居酒屋で出会した [ 57/87 ]


【 今晩会社の子と飲みに行ってくる 】


勤務時間中俺のスマホに届いた航からのシンプルな一文。たったこれだけの文章だが、俺は「ん?」と約30秒ほど一ヶ所違和感を抱いた部分を見つめて固まった。


「…会社の、“子”…?」

「はい?どうかしましたか?矢田さん。」

「あ、いや…、ごめん。なんの話してたっけ。」


休憩所にある自販機で缶コーヒーを買って飲みながらスマホを見ていると、横から話しかけられていたのを一瞬忘れてしまった。

スマホは一旦ポケットにしまい、話しかけてきた子に顔を向け、会話を再開させる。

…うん、やっぱそうだよな。
話しかけてきた子、…は女。
子、と言えば女の子だ。

全然会話に集中できない中でうんうんと相槌を打っていたのが良くなかったのか、「良いんですか!?」とその子は突然驚いたように声をあげた。


…あれ?なにが良いって?
やっべ、…俺人の話を聞かなさすぎていた。

なんでこの子こんなに喜んでるんだろう。


「絶対断られると思ったのでびっくりです!絶対残業にならないようにしないと!急いで仕事してきます!それじゃあ退勤後、よろしくお願いしますね!!」

「えっ?…あ、待って、ちょっ…!」


喋るだけ喋って、猛スピードでその子は休憩所から立ち去ってしまった。結局どんな会話をしたのかまったく分かっていない俺は、自分の失態に頭を抱えた。


それから数時間後の退勤時刻。

彼女は俺の元へやって来た。


「矢田さんお疲れ様です!もう行けますか?」

「お疲れ。………ん?どこに?」

「え?居酒屋です!仕事の相談に乗ってもらえるんですよね?」


…えっ、…うわ、もしかして昼間俺が頷いてしまったのってこれ?それなら今更断るわけにはいかなくなってしまった。会社の子とは言え女性と二人で居酒屋に行くなんて…、航に何て言われることか…


いや、しかし待て、航も今日は飲みに行くっていってたな…。しかも会社の“子”と。うん、それじゃあまあいいか。と俺は後輩の言葉に頷く。


「おすすめの店があるんですけどどうですか!?」と張り切った様子で俺をとある居酒屋に勧めてくる後輩。


「うん、別にどこでもいいよ。」

「ちょっとここからは距離があるんですけど…」


そう言ってチラッと遠慮気味に見上げられる。

場所が遠くて申し訳ないと思っているのだろうか。俺は近場の方が良いんだけどなぁ…と思いつつ、ここで断ると後輩との空気が悪くなってしまいそうだ。

そんなに良い店なのかと少し期待してみることにして「じゃあタクシーで行くか?」と提案すると「はい!」と元気に頷いてくる。


向かった先は居酒屋が立ち並ぶ繁華街で、その中の一店舗に入って行った後輩の後ろを俺も続いて歩いた。


中は落ち着いた感じの清潔感のあるお洒落な居酒屋で、個室とかは無くざわざわと賑やかな空間が広がっていた。


「何名様ですか?」

「あ、二人です!」

「こちらのお席にどうぞー。」


店員に案内された席の左右の席はすでに埋まっていて、「は!?まじかよこわっ!!それストーカーじゃねえか!!」とまるで航が喚いているのかと思えるくらいうるさい声と共に『ガン!』とグラスを置くこれまたうるさい音をさせる男が右の席に座っている。騒がしい奴だな。と舌打ちしたくなりながら案内された席に対してハズレの席だと思ってしまった。

しかし俺はその後、横目でうるさい野郎の顔を見た時、驚きのあまりに「グフッ」と変な咳が出てしまった。


「ん?どうしましたか?矢田さん?」

「あっ…いやっ…」


……騒がしい奴っつーか、

わっ、…わ、…わたるじゃねえかよ!!!!!

