が。
「おい、及川行くぞ」
「誰が邪魔だって?」
「え?」
「おい、及川!」
「誰にボールが当たって良かったって?」
「あ、あの及川先輩?」
「もしかして先輩、あの髪の長い女の子を庇ってるんですか!?」
「優しすぎます先輩!」
ファンの女の子は及川の様子がおかしい事に全く気付いていない。俺から見れば及川のヘイト値がどんどん上がっているように見える。
「おい、さっさと帰るぞ」
「ごめん岩ちゃん、ちょっと待って」
「は?」
「あのさ、君達」
「「「はい、及川先輩!」」」
女の子達は及川に話しかけられて喜んでいた。
「(今すぐ逃げろ)」と、岩泉は心の中で思った。
「次、葵の事を悪く言ったら本気で許さないから。あの子、俺の大事な子だからさ、悪く言われると及川さんも君達相手でも遠慮なーく怒っちゃうよ?」
「「「!!!」」」
女の子達は流石に及川の様子がおかしい事に気が付いたのか、
急に黙ってしまった。
「行こう、岩ちゃん」
「お、おう」
(おい、大事な妹って言っておかないと勘違いされんじゃねーか?)
****
及川は自宅に真っ直ぐ帰り、玄関にある靴を見て、葵が先に帰宅している事を確認してすぐに家の階段を駆け上がり、葵の部屋の扉を勢いよく開けた。
「葵!」
「入る前にノックしなさい!」
「ぐはっ!!」
部屋に入るとすぐにクッションが飛んできた。
どうやら葵は着替え中だったようだ。脱ぎかけの制服姿を見て「ごめん」と言って部屋から出た。
「た、ただいま葵」
「おかえり徹、何か用?」
「あの、さっきボールが当たった所、大丈夫?」
ドア越しに聞いてみると、葵から「大丈夫」という言葉が聞こえた。
「本当に?」
「本当に大丈夫。これは私の不注意だったから徹は気にしないで? 試合を中断しちゃってごめんね」
「でも……」
何か葵に言おうとしたら家のチャイムがピンポンと3回鳴った。誰か来たみたいだ。
今日は親が居ないから、自分が出るしかない。葵は着替え中だし。
「ちょっと下行ってくる」
「うん」
葵にそう言って玄関に向かうと、さっきまで一緒にいた岩ちゃんがそこにいた。家の鍵が開けっ放しだったみたいだ。
しまった、急いでいたから鍵を閉めるの忘れてた。
「よう」
「岩ちゃん? どうしたの?」
北川第一のジャージを着ていない岩ちゃんは一度家に帰ってから、部屋着らしい服装で及川家に来たようだ。
手に持っている謎の箱は一体何が入っているんだろう?
「葵、いるか?」
「部屋にいるけど?」
「そうか、邪魔するぞ」
もう何回も及川家に遊びに来ている岩ちゃんは慣れたように靴を脱いで2階へ上がって行った。
そして葵の部屋の前に止まった。
「?」
「葵」
葵の部屋の前で、岩ちゃんは葵の名前を呼んだ。
「え、岩泉君?」
「おう、入ってもいいか?」
「い、岩ちゃん?」
え?一体何なの?
岩ちゃんどうしたの?もしかして葵が心配になって来たとか?でも葵は大丈夫だって言ってるし。
「えっと、どうぞ?」
「おう」
岩ちゃんと一緒に葵の部屋に入ると、葵は何故か制服のままだった。きっと俺や岩ちゃんが来たから着替えるのではなく途中まで脱いだ制服に着直したようだ。
何にせよ、岩ちゃんに葵の着替えシーンが見られなくて良かった。
「あの、岩泉君?」
「葵」
「はい」
「脱げ」
「「……。」」
「え?」
「え?」
兄妹揃って、同じように口を開いた。
「ちょっと何言ってんの岩ちゃん!?」
「脱げ」って、セクハラ発言ってレベルじゃないよそれ!女の子相手に、しかも葵になんて事を言ってるのサ!?
「い、岩ちゃん? 脱げってその……」
「……。」
ほらもう! 葵も引いちゃってるよ!
「葵、肩を見せろ」
「!」
「え? 肩?」
え?え?なんの事?
「さっき、肩を痛めただろ。ちゃんと手当てしたのか?」
「えっと、さっきのなら大丈夫だよ?」
「お前な、処置しねェで放っておくと後で動かなくなるかもしれないんだぞ。」
「でも、痛くないから」
「嘘だな」
「え?」
「葵は何か我慢したり隠し事をしている時は口元を隠す癖があんだよ」
「!」
葵は岩泉に言われ、口元にあった手をサッと落とした。
「今まで黙ってたけどよ。昔からその癖は変わんねーのな。」
「……。」
「バレバレだっつーの、お前と何年幼馴染やってると思ってんだ」
「……岩泉君」
「脱がないなら無理やり脱がすぞコラ」
「岩ちゃん顔真っ赤!」
「う、うるせーよ!」
仕方ねーだろ!
こんな台詞言った事ねーし!
あーもう恥ずかしい!!
「岩泉君」
「あ?」
「ありがとう……」
葵はそう言って制服のボタンを上から外していった。
「お、おう」
岩泉はサッと葵を見ないようにして返事をした、
「葵、その痣は……!?」
「!」
及川の言葉にバッと葵の方を見ると、キャミ姿の葵は背中をこちらに向けていた。そして葵の肩には青黒い痣があった。
誰がどう見ても痛々しく大きく腫れたその怪我に、思わず顔をしかめた。
「葵、お前その怪我でよく我慢してたな」
「ごめんなさい……」
「葵……」
「とにかく、俺が手当てする、痛いかもしれねェがしばらく我慢しろ。及川、氷嚢あるか?」
俺がそう言うと、及川は「取ってくる」と言って部屋から出て行き、葵は背中を向けたまま大人しくしていた。思ったよりも小さい背中に歯を噛み締めた。
「いっ……」
及川が取ってきた氷嚢を当てて患部を冷やすと、葵は痛そう表情をした。本当はすぐに冷やさないといけなかったが、
処置をし終えると、葵はぎこちない動きで制服のブラウスを着ていた。
これ以上怪我が酷くならないようにテーピングを施したから少し動き辛いのかもしれない。
「安静にな」
「ありがとう」
「葵、大丈夫?」
「大丈夫、ごめんね徹……」
「何かして欲しい事があったら言って、俺と岩ちゃんが何でもするから!」
「俺もかよ」
別にいいけど。
「ううん、特にないから大丈夫。ありがとね」
「何でもいいんだよ? もし大変ならお風呂入るの手伝おうか?」
「おい待て、それは俺手伝えねぇぞ」
「えーっと、それは遠慮しとくよ、でもありがとう」
葵はクスクスと笑っていた。
この笑顔を見るのは凄く久しぶりのような気がする。
(葵にはずっと笑っていて欲しい)
口元にある手は誤魔化しのサイン
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