自由奔放な男、矢田りと [ 56/87 ]
「あーだっりぃ、まじ残業死ね。」
カタカタカタカタカタカタタタンカタカタカタカタ…矢田 りとのキーボードを打つ姿は、まるでキーボードに八つ当たりするかのようで、あまりに乱暴すぎた。
「はい、これコピーして配っとけよ。」
「あっはい!」
「…あれでタイピングミスないのすげー…。」
乱暴な性格と動作。だが、ミスのない仕事ぶりに一目置かれている男、それが、矢田 りとという男だ。
「よーっしゃ終了〜。帰ろ。おっさきー」
「…そしてあのひと、上司より先に帰ったぞ…。」
上司が席を外している間に、やるべき業務を終えとっとと帰宅するりとには一同唖然。
「あれ?矢田は?」
「今さっき帰りました。」
「あいつ…!俺より先にいつもいつも…!」
嫌味の一言でも言えればいいが、一度『普通は遠慮して上司より後に帰ろうとか思わないのか?』と言ったところ、『逆じゃないすか?部下の帰りを見届けるのが上司では?寧ろさっさと帰ってやってる俺かなり有能では?』と言い返されてしまったらしい。
取引先ではいつも爽やかイケメンスマイルで契約を取る矢田りとは、自社のみならず取引先でも人気高い。
そんな矢田りと相手に、嫌味などそもそも言えるはずがなかった。
しかしある日、珍しく暗い表情で、落ち込んだ様子で出社したりと。
「おい、矢田のやつどうしたんだよ…?」
「知りませんよ、課長聞いてみてくださいよ。」
「お前が聞けよ。」
いつも口が悪く、憎たらしい態度でだるい腹減った帰りたいと愚痴をこぼしている矢田が妙に静かだ。と、周りの社員はコソコソとりとの様子を窺っている。
「…あの、矢田さん…、今日どうかされました…?」
意を決して、りとの後輩が心配するように声をかけた。すると、チラリと後輩の顔を見て、「ハァ…」とため息を吐くりと。
「…昨日さぁ、今月の食費ケチってゲームのガチャ回したのに大爆死してさぁ…。」
「…はぁ、そうでしたか…。…え?ガチャ?」
神妙な面持ちで話すから何事かと思えば。りとの口から飛び出した単語に、後輩は呆気に取られてしまった。
「ああん酒飲みてえ、ラーメン食いてえ肉食いてえ。課長ぉ〜奢ってくださいよぉ。」
デスクの椅子にだらんと腰掛けたまま、駄々をこねる子供のように手足をジタバタさせながら上司に吐いたりとの言葉に、上司は白い目を向けた。
(いつも自分の仕事が終わったらさっさと帰りやがるくせにこんな時だけ…。)
「じゃあ今日は俺が仕事終わるの待っててくれるか?」
「奢ってくれんすか!?」
「ああ、他の奴らの仕事も早く終わったら、たまにはみんなで飲みに行こう。」
「うぇ〜い!さすが我らが課長太っ腹ぁ!」
上司の言葉に気を良くしたりとは、その後にこにこと上機嫌で仕事をしていた。
「課長ぉ〜終わりました〜?なんか手伝いましょうか〜?」
「いや、大丈夫、もう行ける。」
(飯奢ってやる約束するとすげえ扱いやすくなるんだな、覚えておこう。)
こうして、自由奔放な男、矢田りとの扱い方を、上司は徐々に習得していくのであった。
自由奔放な男、矢田 りと おわり
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