足元を照らす星はありますか
2014年01月15日 (Wed)
……なんだか喉が痛い。
占い師サマの風邪がうつったっぽいな、ちくしょー。
そして、じゃがいもマッシュのせいで微妙に筋肉痛ですw
さて。本日より休職なので、お弁当を用意することもなく、なんともそわそわ落ち着かない。やらなくていいからラクチンなはずなのに……空回り感?
朝食を用意する前――朝早いうちに占い師サマは会社に出向き、自分に関するデータを取りに行った。
ご飯を食べてからデータの整理を開始。
私も自分なりに情報把握しようとして資料をみせてもらったりもしたけど、占い師サマが持ち帰ってきた資料だけでは分からなかった。自分の記憶も曖昧でまとまらない。
どうやら知りたい情報は上司が管理しているようなので、翌日までに用意してもらうことにした。お手数おかけしますm(_ _)m
お店の開店時間になったので私は買い物へ。
100円ショップにも用事があったので立ち寄り――占い師サマ用のメモ帳を購入した。
『忘れやすいならメモをとろう』という助言を上司からも医者からも言われてるのに未実行。こういうのは自分から買わないと意味がないんだろうけど、ついでだったし。
それに、いつになってもやらず終いで、時間だけが過ぎていくような気がして。
ま、本人が使ってくれるかは分からないんだけどね。使わない場合は私が使うからいいよ。
今日はデータ整理に必要なソフト導入したり、休職中の過ごし方をどうするか大雑把に考えてたのかな。
出勤時間に外に出る習慣とか、午後からデータ整理をしようとか。
きっと頭の中でどのようにするかは考えてるんだろうけど、こちらにはそのヴィジョンが見えてこない。本人ひとりでやることなら問題ないけど、お弁当が必要になることがあるの? 飲み物を携帯しなきゃいけないこともあるの? とか……口に出さずに消した。
未来のことは誰にも分からない。
そんな不安が私の中ではぐるぐる渦巻いて、結論が欲しくなったんだと思う。
夕方、聞いてみた。どのような未来を望んでいるのかを。
全然出てこなかった。
「分からない」
何も浮かばない。
こういう話になるといつもそうなのだ。頭の中が真っ白になって、そのまま停止してしまうらしい。
いくらかやり取りをして、ようやく出てきた言葉は「……屋根がある生活」だった。
屋根……って。日本の建造物なら当然のように屋根はある。なんだか変だ。
どういうことなんだろう、と少しずつ話を引き出してみると、子どもの頃に体験した恐怖が根本にあるような、そんな可能性が浮かび上がってきた。
その恐怖がいつでも付いてまわって、囚われてしまっているようだった。
……あまりにも悲しく、哀れだ。
他人が「そんなこと思わなくてもいいんだよ」「大丈夫だよ」と声をかけたところで届かない。その声は自分で、自分自身に届けなければいけないものだ。そうじゃないと、解放されない。
どの家庭にだって大なり小なり問題はあるものだ。それをどのように受け止めて、消化してしまうか――方法が分からないままは辛い。でもそれ以上に、本人が問題に気づかないまま辛い思いを抱えているのは、辛いなんてもんじゃない。
『なぜ、こんなにも不安に駆られるのか』
それは遠い昔に負った傷によるものなのかもしれない。
そんな辛い話でもね、表に出してくれたから、それが新たな可能性に変わるかもしれないんだ。
カウンセリングを受けてみたらどうか、と上司に言われていた。そうだな、それが良い案だな、と思いながらもやらなかったのは、それを本当に必要だと思ってなかったから――現実的に、視野に入れてなかったからだ。
『何をどうしたらいいのか分からない』
でも、少しだけ……ほんの少しだけ進みたい方角が見えて、現実として検討できるようになったのは今日の収穫だったのではないだろうか。
占い師サマの風邪がうつったっぽいな、ちくしょー。
そして、じゃがいもマッシュのせいで微妙に筋肉痛ですw
さて。本日より休職なので、お弁当を用意することもなく、なんともそわそわ落ち着かない。やらなくていいからラクチンなはずなのに……空回り感?
朝食を用意する前――朝早いうちに占い師サマは会社に出向き、自分に関するデータを取りに行った。
ご飯を食べてからデータの整理を開始。
私も自分なりに情報把握しようとして資料をみせてもらったりもしたけど、占い師サマが持ち帰ってきた資料だけでは分からなかった。自分の記憶も曖昧でまとまらない。
どうやら知りたい情報は上司が管理しているようなので、翌日までに用意してもらうことにした。お手数おかけしますm(_ _)m
お店の開店時間になったので私は買い物へ。
100円ショップにも用事があったので立ち寄り――占い師サマ用のメモ帳を購入した。
『忘れやすいならメモをとろう』という助言を上司からも医者からも言われてるのに未実行。こういうのは自分から買わないと意味がないんだろうけど、ついでだったし。
それに、いつになってもやらず終いで、時間だけが過ぎていくような気がして。
ま、本人が使ってくれるかは分からないんだけどね。使わない場合は私が使うからいいよ。
今日はデータ整理に必要なソフト導入したり、休職中の過ごし方をどうするか大雑把に考えてたのかな。
出勤時間に外に出る習慣とか、午後からデータ整理をしようとか。
きっと頭の中でどのようにするかは考えてるんだろうけど、こちらにはそのヴィジョンが見えてこない。本人ひとりでやることなら問題ないけど、お弁当が必要になることがあるの? 飲み物を携帯しなきゃいけないこともあるの? とか……口に出さずに消した。
未来のことは誰にも分からない。
そんな不安が私の中ではぐるぐる渦巻いて、結論が欲しくなったんだと思う。
夕方、聞いてみた。どのような未来を望んでいるのかを。
全然出てこなかった。
「分からない」
何も浮かばない。
こういう話になるといつもそうなのだ。頭の中が真っ白になって、そのまま停止してしまうらしい。
いくらかやり取りをして、ようやく出てきた言葉は「……屋根がある生活」だった。
屋根……って。日本の建造物なら当然のように屋根はある。なんだか変だ。
どういうことなんだろう、と少しずつ話を引き出してみると、子どもの頃に体験した恐怖が根本にあるような、そんな可能性が浮かび上がってきた。
その恐怖がいつでも付いてまわって、囚われてしまっているようだった。
……あまりにも悲しく、哀れだ。
他人が「そんなこと思わなくてもいいんだよ」「大丈夫だよ」と声をかけたところで届かない。その声は自分で、自分自身に届けなければいけないものだ。そうじゃないと、解放されない。
どの家庭にだって大なり小なり問題はあるものだ。それをどのように受け止めて、消化してしまうか――方法が分からないままは辛い。でもそれ以上に、本人が問題に気づかないまま辛い思いを抱えているのは、辛いなんてもんじゃない。
『なぜ、こんなにも不安に駆られるのか』
それは遠い昔に負った傷によるものなのかもしれない。
そんな辛い話でもね、表に出してくれたから、それが新たな可能性に変わるかもしれないんだ。
カウンセリングを受けてみたらどうか、と上司に言われていた。そうだな、それが良い案だな、と思いながらもやらなかったのは、それを本当に必要だと思ってなかったから――現実的に、視野に入れてなかったからだ。
『何をどうしたらいいのか分からない』
でも、少しだけ……ほんの少しだけ進みたい方角が見えて、現実として検討できるようになったのは今日の収穫だったのではないだろうか。