愚直(中編)
 全国大会行きが決まった。約束された勝利なんて一つもない。一つもないからこそ、どんな試合も油断はしない。古森は全ての試合を終えて、ふぅと肩から力を抜いた。軽いミーティングが終わって、後は帰るだけだ。「バスが出るまで時間あるから、今のうちに忘れ物とか確認するように」飯綱は主将らしく、テキパキと部員へ指示を出す。部員はそれぞれ返事をして、荷物をまとめ始めた。古森は早々に荷物をまとめ終えて、トイレでも行くかと、きょろり、と辺りを見回した。

 すみっコぐらしのように、隅を陣取っている佐久早がじろり、と古森へ視線を向ける。

「どこ行くんだ」
「ん、トイレ。一緒に行く?」
「行かねぇ。集合時間は」
「分かってるって」

 集合時間を心配する佐久早に、いつも通り応えて古森はトイレへ向かうことにした。



 通ろうとした少し先に、鮮やかな赤い集団を見つけて、思わず足を止める。そして、その集団に遠慮がちに近付く一人の女の子が居た。あ、名字さん。彼女は私服で大会に来ていたようだった。赤い集団が止まって、その中からひょこひょこ、と仲間に支えられた選手が出てきた。その選手も、彼女の元へ近付いていく。

「や、やくさん……!」
「名前ちゃん、ごめんな。今日かっこ悪いとこ見せて」

 彼女は言葉が出なかった。眉を下げて謝る夜久に、彼女は眉をきゅう、と寄せると、首を横に振る。ずっと、ずっと中学生の頃から追いかけて来た。きっかけは些細なことだったけど。小さい頃から、幼馴染の飯綱のバレーの試合を飯綱家と共によく見に行った。そこで、見つけてしまった。どんな重いスパイクも、キレイにふわっとレシーブする彼を見つけてしまった。それから会場に駆け付ける度に、彼女だけ夜久が所属する学校の応援席に混じっているものだから、飯綱に何度か小言を言われたことがある。

 名字さんって、本人公認のファンだったんだ。古森は新たな情報に、背中に嫌な汗が垂れる。夜久と口を交わす彼女の横顔は、ただの男だったら勘違いしてしまいそうだった。一心に夜久を見つめる目は、とても熱が籠められていて、何も知らない者からすれば、恋情にも見えるのだ。その証拠に、夜久の後ろでモヒカンの男子がとても羨ましそうに、夜久と彼女のやり取りを見守っている。いや、睨んでいた。

 大丈夫だよ、と力強く笑う夜久に彼女は我慢できず、彼女の目から涙が零れ落ちる。夜久はそんな彼女にギョッとして、ぐしゃぐしゃと彼女の頭を撫で回した。え、マジ、その距離感なの?

「私本当にしんぱいっ、で……!夜久さんがバレー出来なくなったらって、おもってっ」
「ただの捻挫だから、本当に大丈夫だって!名前ちゃんは心配性だな」
「本当に名前ちゃんやっくんのこと好きよね」
「私は夜久さんのファン一号です!」
「あはは、いつも応援ありがとう」

 夜久は泣きじゃくる彼女に、爽やかに笑い返した。古森は目の前の光景に、夜久に、正気か?と疑いたくなった。あんな熱烈に、あんな可愛い彼女に、心配して泣かれたら、好きになるしかなくないか?夜久の爽やかな笑顔には、可愛い妹分に向けられるものだった。基本的に何事も客観的に見ることが出来る古森も、彼女のことになると脳が正常に判断しなくなるらしい。古森が立ち尽くしていると、後ろから肩を叩かれた。

「古森どうした?」

 後ろを振り向くと、我らが主将、飯綱が立っていた。ん?と穏やかな表情に、古森はへにょり、と眉を下げる。兄がいない古森はやけに飯綱に懐いていたし、飯綱も普段あまり隙を見せない古森が、自分には甘えてくるのが可愛くて、とても可愛がっていた。もちろん、大っぴらにはしないけれど。

「い、飯綱さん……」
「なんだよ、その変な顔は」

 どうしたどうした、と飯綱は古森の頭を撫で繰り回す。うわあ、俺最近頭撫でられてばっかな気がする。名字さんが取られそうで、嫌なんですとは言えず、古森は飯綱曰く変な顔をしたまま視線を向ける。そこには、探していた幼馴染の姿があった。飯綱は遠くから、幼馴染の名前を呼んで、そのまま古森も飯綱に腕を引っ張られる。