え?航だよな?……うん、やっぱり航だ。


「そんで合鍵回収したのかよ!」

「それが返してくんないんすよ〜。」

「はあ!?早くしろよ!今すぐしろ!また家ん中入られるぞ!?つーか鍵変えろよ!!」


航は話に夢中で全然俺が隣の席にいることには気付かない。…つーか会社の“子”って…男じゃねーか。よかった…。いやよくない、やばい…、俺女の子と来ちゃったよ…。


「ぁぁぁ…」


席に座り顔を隠すように頭を抱えると、「矢田さん?どうしました!?」と後輩に顔色を窺われる。


「…いや、悪い。なんでもない。とりあえずなんか注文するか…。」


そう言って俺は、左側に立てかけてあったメニュー表を航から少しでも隠れられるように右側に移動させる。

数枚立てかけられていた中から一冊の分厚いメニュー表を手に持ち、後輩に差し出す。


「元カノとは言え勝手に家入られんのは警察に通報して良くね!?」

「良いんすかねぇ…でもちょっと前まで元カノも住んでた家なんすよ?」

「別れたんだろ!?出てくって言ったんだろ!?じゃあ何でまた家に来るんだよ!!」

「なんか未練はあるみたいなんすよ…。」

「カ〜〜〜〜!?んなの知らねえよ!出てくっつったら出てけよ!あ〜お兄さんすんませ〜んビールおかわり〜!!!」

「友岡先輩大丈夫すか?ペース早いっすね。」

「あ、やっべえ。俺今日迎え頼んでねえわ。…あはは、まあいっかぁ、このだし巻き卵うまぁ。」


は?良くねえよ…!迎え頼めよ!つーか俺隣にいるけど!?…いつ言おう、タイミングを逃してしまった…。


どうやら後輩の男の愚痴を聞いてやってるようだが後輩くん以上に航がキレていてその所為でビールを飲むペースが早まっているように思う。


「そうそう、ここのだし巻き卵すごく美味しいんですよね〜。あと唐揚げもすっごくおすすめです!」

「…へー、じゃあそれで。」

「お酒何頼みますー?」

「…グレープフルーツジュースで。」

「えっ?お酒飲まないんですか!?」

「…あー…、じゃあレモンサワー。」


チビチビ飲んで絶対酔わないようにしよう。



「友岡先輩も友達とルームシェアしてるっつってましたよね。他人との同居って絶対何か揉めたりしません?」

「ん〜ん〜、ぜんぜん。」

「まじすか、良いっすねぇ。俺元カノと住んでた時ちょっと部屋汚したりするだけですぐ怒ってこられて全然気が休まりませんでしたよ。」

「俺の同居人は寧ろ家事が趣味みたいな奴だから俺がやるっつっても自分でやろうとしてくれるんだよな。」

「なんすかその同居人!めっちゃ良いじゃないすか!!」


はぁっ!?誰が家事が趣味だって!?
俺は航との時間を作るためにせっせと家事を終わらしてるだけだっつーの!!決して家事が趣味ではない!!


「ん?矢田さん?どうしましたか?食べないんですか?」

「…あ、…食べる。」


つい隣のテーブルの会話を聞くのに夢中になってしまい箸で挟んだだし巻き卵を食べる手が止まってしまっていたら後輩に不思議そうな顔をされてしまった。いけない、俺はこっちに集中しなければ…。


「え、その同居人男っすよね?実は彼女と住んでたりします?ここだけの話にしとくんで教えてくださいよ。」

「いや男男。高校ん時から超〜仲良い大好きな友達だよ。かっこいいし賢いし優しいしもうその友達と結婚しちゃいたいなぁ〜なんつって、あはは」

「へぇ〜、友達超優良物件じゃないすか。その人も彼女居ないんすか?」

「うん、居ない。もう実質俺が彼女みたいなもん。料理も上手いし胃袋掴まれてる。彼女できて家出てってとか言われたら泣くかも。」

「ウケる、料理も上手いとかガチで最高じゃないすか。つーか仲良すぎっしょ。もうお互い居心地良すぎて彼女要らなくなってるんじゃないすか?男同士だったら楽っすもんね。」

「うん、要らない要らない。もう俺あいつと結婚する!!」


隣に俺が座ってることなど知らずに酒を飲みながらテンション高く喋っている航が話す内容が俺のことだったため、俺はもう恥ずかしさが我慢できず、自分でも自覚できるくらい顔がカッカと赤くなってしまった。


「えっ矢田さん!?どうしましたか!?」


すると焦るように声を張り上げて俺の名を呼んだ後輩の声が隣のテーブルに聞こえてしまったようで、航がこちらに振り向いてくる気配を感じ取る。


「えっ、…えっ!?るい!?なんで居んの!?」

「え?先輩の知り合いすか?」

「うん、今言ってた俺の同居人。」

「えっ!?ガチすか!?えっ、イケメンすぎません!?料理上手くて家事が趣味の超優良物件の!?」

「…いや、…べつに家事が趣味では……。」

「…これは確かに結婚したくなりますね。」

「だろ?」


もう随分酒を飲んで酔いかけの航と航の後輩は俺たちのテーブルを巻き込んでべらべらと話しかけてくる。

俺の後輩には申し訳なく思うが、航と隣のテーブルになったからには避けられない流れとなり、その後俺たちは互いの会社の後輩も一緒に食事する事になったのだった。


その時は航に何も言われることなく普通に会話していたが、帰り道にボソッと「まさかるいが女の子と二人で飲みに行ってたなんてな…」と小言を呟かれ、あれこれ言い訳しながら帰宅する。


最後は「べつにいいけど。」って納得してくれたけど、その後の航はちょっとだけ不機嫌だったから、次からは今日みたいな事にならないように気を付けようと胸に刻み込んだのだった……。


居酒屋で出会した おわり


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