「名前!」
「え、つかさくん?」
「ここに居たの。
 探したぞ……って、何で泣いて」

 飯綱は泣いてる彼女と、夜久の姿を見て、言葉の途中で口を閉じた。

「ごめんな、夜久。
 名前が押しかけて」
「いや、大丈夫だぜ。ファンは大切にしないといけないからな」

 どうやら夜久は飯綱と彼女の関係を把握しているらしい。「名前、今日先に帰ってて」「え、なんで」「妹が家に鍵忘れたら、入れないって連絡あったからさ」「ああ、そういうこと」飯綱は彼女に家の鍵を渡すと、頼むぞ、と彼女の頭をぽんぽん、と撫でる。ふたりの、いつものスキンシップだった。古森は飯綱も油断ならない、と手のひらを返した。彼女は当然のように、夜久の手も、飯綱の手も、受け入れている。そこに、特別な感情がないからだ。

 彼女は引き留めてごめんなさい、と夜久に頭を下げて、じゃあ、つかさくんたちもお疲れ様、と会場を後にした。

「よし、古森俺らも戻るぞ」
「あ、はい」

 ヤキモキしていたら、彼女にまともに言葉もかけれず、飯綱に連れ戻されてしまった。あ、トイレ行くの忘れた。



「珍しいな。お前が帰りのバスで、寝ないの」
「俺ちょっと負けられない勝負があるからさ」
「は?」
「よし!」

 学校に到着して、気合い入れている古森を佐久早は異様なものを見る目で、見つめてちょっと距離を取った。古森の頭の中には、シミュレーションでいっぱいだった。でも、何よりも大切なのはきっと誠実さだ。きっと踏み出したら、後には戻れない。……いや、踏み出さずに、後悔するのだけは絶対やだな。古森は自分以外の男に頭を撫でられている彼女を思い出して、思い切り顔を顰める。

「聖臣」
「なに」
「俺絶対幸せになるから」
「……バレーの話じゃないのかよ」
 


 そんな古森の決意も知らない彼女はいつも通りの月曜日を過ごしていた。いつも通りお弁当を食べ終えて、午後のお供に紅茶を買いに自動販売機へ向っていた。この時期温かい紅茶は人気なので、残っていることに一安心だ。彼女はスカートを押さえて、自動販売機の取り出し口に手を突っ込んでいると、後ろに気配を感じた。振り返ると、予想外な人物が立っていた。

「名字さんちょっといいかな」
「え、わたし?」
「うん」

 彼女は古森に声を掛けられて、内心首を傾げる。古森くんとふたりで話すようなことないと思うけど。どうしたんだろう。古森の後に付いていきながら、一つの可能性を見出して、まさか!と否定した。でも、廊下を先に歩く古森の背中がいつもより小さく見えた気がした。

 古森に連れられて来た場所は、ぽかぽかと日差しが入る体育館へ続く渡り廊下だった。

「えっと、いきなりごめんね」
「ううん、どうしたの?」
「今から言うことも、いきなりで驚かしちゃうと思うんだけど」

 古森は頬を指先で掻きながら、申し訳なさそうに眉を下げる。その表情に彼女はあ、と気が付いた。いや、現実を見た。古森は彼女の反応に、さらに眉を下げて「ごめんね」と謝った。

「名字さん、俺と付き合って下さい」
「え」
「あ、ちなみに、場所とかじゃなくて、恋人の方のお付き合い」
「ええ、私と古森くんが?」
「うん、そう。俺と、名字さん」

 正直、信じられなかった。古森に想いを向けられるきっかけに身に覚えはないし、中学と高校こそクラスは同じだが、そんな素振りを見たこともない。何より学年でも「こもりもとや」を知らない生徒はあまり居ない。強豪バレー部のレギュラーと言うより、古森自身のキャラクターゆえだった。見上げる高い身長なのに、威圧感なんて全然ない。むしろ人懐っこい雰囲気で、誰にでも優しくて、おまけに顔立ちも可愛らしくて、まるで少女漫画から出て来たような男の子だった。それは、もうおモテるになることだろう。そんな素敵な人がなぜ私を好きに……?

 彼女は信じられなかったけど、嬉しい気持ちもなくはなかった。でも、それ以上に困ってしまった。周りから評価が良い男の子に、自分の許容範囲……いや、タイプの男の子に告白されて嫌な気はしない。ただ誰かと付き合うという行為は、自分には早い気がした。悪い気はしないけど、じゃあ、付き合いましょうと言えるほど、単純な問題じゃない。友達は、「え?合わなかったら、別れればいいじゃん」と言うだろうけど。別れ話すること自体がしんどくて、嫌なのだ。

 彼女は一度古森から視線を逸らした後、また古森を見上げる。眉を下げて、言い辛そうな表情に、古森はやっぱり、と彼女と同じ表情をつくった。

「古森くん気持ちは嬉しいけど、その、付き合うとは……考えられない、です」
「そっか。
 じゃあ、チャンス下さい」
「うん、だから……え、チャンス?」
「うん、チャンス」

 彼女が聞き返すと、古森はにこっと笑った。その笑みに、彼女はやばい、と頬を引き攣らせた。古森にこれ以上喋らせてはいけない、気がする。分かっているのに、口が動かない。古森は普段と同じように聞き取りやすいテンポで、ただその声色は真剣さを含んでいた。

「名字さんに俺のこと、知ってもらうチャンスが欲しい」
「……」
「あ、悲しいけど……」

 古森は自信がなさそうに視線を落としてから、彼女をじっと見つめる。その表情は本当に悲しそうだった。残念そうに、悔しそうに、唇を噤んだ。その言いたくなさそうな雰囲気に、彼女までも辛い表情になってしまう。彼女はすっかり古森のペースに飲まれていた。

「俺のことが、生理的に無理とか、百パーセントないなら、今ここで振ってほしい」
「!」
「ごめん。ワガママ言って、名字さん困っちゃうよね」

 条件反射だった。んなぁことはぁない。百パーセント古森くんが無理な女の子なんて、いるわけない。彼女は首を横に振って、んでもって口までも動いていた。

「ない!それはないよ!古森くんが百パーセントないとか、ない!」
「ほんと?」

 古森は自信がなさそうに彼女へ聞き返す。彼女はぶんぶん、と首を縦に振った。

「じゃあ、俺にチャンスくれる?」
「え」
「じゅ……ううん、0.1パーセントでも可能性あるなら、俺に頑張らせてほしい」
「こもりくん……」
「だめかな?」

 古森は小首を傾げて、彼女に尋ねる。いや、最早これはおねだりだった。彼女は返答に困った。古森くんの気持ちは嬉しいけど、でも、もし私が……ダメだったら、どうすればいいの。

「で、でも」
「いいよ」
「?」
「俺のこと無理だったって結果でも」
「えっ」

 彼女は目を見開いて、古森を見上げる。古森はやさしく笑っていた。それはまるでよく飯綱が彼女に向ける笑顔に似ていた。

「気持ちって人に言われて、どうにかなるものじゃないから」
「……うん」
「俺はね、名字さんに挨拶したり、時々LINEしたり……そうだな、電話したり?
 そういうのが、したいんだ」
「え、それだけ?」

 拍子抜け。彼女の様子はそんな表現がぴったりだった。彼女から緊張感が抜け落ちる。

「うん。あ、試しに付き合って、とか言われるの想像してた?」
「……正直」
「あはは。そういう考えも否定しないけど、別れるとき疲れるでしょ?ソレ」
「だ、だよね!?」

 分かってくれる人居た!彼女が尻尾が振り千切れる勢いで古森に同意を求めれば、古森はうんうんと頷いてやった。

「あ、でも……古森くんが」
「俺が頑張ってる途中で、見込みねぇな〜って思ったらさ」

 古森はポケットからスマホを取り出すと、LINEの画面を立ち上げる。そして、彼女に画面を見せる。彼女はええ、と目を丸くして、古森は困ったように笑った。そこには、バボちゃんがいた。可愛らしいバボちゃんが短い両手を真上に上げて、ナイスブロックしていた。

「このスタンプ、俺に送って?」
「え」
「だって、直接でも、LINEでも言い辛いでしょ?
 古森くんはやっぱりタイプじゃないから、もう頑張るのやめてくださいって」
「あの、こも」
「このスタンプさ、今なんかとのコラボで無料らしくて」
「こもりくん」
「うん?」

 ああ、ほら、やっぱり。彼女は胸が締め付けられる。それは甘い痛みでも、切なさでも、ない。ただの罪悪感だ。どうして、古森くんはそこまでしてくれるの。それに、私が話を聞いてほしいときはちゃんと耳を傾けてくれる。彼女を見下ろす古森の目には、確かに彼女への想いがちらついていた。彼女はなんて言ったらいいか分からなくて、両手を胸元に引き寄せる。祈るような、仕草だった。

「古森くんはなんで」
「?」
「そこまで、してくれるの?……私にしか、いいことないよ」
「え、俺にもいいことあるよ?」
「ど、どこに?」

 きょとん、として、古森は不思議そうにしている。いや、不思議なのこっちです。

「えぇ?どこにって、名字さんがくれるチャンス」
「えええ、そこ!?」
「うん、そこ。
 あぁ、あとなんでそこまでするの?だっけ」

 古森は一旦言葉を切ったかと思うと、これまでとは違う顔で彼女にを見つめる。それはただただ甘ったるく、その顔を向けられているこっちの方が恥ずかしくて、どうにかなってしまいそうだった。

「名字さんに俺のこと、見て欲しいから」

 ふにゃり、と柔らかく微笑んだ古森に、彼女はもう勝敗は決まっているのでは?と気が遠くなった。
 
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